手を伸ばす先
フィオミアがアマトへ向けて動き始めると、王の帰還を祝したときのまま街中に積もっていた花びらや紙吹雪が風にまかれてもう一度舞い上がった。全ての鐘楼の鐘が打ち鳴らさる中、全ての人が空を見上げた。
空飛ぶ城という物的証拠は多くの国民のくすぶっていた信仰心を燃え上がらせ、天使の声を聞いたという王の勝利を疑うものは今や殆ど存在しなかった。もとよりアマトから遠くはなれた王都の民にとってそれはどこか遠くの災厄で、そこで起こりつつある異変を知らされても確定された勝利に付加価値を加えるだけの情報に過ぎなかった。
王はそれを呑気だとは思わなかった。
「彼らには情報が圧倒的に不足しているのだ。本当の恐ろしさを知っているのは巫女達と砦を守る者達のみ。最前線に全てを押し付けて、できるだけ多くの国民に恐怖のない生活を送らせようとしてきたツケなのだ」
そしてその姿勢を貫き、アマトへ向かう者に他の者を加える事を頑として受け付けなかった。基本的には真っ直ぐ下に降りて卵を潰すだけの作戦、というのがその理由である。
さらに王はホープにもフィオミアから降りることを勧めたが彼はそれを固辞した。
「希望という名のこの僕を降ろそうとするなんて、王様はこの戦いで死ぬおつもりですか?」
「いやそんなつもりは無いが……、しかしお前には心配する者もおろう」
「いませんよ。僕を育ててくれた祖母は何年も前に死んでしまいました。僕が”妖精の見える子供”でなかったら召喚士の学校でなくて孤児院に送られていたことでしょう」
「そうであったか」
「いざとなったら今度こそドラゴンを、いやもっとスゴイの召喚して見せますから!」
テラスに続く階段をナデシコが降りてくるのを見て二人は会話を止めた。ナデシコはいつもの巫女の衣装ではなくドレスを着ていて、慣れない手つきで裾を持ち上げながら一段一段確かめながらゆっくりと二人に近づいて来た。
「うおー! カッコいいっす!! どうしたんですかそのドレス」
「女王様に借りました。あなたも貸してもらえば? きっと似合うわ」
「そっかー! その手がありました。そういうの着れば召喚確率も大幅アップ間違いない!」
「でも動きにくい」
「この戦いが終われば巫女としてのお前の役割も終わる。今のうちからまたドレスに慣れておくのも必要だろう」
「果たしてそううまく行くでしょうか?」
「行くだろう。なにせこのホープがドラゴンを凌ぐものを召喚して魔物を蹴散らすそうだからな」
「まあ、何を召喚するの?」
「聞いて驚いて下さい! 異世界への扉を守る門番、黒き巨人です」
* *
窓から見える月はいつの間にか高い位置に昇っていた。完成一歩手前のゲームをプレイして最終章まで達したね子は、決めかねていたゲームタイトルと細かい修正点などをまとめて大喜にメールした。
ね子が『one story』と名付けたゲームは、アドベンチャー要素を下敷きとしながらも、一つのジャンルだけに縛られる必要のなくなったことにより章ごとに主人公たちの過去作品がミニゲームとして組み込まれる作りとなった。
第一章はナデシコが主人公のシューティングゲーム、第二章はディーが山頂を目指すアクションゲームがリメイクされたもの、第三章はマノーンと続き、今終えたばかりの第四章だけが唯一アドベンチャー要素だけで構成される章となっていて、この後の最終章も大部分が『ドラゴンサモナー』と同じ戦略シミュレーションのシステムで占められているはずだった。
そんなわけでストーリーや仕掛けを知っていても最終章まで随分と時間がかかってしまい、いつもならもう寝る時間になっていたが、ね子は一休みして日記を書くと、ゲームを再開した。
八月の終わりまでにはまだ一週間あるが、芳生はそれより前に帰る予定で、それまでには修正や微調整以外は終わらせてしまおうというのが大喜の立てたスケジュールだった。
そして何より、自分を含めたみんなで創ったゲームで遊ぶのが楽しかった。読み終えたくない本のページをめくるのを止められないように、結末が見たくて、でも辿り着き無くてね子はクリックを繰り返した。
* *
ナデシコによる戦勝祈願の舞いが終わると、穴の中を照らす月の光を遮るようにフィオミアはゆっくりと下降を始めた。
自分たち以外の者が穴の中に入っていくのを巫女達は初めて見送った。上から見たフィオミアの直径はアマトのそれに対し三分の二程の大きさで完全に安定した巨大な島は側壁に触れること無く、ゆっくりと静かに遠ざかっていく。
穴はしばらく進むと一旦細まって、その奥から真のアマトが始まる。それ故ある程度降りたところでフィオミアは絶大な威力を誇る雷を放ち通り道を作る、というのが巫女たちの聞かされた作戦の第二段階であった。
王直々の説明の際、巨大な島でその狭まった地点を塞げば良いのではないかという意見も出た。しかし「あなた方は本当にそれで安心できるのか?」という王の問いに全ての巫女は沈黙した。一週間ほど前から聞こえ始めた声に誰もが怯えていた。耳を塞いでも地面を伝って体全体に響くそれは、夜毎聞く者の精神を暗い暗い深淵へと誘った。
フィオミアにはオトメを含めた十名ほどの精鋭も乗り込んだが後の巫女達は二度目の雷、即ち卵への直接攻撃の音を合図に援護に向かう。
「何か巨大で恐ろしい物が生まれようとしている」
信じられないというより信じたくなかった言葉。それが現実になろうとしている、あるいはもうなっていることを誰もが確信していた。
月の光の届かないところまで降りたことを確認すると最初の衝撃に備え巫女達は皆穴から離れた。やがて穴が一瞬昼間のように光った。そしてこの世の終わりが始まったかのような音。
地が揺れ、周辺の飛べる鳥が全て飛び立った。
もう卵は無いかもしれない。だとしたら彼らの攻撃するものは一体何なのか。自分たちは一体何を見ることになるのか。怯えながら巫女達は、彼女らが信じる神に向かって、今夜全ての恐ろしいことが終わるように祈った。
* *
春は珍しく0時を過ぎても起きていた。手紙の文面が一向に定まらなかったのだ。
「う~ん。もうちょっと軽い感じが欲しいネ」
新たに書き上げた物も三度読み返したあとで大きくバツをつける。新しく買ったレターセットの便箋ももう半分ほどがなくなっていた。自分にはやはり手紙というものは向いてないのではないか、そう思って額に手を当てて考える。
「いやーしかしー」
本人を目の前にしたらなんと言ってよいかわからなくなるに決まっている。手紙に向いていない以上に確実なことだった。
「また明日にしよう」
それは名案に思えた。ゲームでも一日悩んだ翌日にはあっさりクリア出来てしまったりするものだし、と。
その時ノックの音がした。春は返事をしなかった。三回、コン、コン、コンという音がしたのは確かだった。でもそれは今手紙を書いている机から聞こえた。
猫は二匹とも主のいないベットで寝ていた。猫がいるからこの家に鼠が現れたことはない。口にするのもおぞましい昆虫はたまに出るが、そもそもそう言った類の音ではなかった。明らかに自分の存在を知らしめようとする意志を感じた。
思い切って引き出しを開ける。予想通り紳士の顔があって春はそのまま閉めた。
「芳生の方に行ってもらえる!? 私今日忙しいから!」
しかし再び開けてもらうまで諦めるつもりはないらしく、ノックはしつこく繰り返された。
「あちらの世界のお友達がピンチです」
仕方なく開けると今度は閉められない内に紳士は言った。
「現在あちらは最終決戦の最中でして」
「そういうことは早く言いなさいよ」
「助けに行かれますか?」
「いくよ。約束したしね」
「なら袖机の一番下の引き出しを開けて飛び込みなさい」
「……袖机ってどれ?」
「あなたの足の横にあるやつです」
言われた引き出しの向こうにはいつか見た暗闇が広がっていた。部屋の明かりもただ吸い込まれるだけのその闇に春はパジャマのまま飛び込んだ。
* *
「うおお。なんか超強いのキター!」
戦略シミュレーション自体が初めてで何度もゲームオーバーを繰り返していたね子は初めて勝機を見出していた。アマトで仲間になる巫女の能力値はプレイする度にランダムで、これまであまり良い組み合わせに恵まれなかったのだが、バグではないかと思うほどの能力値を持ったキャラが一人現れたのだ。
「蹴散らしてくれ巫女H!」
これまで苦労していた城の防衛機能である結界をワープして越えてくる魔物達は巫女Hの必殺技であっという間に消し炭になった。
「よーしよし! 褒めて使わす」
上機嫌になったね子は画面越しに巫女Hの頭を撫でさえした。
「凄いな君。ところどころナデシコの数値も凌駕してるじゃないか……。下手な人のための救済措置キャラなのかな?」
少し悔しい気もしたが、それでもこれ以上無駄な犠牲を出すよりマシだとね子は思った。
「さーここからが本番だぜー」
フィオミアは真の闇に突入し、戦いは休む間もなく第四段階に突入した。
* *
フィオミア城の地下、半円球の城の下部を通して地上を見るために作られた部屋は、かつて王族のみが立ち入ることの出来た聖域であった。
「この部屋にネコマの王が入ることになるとは、ディニクティス様も予想しなかったでしょうね」
「争っての結果ではないが、それでもこの国の最後をもたらすために来たことに違いはない。神罰が下るのも近いのかも知れぬな」
部屋の中心を挟んで向かい合わせに座る二人の足下には、渦を巻く光が見え始めていた。ナデシコの話によれば卵はその中心、一際明るい場所に存在する。
「ディニクティス様をフィオミアの民は神と崇めていましたけれど、彼は数多いる神の一人、全知全能からは程遠い存在です。しかも神の国を追われた身。これも彼が受ける神罰の内なのかも」
「異世界の女性に恋することは果たしてそれほどの悪事だろうか」
「人は皆、手の届かないものに憧れるもの。それが生きる理由にも死ぬ理由にもなります。私が思うにきっとそれは私達が神と呼ぶ者達も変わりはないのです。神の力を利用して届くべきものでないものに手を伸ばすことは、夢見る全ての者に対する重大な罪であると思いませんか?」
「ふむ……彼が求めた一人の女性に比べれば、我らが求める平穏などよほど可愛いものか」
照準光の中心。発射用意。その声と共に部屋全体が青白く光り始めた。




