嫌がらせにしては
震え始めた手を痛いほど握る手が離さなかった。いまさらに鼓動が早くなっていくのを感じる。
近道に選んだ細い道を車が塞いでいた。どこでも見かけるありふれたミニバンだった。それがブロック塀に突き刺さっていなければ。
「事故だ」という声が聞こえた。
強すぎる日差しの中を出歩く者は殆ど無く自分たち以外は死に絶えてしまったのではないかと思うほど人の気配のなかった周囲は、その風景に似つかわしくない大きな音に目覚め、幻想的な日常風景は、現実的な非日常風景に変わった。
「ありがとう」
混乱する意識の中で芳生はそれ以外の言葉を捕まえることができなかった。
同じように尻もちをついているね子は、車を見ていた呆然とした顔のままこちらを向いた。彼女の横では放り出されたビニールの買い物袋から液体が染みだして生暖かい地面を広がりながら吸い込まれていた。きっとピクルスの瓶が割れたのだろう。
いきなり予想外の力で後ろから手を引かれて転んだ次の瞬間、車は右の塀を斜めに抉りながら現れ、左手の塀を突き破りその向こうにあった家にめり込んでようやく止まった。
狭い道路が直角に曲がる場所で、確かに見通しの悪い場所ではあった。しかし、少なくとも芳生は、車を見る瞬間まで気配にも音にもまったく気づかなかった。
それが静音性に優れすぎたエンジンのせいなのか、味気ないコンクリートの壁のせいなのか、残された時間の短さを知っているかのような蝉たちの声のせいなのかは分からない。分かるのは、尻もちをついている自分のすぐ足先に、突如として動きを止めた車がある以上、もし後ろからね子が手を引いてくれなければ大変なことになっていただろうということだけだった。
「やってしまった……」
手を離したね子が呟いた。
「は?」
ね子は買い物袋を拾い上げるとそのまま来た道を走って戻り始めた。買い物袋の中で割れた瓶が鳴る音を聞きながら芳生はただ前を往く少女の背中を見ていた。
* *
手を繋いでしまった!
誰かに見られただろうか?
「ごめんね。怖かったね。もうこの道は使わないようにしよ」
大した怪我はないようだ。何はともあれ――よかった。
「瓶、割れちゃった」
「いいよそんなの。名誉の破損だよ。俺がそっちの袋持つよ。それにしても俺、車全然気が付かなかった。よく分かったね」
「分かったというか……」
問題は何か悪いことが振りかかるとしてそれが自分にとは限らないことだ。
メッセージに反した行動をとってしまった今、やはり伝えておかなければならない。
「芳生くんのところには変なメッセージは届いてない?」
「めっせーじ?」
「誰にも言って来なかったけど、勇者製作所に初めて行った日、夜机の引き出しを開けたらあったの」
「なんて書いてあったの?」
「その……『志塚芳生とは手を繋ぐな』って……。当然差出人も不明」
「手?」
「意味分からないでしょ?」
「関わるな、なら目の前で言われたことあるけど、手とは一体……」
私もオコに言われたが、あちこちで言われているのだろうか。
「だからあの時もし繋いだらどうなるのかなって……そしたら……」
もちろん本当に繋ぐつもりはなかった。”秘技手を繋ぐフリ”。 なーんてね、と一人ほくそ笑むただの遊びのつもりだった。
「ちょうど車が?」
「そう」
秘技を繰り出していなかったらきっと間に合わなかった。
「……警告かな?」
「まさか」
「ストーカーに心当たりは?」
「まったく」
「じゃあやっぱり紳士絡みか」
「それしかない気はするんだけど……」
「春はあの日ずっと家にいたしなあ……。いやでもあいつのアホさは計り知れないところがあるからな」
もしくは”処理”されたという情報屋か。
「ちょっとお手を拝借」
「ひい」
オコはきっとこういう話の飛び方が我慢ならないのだろうな。
「大丈夫これは繋いでるんじゃない。触れているだけさ……。むっ!?」
「なにか変?」
「擦りむいている」
地面に突いた部分がヒリヒリしているとは感じていたが、確かに微かにではあるが血が滲んでいた。
「それ以外は……運命線が二重螺旋だけど、普通、というかとても綺麗な手でいらっしゃる」
台詞はナンパのようだけれど、学術的調査をしているかのような口調だ。ひょっとすると手フェチなのかもしれない。
「ちょっと車とか飛行機が突っ込んでこないか見てて」
わお。これはどうしたことだ。
もうこれは言い訳のしようもない手繋ぎ状態ではないか?
「異常なし」
今死にかけたばかりなのに恐れを知らない。
「ちょっと目をつぶってて」
一体、何を
「バルス!」
何を崩壊させようとしたのだろうか。
「何も起きないね……」
それでも
「これからかも」
多分あなたは私に取り返しのつかないことをした。
* *
王たちの目の前で島が一つ消えた。
それは進路上に現れた初めての土地であり、つい今しがたまで気力も体力も水さえも尽きかけていた三人が不時着を試みようとしていた希望だった。
軽さ故、城のずっと前を行っていた気球がその島を視界に捕えたのは、何度試しても抜け出せなかった気流が急に勢いを弱めた時とほぼ同時刻。風に流され始めてから三日目の夕方のことだった。城から離れすぎた為に気流から外れたと判断した王は島への不時着を決断した。
しかしその島に着いたのは城の方が早かった。風が弱まっても慣性の強い城は、高度を下げ始めていた気球を追い越すと島の上空で止まり、丸い下部を青白く発光させ始めた。
「なんだ? 降りるにしては小さすぎると思うが」
「僕達に対する嫌がらせですかね」
「とにかく上陸するなら止まっていて風のない今が好機」
「上陸って、もちろん城の方デスヨネ」
「当たり前だ。お前この数日でサラマンダーの召喚だけは達人になっただろ」
「これならまだ砦の方がマシな理不尽さだったなあ」
気球が静かに光る月のような下部と同じ高さまにまで戻った時、城から島に向かって長く白い光の柱が伸びた。そして爆発。ディーが咄嗟に二人を掴んで籠の中に引き倒すと暴力的な風が気球を包み、その後に雷がいっぺんに百ほど落ちたような音が。
そして島は消えた。爆煙が立ち上る島のあった場所に海水が流れこんでいく潮の模様が見えるだけなのだ。
「ナンデソウイウコトスルノカナー」
「嫌がらせにしては壮大すぎるな」
「アマト戦用最終兵器ついに発見せり」
「僕もう、色んな意味で、限界です」
それからしばらくして、爆風が作った風の渦の余韻が、それまでのことが嘘のように優しく気球を城に運んだ。




