私達から見れば
見送りもなく一人驢馬にまたがって城を出た王は、初めての自由を満喫しながら迷いの森を越え、アマト外縁の山中にある砦を目指していた。
それはコラットの助言に従ったものだった。
「噂では砦を守る召喚士が勇者を名乗る男を召喚したそうです。これも神の思し召しやもしれません。アマトへ向かう前にお寄りになってみては」
「そうしよう。そんな胡散臭い奴に会わぬのは損だものな」
王はコンパスで確かめて、もうとうに見えなくなった城の方角を振り返った。出立のときコラットはいつまでも手を振ってくれていた。
「ご武運を」
短い見送りの言葉に王は初めて戦地に赴く兵の気持ちを味わった。戻れぬかもしれぬ。無論そのつもりはなかったがそう思った。
「疲れたか? だが急がねばならぬのだ。卵というものは割れやすいものだからな」
首を撫でられた驢馬は顔をわずかに左右に振った。徐々に強くなる向かい風の中、砦はまだ彼方にあった。
* *
県道から細い道を入ったところにある小此木家は後ろにに低い丘を控えていて、取り囲む緑や瓦の一つ一つがくっきりとした夏の光を白く跳ね返していた。敷地は垣根に囲われているが、隣の家まで畑や田んぼを挟んでいるため目隠しというほど密度の濃いものではなく、単に境界線としてその役割を担っていた。
風通しの良い敷地の中でも、純日本家屋造りの離れは特に傍目に涼しげに見えるのだが、その中ではもう身体の大きい子供たちが扇風機の風を奪い合って余計に暑がっていた。
「ねえクーラーつけようよー」
「風か? 風が欲しいのか?」
芳生がパソコンの排気口を春の方に向けると春は即座に蹴飛ばして方向を変えた。
「あわわ。お前なんてことするんだ。大丈夫? 怖いおねえちゃんでちゅねー。お詫びにもう少し熱くなったらアイスノンのっけてあげまちゅからねー」
パソコンに話かける芳生に春は一気に激昂した。
「お前もう帰れよ! 大丈夫、いなくてもゲームはちゃんと完成させるよ。あんたは遥か遠くで音楽だけつくって送ってくれればいいから」
「お前がどっかいけ。ここはばあちゃんから受け継いだれっきとした俺の家、マイホームなんだからな」
「またそれだ。そんなの老人が子供相手に適当こいただけに決まってんじゃない」
「馬鹿め。死んだらくれるって言ったのは確かだし、死人に口なしよ。そんなにクーラーが良けりゃ他のうちの子になっちゃいなさい」
「もーダメ。耐えられない。吉崎、私の部屋行こう。ここ気持ち悪いやつがいる」
「私は別に平気だけど」
「ダメ! はっきり言ってあなたぜんぜん平気じゃないの。ここにいたらもっとひどくなるよ」
「いいから春は宿題でもやってろよ。同級生が居るんだから分からないところがあってもいくらでも訊けるじゃないか」
「うちの大学生は当てにならないもんね」
「そうだぞ。俺なんか当てにしてたらろくな大人にならんぞ」
何一つ思い通りにならず、といって勉強をする気にもならず、春はプリントアウトされた序盤のシナリオをめくり始めた。
「ねえ、ナデシコはまだ出てこないの?」
「まだね。彼女は今幽閉されているの」
「ええっ!? なんで? 勝手に卵見に行ったから?」
「それもそうだけど、彼女は独断で卵のことを王様のところに伝えに行ってしまったの。だから巫女の偉い人たちはカンカンになって閉じ込めてしまったというわけ」
「悪いことしてないじゃん」
「私達から見ればね」
「じゃあ召喚士とかを仲間にした後、王様がかっこ良く救出だ」
「いずれ助け出しはするけど、しばらくは男三人で冒険させるつもり」
「え~~~。むさい、汚い、暑苦しい~」
「アドベンチャーだからあまり人数多いと会話が面倒なのよ。それにこの後王達は天空の城に行く予定なのに、彼女がいたらひとっ飛びで話が終わっちゃうもの」
「そんな理由で! ナデシコたんかわいそすぎ。いるか? そのどっかで聞いたような城」
「うーん。アマト直行だと面白くないかなって。まだ細かく考えてないんだけど……」
ね子の言葉が止まると、聞き耳を立てていた芳生と大喜の手も止まった。
「でも空飛ぶ城で王様が助けに来たらカッコいいでしょ?」
「ふーむ……まあいいわ。その調子で続けなさい。あまり深く考えずにパパっとねパパっと」
手を止めていた二人はふうと息をついて再び画面に何かを打ち込み始めた。
「あっ! あの呪文ってそういうやつだったっけ……」
会話が終えた後携帯をいじりはじめた春が彼女らしくない言葉を発した。
「どうした。なかなか中二っぽい呟きじゃないか。兄として嬉しく思うぞ」
「なんでもない。メールよメール」
「魔法使いに友達がいるのか?」
「いる。神様も一人知り合いにいるわね」
俺もいるわと芳生が言い。大喜が棒読みのようにハハハと笑った。
「小此木家の冗談は難しいわ」
ね子がそう言ったところで本宅の方から昼に呼ぶ声が聞こえた。子供たちは一斉に席を立って走りだした。最後に席についたものには罰ゲームが与えられるからである。
それは母親が放っておくといつまでも帰ってこない子供たちをしつけるために考えた業であり、遊びに来た子供に遠慮させないための業でもあった。
* *
「ナデシコ様。お食事です。こっそり一品増やしておきましたから」
「ありがとうオトメ。変わった様子はない?」
「やはり魔の物らの数が増えています。長老たちはそれすらもナデシコ様のせいにする始末で」
「あの方たちはずっと守ってきた。今更攻めろと言われても身体が動かぬのは仕方ないこと。さあもうお行き。あなたまで閉じ込められてしまったら戦う前に餓死してしまう」
「お兄様はきっと動いてくださいます。それまでのご辛抱です」
「わかってる」
牢獄に入れられこそしなかったが、極めて制限された自由の中でナデシコはそれを休息と捉えて無駄に足掻かず、殆どの時間を瞑想して過ごした。
時々忘れないよう教えてもらったおまじないを唱えると、その度短い時間だったが強烈な印象を遺した少女の思い出が彼女の静かな精神世界を跳ねまわってさざ波を立てた。
まるで春のような少女だった。憧れる。私は秋の花の名を持つものなれば。
そして母違いとはいえ、今はもう唯一の血のつながりである兄との思い出は、心の水面を揺らす全てのものを穏やかに鎮めた。
五歳で別れて以来だったが――あまり変わっておられなかった。
本来ならば会うことも許されぬ王に、兄妹の立場を利用して直訴した彼女を長老達が許すことはない。それを分かっていてなお彼女はアマトへ戻った。それがやりたいことをやった彼女が、しなければいけなかったことであったから。
あの二人がいる。そう思うと彼女には何の苦でもなかった。




