もしあなたが神なら
夜中に用を足しに立った大喜が部屋のドアを開けるとそこはどこか神殿のようなところだったので、彼はそのままドアを閉めた。
「俺の部屋どこ……?」
もう一度ゆっくりとドアを開ける。しかしやはりそこは月明かりの射すギリシャのなんとか神殿的な場所だった。
「紳士の仕業だな」そう思って真っ白な石の床に裸足のまま踏み出すと思いの外柔らかな感触だった。石が柔らかかったのではなく、いつの間にか自分の足が編み上げのサンダルに包まれていたのだった。それどころかTシャツもジャージもいつの間にか肌触りのいい白いローブに変わっていた。
もともと半分寝ていた大喜はそれを見て自分の意識に自信が持てなくなった。トイレに行ったはずだが、それ自体が夢だったのかもしれない。もしそうだとするとスッキリした気分の今、現実世界の自分はひどく惨めな状況に陥っている可能性が高い……。
そこまで考えて彼はどうでも良くなった。夢かそうでないか、済ませたのか漏らしたのか、そんなことはこの美しい光景の前ではどうでもいいことのように思えた。
そこは大きな円形の構造物だった。周囲に壁はなく、ちょっとしたビル位の高い位置にある天井を等間隔の柱が支えていた。高い場所にあるようで柱の向こうの空間には、銀河鉄道で目の当たりにしたくっきりとして無慈悲な美しさではないにせよ、余計な明かりでぼやけていない美しい星空が広がっていた。
淵まで行って景色を眺めようとして、始めに立っていた位置からは柱に隠れて見えなかったが、そこに男が一人いることに気付いた。後方の大喜には気付いておらず、星空に向かって突き出た展望台のような場所に備え付けられたテーブルセットに腰掛けて、何事かを思案しているような様子だった。
「考えるのだ。もし、私が、神なら」
すぐ後ろまで来ても彼は一人でブツブツ言いながら顎に手を当てていた。大喜は彼の視線の先にチェスのようなボードゲームがあることに気付いた。
「あれ、その駒の形……」
盤面を詳しく観察した大喜は思わず声を出した。男は振り返って「誰か!」と叫んだ。
「それ俺が考えたミニゲームじゃないか。本編より好評だったという……」
チェスとは各駒の動きが違い、特に王はどこに置くのも自由だが最初に置いた位置から動かすことはできなかった。相手の駒を獲ることは出来ず、駒の着地点に敵がいた場合は移動が出来なかった。さらに一手毎の制限時間が五秒から三十秒と短く、時間を越えた場合は手番が相手に移った。
制限時間についてはゲーム進行をスピーディーにさせるためと、こういったゲームが苦手な人向けにあとから追加したルールであった。そんな苦労を思い出しながら大喜は懐かしく盤面を眺めた。
「創った? このゲームを……?」
声で予想はしていたが、若く知性的な印象の男だった。金色の髪は耳の横で切り揃えられていささか坊っちゃんといった風ではあったが、頭のなかでめまぐるしく何かが動いているであることは目の動きが物語っていた。
「どこから来た」
「あそこの扉から」
指差す方を見た男はもう一度大喜を上から下まで見た。
「もしや……天……使?」
「え? そう見える? やっぱり分かる人には分かる光り輝くオーラが――」
「見えませんが、我が王家にはその始まりから、未曾有の国難において天から助言をするものが遣わされるという言い伝えがあるのです。そしてその降臨場所こそあの扉の内側」
振り返って出てきた場所を見た。公衆便所程度の白い立方体には見たところ扉以外窓も通風口も無かった。天使ともあろうものがなぜ豆腐みたいな建物に降臨しなければいけないのかわけが分からなかった。
「助言って……俺そんな大層なモンじゃないけど」
「では賊か」
「バレちゃあしょうながい。そうです私は天使です」
「やはり」
男はたおやかな衣装を翻して片膝を突き、頭を垂れた。
「ちょ……そういう堅苦しいのやめにしようよ。せっかくだから気楽に一局打とうぜ~。久しぶりだなあ」
「神より伝えられたというこのゲームを天使様とできる日が来るとは! …………ああ……ということはやはり今は未曾有の危機なのだなあ……」
「なんだかひどくお困りのようで……」
「申し遅れました。我は冬の王ミケ三世の息子、春の王タマと申すもの」
「あーミケ君の~。…………ってここ……ネコマ王国?」
「左様です」
やはり夢なのかと残念に思うと同時に、そういうことなら自分が神に近いものというのもあながち的はずれな設定では無いように思えた。ネコマ王国は以前創ったシミュレーションゲームの舞台だったからだ。ボードゲームも当然そのゲームのために考えたものだった。
展望台の淵まで歩いて行き眼下に広がる城下町を眺めた。ゲームで見覚えのある高い鐘楼が遥か下に見えた。二つの月が遠くまで続く家々を照らしていた。
「ここまで繁栄したのか」
「はっ。すべて神の思し召しあってのこと」
大喜はすっかりその気になった。
「うむ。嬉しく思うぞ」
「そのお言葉父が聞いたらさぞかし喜んだことでしょう……」
「えっ。ミケ死んじゃったの……?」
「三年前の夏に……」
「そうか……」
自分の作ったキャラクターの死の知らせを聞くのは奇妙な気分だった。
ハッピーエンドを迎えた王も無常の波からは逃れられ無かったということか。せめてもっとまともな名前をつけてやればよかったと神を自称する男は思った。
「ではこの俺がミケに変わって相談に乗ってやるとしよう。ゲームをやりながら、ね」
大喜が先行の白い駒を、タマが黒い駒を持った。尊大な気分になっていた大喜は、仲間内での勝率はかなりのものだったという自信もあって「全力でこい」と言った。そしてすぐそれを後悔した。
「巫女がアマトで……」
「ほうほう」
「天空に浮かぶ城の目撃があいついでおり……」
「うむむ……」
神らしく堂々と行こうじゃないかと王を最後列ど真ん中に置いたのが響いて防戦一方となったの大喜は、盤面に集中して相談の半分も大喜は聴いていなかった。そもそも相談の内容が他のゲームの地名は出てくるわアニメで見たような話だわで、まじめに聴く気にもなれなかった。
いよいよ追い詰められた彼は神らしく威厳を保ったまま逃げる手を思いついた。
「もし、君が神なら」
大喜はおもむろに自分の王の駒を掴むと一マス前へ進ませた。
「やりたいようにやるだろ?」
タマの真意を図りかねるといった視線に満足した大喜は続けて言った。
「君はこのゲームの王様じゃない。どこへでも行けて何だってできる。つまり……――そういうことさ。じゃ俺そろそろ帰るんで……」
「あの……」
大喜は振り返らずに天使が降臨するという部屋のドアを開けた。
「さすが。あなた達は実に上手く穴を閉じる」
逃げ延びたと胸をなでおろす間もなく紳士の声がした。いつの間にかそこは自分の部屋で、暗闇の中、最近はあまり使っていない勉強机の椅子に声の男は足を組んで座っていた。
「一応訊くけど……これは夢ですかね?」
「現実です」
「悪夢だね……まったく」
* *
一人残された王は言われたことを反芻しながら盤面を見た。
「なるほど」
盤面の王が一マス前に動いたことで局面は一気に逆転していた。王は神の使いがしたように展望台の端まで歩いて行って町を見、月を見た。




