たくさんのあなたを死なせて身につけた知識で
紳士の話を聞いた後も他の三人に比べて春はまだ呑気だった。たしかに面白い手品だったけれど、と彼女は思った。紳士ぶったあの男が本当のことを話している保証はないじゃない。あいつらが締め切りを落としたくらいで世界が滅ぶなら、そんな世界は滅ぶべきよ。
ね子が集中してシナリオに取り組むために家に帰り、夕食の後もこれまでになかった悲壮感のようなものを漂わせながら作業を続ける彼女曰くバカ二人を尻目に、彼女はゆっくりと風呂に浸かり、夏休みの宿題にすぐ飽き、テレビを見ながら二匹の飼い猫が逃げ出すまでこねくり回し、逃げ出すと外まで追いかけるといったいつもどおりの生活を送った。
「おーい。もうしないから出ておいで~。嘘だけど~」
べったりとまとわりつく空気の中で夜の虫が涼し気な声で鳴いていた。田んぼではカエルが、山のほうからはまだ蝉が暑苦しく鳴いていた。春はパジャマの襟に指を入れてパタパタと空気を入れながら離れの方を見た。植木で作られた小径の向こうに翻るカーテンは黄色い光を受けて微かにはためいていた。人が動く気配も、テレビのめまぐるしい光もなく、会話も何も聞こえてはこなかった。
春はバカじゃないと口に出しそうになるのを危うく留めた。彼らのことをバカと言うのは(ましてや一人で)、暑いから暑いという以上に意味のないことに思えてアホらしくなったからだ。
家に戻りかけたとき植え込みの影から猫が飛び出した。それは家の猫ではなかった。耳と尻尾が黒くシャムに似ていたが顔も含めてそれ以外の部分は真っ白で顔も丸く、彼女を見て一つ鳴いた声は彼女の猫達に比べ低かった。
「見かけない子だねえ。どこから来たの? あんたのその模様ってまるで――」
猫は最後まで聞かずに、さっき探したときに少し開いたままになっていた物置の戸の隙間に滑り込んでしまった。
「コラー。でてきなさい。出てこないと食べちゃうぞ~。本気だよ~」
いつもの物置の匂いがしないなと思った次の瞬間、春は大きく体勢を崩した。敷居を跨いだ足があるはずの床に触れなかったのだ。まるで彼女が授業中に見る夢のように、あるべきもののない恐怖と共に、彼女は闇の中を真っ逆さまになって落ち始めた。彼女は衝撃に備えて身体を縮こまらせた。
* *
落ちているのは確かだった。しかし一向に底にたどり着かなかった。少し冷静になった彼女は自分の着ているものがパジャマにしてはいやに豊かに風を受けているのに気付いた。恐る恐る目を開いた彼女の顔を翻る袖が叩いた。足を見るとそこはたおやかに赤い袴が翻っていた。
「巫女服!?」
これ着てみたかったんだよね。ああでももうすぐ私は死ぬんだわ。死に装束ってこと? まさか地獄行きなのかしら。いつ地面にたたきつけられるかという恐怖とともに彼女はそんなことを思った。風圧で目が開けず、落ちる先はろくに見ることはできなかった。
「そうか! これもきっとアイツの仕業!!」
非協力的で反抗的な自分をまず最初に始末しようというつもりか――。
「ゆるさん! あのクソ紳士ィーーーーー!!!!」
怒りに任せて精一杯叫んだ瞬間、春の身体全体から光の柱が落下方向に向けてほとばしった。
「何? 今の??」
身体を見回していると、足先の空間を上から急速に追い付いてくる光が見えた。それは先ほどの強烈な光とは違ってもっとぼんやりとしていた。春は仰向けになってそれを見た。表面積の多い服で落下速度が多少緩んだのか、それは相対速度を増して彼女を追い抜いた。振り返ろうとした彼女は突然何かにぶつかった。彼女は再び目を閉じ身体を強ばらせたが痛みはなかった。
「ろくに飛べもしないものがこんな所で何をしてる!」
それは若い女性の声だった。春は目を開けて彼女に抱きかかえられていることを知った。
「……あなた誰? ここどこ?」
言いながら春は、その人が同じ巫女の装束をまとっていることに気付いた。
「魔物にやられて記憶が飛んでるのか……」
突然彼女は春を抱えたままものすごい速度で横に移動し始めた。必死でしがみつきながら春は目の端に何者かを見た。知らぬ間に近づいてきていたらしい怪談話にでてくるようなそれは、それまで彼女たちがいた場所で自分の手が空を切ると恨めしげにこちらを見ていたが、こちらの移動速度を見て諦めたのか、あっという間に遠ざかって闇の中に消えた。
あれはまるで…………そしてこの人も――。春は何かを探すように飛ぶいい匂いのする女性を見た。
「ねえあなたひょっとして……ナデシコ?」
「『様』をつけろこの未熟者!」
とたんにデコピンが飛んできた。額をさすりながら春はそれでも彼女を見つめていた。長い髪はうなじの下あたりで紙で束ねられ闇の中でなお黒くなびいていた。大きな目、丸みを帯びた頬、もし紅を引いていなかったらもっと幼く見えるかもしれないその顔に春は見覚えがあった。
春は目の前にあった彼女の胸のあたりをぺたぺたと触った。
「……何を?」
「本物のナデシコ……様なら胸は小さい設定だから」
「……いつも胸の大きさで他人を識別してるの?」
「いや、私も初めてだけど」
「落とすぞ」
本当に放り出されて上げた悲鳴はすぐに苦痛の声に変わった。
「そんなに広くないから気をつけな」
春は尻もちをついたのだった。尻をさすりながら見回してみると、いつの間にか目の前は一面壁で、彼女たちがいるのは壁からテラスのように突き出た岩場であった。
「よくそんなのでアマトに突入しようと思ったものね」
「……やっぱりここアマトなんだ?」
「まさか知らずに飛び込んだの? 見たところ一応巫女のようだけど……」
「放り込まれたの! 紳士ぶった悪の化身に」
「人に化ける魔物? そんなのがいるのか……。それに不意を突かれた、というわけ?」
「まさにその通り! 今度会ったらギタギタのグッチョグチョにしてやるー!」
「怪我は大したことなさそうね……私は偵察の任務があるから行かなきゃいけないんだけど、大丈夫? 一人で帰れる??」
「帰れるわけないでしょー!? 私か弱い女の子なんだから崖登るとかムリムリ」
「やっぱりちょっと頭がおかしいのかな」
「なんだと?」
「間違えた。記憶、ね。放り込まれる前に頭でも殴られたんじゃない? その装束をまとっているものなら飛べないはずがないんだけど……」
「あ、ホントだ」
彼女と同じ薄い光の膜が春を覆い、彼女はフラフラとではあるが浮き上がった。足場の上から飛び出すときこそためらったものの、すぐに深海で踊るイルカのように闇の中を自由に飛び回り始めた。
「頭が――じゃない記憶がおかしくなっても身についたことってそう簡単に忘れないものなのね」
「すごいすごい! やっぱりここってアマトなんだ!」
「だからさっきからそう言ってるでしょう? さっきから本当に会話がアレよね……。記憶が前後してるのかしら? 気弾は出せる?」
「どうやって出すの?」
「えー? 私物心ついた頃から普通に出せたからなあ。人差し指と中指をまっすぐ伸ばして『えいっ』ってやると出るんだけど……」
「えいっ」
指から発生した光の玉は、壁を砕いてナデシコの上に小石を降り注いだ。
「……うん。仲間がいる方に撃っちゃダメよ。気砲はどう?」
「どうやれば?」
「えーと、とにかく『コンチクショー!』ってかんじで……あ、あっち向いて撃ってね」
「ああ……それならさっきやったわ」
「そういえば尋常でなくぶっといの撃ってたわね。あれ気砲だったんだ」
「うん。私才能あるのよ」
「ま、戻る分には大丈夫そうかな」
「私も行くわ。偵察」
「え? 絶対帰って頭看てもらったほうがいいと思うけど……」
「このまま帰るなんてもったいない。こう見えて私世界で一番ここに詳しいんだから」
夢に見るほどにやらされたシューティングゲーム『AMATO』。どういう訳かはしらないけれど私は今、その世界にいる。
「それが本当なら心強いけど……ものすごい不安だなあ」
この大穴で私に敵はいない。
「ヨユーヨユー。今度は私があなたを守ってあげる番よ」
たくさんのあなたを死なせて身につけた知識で。
この話はできるだけ早く、せいぜいあと一ヶ月程度で終わらせる予定です
いろいろ荒々しいですがお付き合いいただければ幸いです




