其の四
浩介が最初に聞かされたのは、天上界という存在についてだった。
そこでは神様が沢山暮らしているらしい。そして、過去に大きな戦いがあったという。その戦いの原因は、一人の女という事だった。
「阿修羅王の娘で舎脂って子がいたのよ。そこにいる桃華の姉ね。もう一つ言うなら、瑠璃の母親でもあるのよ」
その舎脂という娘が帝釈天に拐われた事が発端らしい。娘を奪われた阿修羅王は単身で帝釈天の元へ向かったという。
「それで話がすめば良かったのだけどね、そうはならなかった。舎脂は阿修羅一族の次期王となる予定だった。それが拐われ、一族が動かない事はありえないってなったのよ。こう言ってはなんだけど、阿修羅一族って戦闘狂なのよね。それを止めるには須弥山の神々が動かなければなかった。まぁ、私は動かなかったけどね」
戦況は阿修羅一族が優勢だった。だが、それを覆す出来事が起こる。
「阿修羅王は自軍を抑えるのに必死だったわ。それを一瞬で止めたのが舎脂。彼女は帝釈天と共に阿修羅一族の前に姿を現した」
そこで、舎脂は帝釈天の后になると宣言した。そして、自分は拐われたわけではなく、自らの意志で帝釈天の元にいると。
「実際、拐われたのか、自ら降ったのかは本人しか分からない。でも、阿修羅一族を動揺させるには十分だった。帝釈天はここで退けば罪を問わないと言ったのだけど、一度振り上げた拳を下げる事は出来なかったみたい。阿修羅一族は舎脂を裏切り者として戦を続ける事にした」
いくら阿修羅一族が強いと言っても、須弥山の神々には敵わない。攻撃を開始した帝釈天の軍は圧倒的な力で突き進んでいく。
「まぁ、戦う理由を失くした軍なんて烏合の衆。後付けの理由では統率もなにもあったものじゃないわ。ここでどんな理由であれ、阿修羅王が帝釈天を討ち取っていれば色々変わっていたのかもしれないけど、そうはならなかった」
「阿修羅王ってのはそんなに強いのか?」
「えぇ、個の武で言えば如来部と同等って話よ。本当かどうかは知らないけど。少なくとも須弥山で勝てる者なんて一人もいないでしょうね」
阿修羅王は降伏を申し出て、一族の身の安全と引き換えに修羅界に堕ちる事を了承した。
「この話は浩介ちゃんには関係ないけど、ここにいる子達が深く関係しているので、一応聞いてもらったの。――そして、ここからが本題」
「長い話だし、ちょっと難しいな。オッパイと尻に当てはめて説明してくれ!」
「は・な・し・つ・づ・け・る・わ・よ?」
「は、はい……お願いします」
つい先日、阿修羅王と帝釈天は久しぶりに会ったという。その理由は兜率天で修行をしている弥勒菩薩からの文だった。
「兜率天って何だ?」
「天上界は大きく二つに分かれているの。私達が暮らしている地居天、菩薩部や如来部、明王部が暮らしている空居天ね。その空居天のうちの一つが兜率天よ」
その文に書かれていたのは、
――我が煩悩の一部が人間界に住む者に宿ってしまった。至急監視せよ。
この一文を見た帝釈天は、自らの娘である瑠璃に監視の任を与えようと思っていた。
「ここからは、私がお話させて頂きます」
名前が出て時点で自分が話そうとしていたのだろう。吉祥天は、後は任せたと、軽くポンポンと叩いた後、奥の間へと消えていく。
「私は母様に妹がいることを知っていました」
「その言い方だと、会ったことはなかったって事だよな?」
「はい。私も、そこにいる桃華お姉様も、ついでに炎輝も、先の戦いの後生まれましたので」
「ふん!」
どうやら桃華はお姉様として扱われるのが不快のように見える。瑠璃は少しだけ悲しい顔をした後、話を続ける。
「私はどうしても会ってみたかった。だからお父様にお願いしたのです。人間界に行くのならば桃華お姉様と一緒がいいと」
帝釈天は二人だけでは無理があると、もう一人同行するならいいだろうと、たまたま喜見城に滞在していた迦楼羅王に頼んだらしい。
「僕は喜んで承りました。人間界に興味がありましたし」
「ふむ、炎輝はいいとして、桃華はよく了承したよな」
「……私は天上界に上がって自分の弱さを思い知った。最初は帝釈天をこの手で斬るつもりで天上界に上がった。でも、須弥山の麓でそれが慢心だと知った」
「何があったんだ?」
「須弥山を登るには四方の門のいずれかを通らなければならない。そこを守護しているのが四天王と呼ばれている四人の神々だ。東勝神州を守護する持国天、南セン部州を守護する増長天、西牛貨州を守護する広目天、そして北倶廬州を守護する多聞天の四人の事で、私達は多聞天が守護する門を通ってきたのよ」
「ほう――戦って負けたとかか?」
「いいえ、戦いにすらならないと悟ったのよ。私は多聞天の姿を見て震えていた……動くことすら出来なかったの。私がここにいるのは強くなるため!」
「ここにいて強くなれるのか?」
「分からない……でも修羅界に帰っても強くはなれないと思った」
「僕は色んな事を学ぶため――」
「あっ、男に興味はねぇ」
ガクッと項垂れた炎輝は部屋の隅に移動する。
「何となく関係性も分かった。自分が目を付けられている理由も分かった。それを踏まえた上で、一つだけ言わせてくれ」
「はい、何でしょう?」
「腹が減った!」
地響きの様な腹の音を鳴らしながら訴えると、奥の間から吉祥天の大きな笑い声が聞こえてきた。