其の二
まったく、六月が始まったばかりだというのに、今日は真夏の様に暑い。少し歩いただけで体中から大量の汗が溢れだす。夏で良いところなんて、女性が薄着になる事だけだ。
すれ違う女性を名残惜しそうに視姦する。その行動故なのか、この男の周りに女性はあまり寄り付かない。
だが、そんな事はどうでもいいのだ。自分がすべての女性を愛でている事が重要。それがこの男、御堂浩介の信念なのだから。
二メートル先には、会社に向かう途中なのだろうか、タイトスカートの女性が臀部の肉を揺らしながら歩いている。
「プリッ、プリッ、プリンッてか!? たまんねぇなおい!」
臀部に導かれているのか、ついつい通学路を離れてついていってしまう。
毎回こんな調子で、なかなか学校に辿り着かないのだ。
「おいおい、そっちだと学校に辿り着かねぇぞ?」
ドラッグスターの排気音と共に近づいてきた男が声を掛けてくる。
「うるせぇな……ったく、人が楽しんでいる時に汚い声を聞かせるんじゃねぇよ!」
「あの、……えっと、……ごめんなさい。ほら、お兄ちゃんも謝って!」
ずっと臀部を見ていた影響なのか、併走していたドラッグスターに今更目を向けると、後部座席に色白でショートカットの可愛い女の子がチョコンと座っている。
大きなヘルメットがズレてくるのか、しきりに目が隠れないように上げている仕草がとても可愛い。
「おっ、真美ちゃん! 今日も可愛いね。それじゃあ、今から遊びに行こうか!」
「ふぇっ!? えっと、……あの、……はい」
普段から声の細い子だったが、さらに細い声で返事を返してくれる。
「何言ってんだ? 久しぶりの学校だろ? こんな奴の相手をする必要はない!」
「相変わらずシスコンだな、守」
紅林守と、その妹の真美。十年来の友人だ。知り合ったのが、浩介の母が入院していた病室で、同じ部屋に真美がいた事から交流が始まって今に至る。
「ほっとけ。その可愛い妹様が、お前の後ろ姿を見つけたんでな、サボらないように注意しにきたんだよ」
「ふむ、真美ちゃんが言うなら、ちゃんと学校へ向かうとしよう」
「うん! ありがとう、浩ちゃん」
「お、おう――何回聞いても、その呼び名はこそばゆい」
「照れるなよ、浩ちゃん!」
「…………埋めるぞ、この野郎!」
一瞬、バイクを蹴りそうになるが。グッと堪える。
後ろには真美が乗っているし、それよりも、このドラッグスターは守の父親の形見なのだ。
「真美ちゃんもそうだけど、お前も登校なんて珍しいな」
この二人は殆ど学校に顔を出さない。真美は病弱で入退院を繰り返し、守は亡くなった両親が営んでいたバイクショップの若社長で学校どころではないのだ。
「あぁ、もうじき夏休みだし、その前にケジメを付けようと思ってな」
そう言って懐から退学届をチラつかせる。浩介はそれを見てため息を漏らした。
「そんな顔するな――それに明日からまた入院だしな。最後ぐらい一緒に行こうと思ってさ」
「そうなんだよ! 私、お兄ちゃんのバイクに乗せてもらったの初めてなの!」
浩介は、ブカブカのヘルメットをこねくる様に真美の頭を撫で回す。
やめてよ、目が回るよ、と言いながら浩介の手の動きに身を任せていた。
「んじゃ、ウオッチングはお開きにして学校に行くか」
「おう、また学校で」
「バイバイ、浩ちゃん」
二人はしばしの別れと、バイクで学校へと向かっていった。
オフィス街から名残惜しそうに通学路へと進路変更をする。今度は正面から大人の女性を見る事になるのだ。沢山の誘惑を打ち払いながら、なんとか学校へ続く道に辿り着く。
「はぁ、はぁ、……はぁ、ヤバかったぜ。無意識に手が、――危うく犯罪者になる所だった」
そんな危機的状況を打破したかの様に見えたが、今度は眩しい程の夏服! 夏服! である。
膝裏を眺めていると太腿の見える面積が大きくなったり、小さくなったりで、思わずむしゃぶりつきなくなる。
「ふむ、スカートを生み出した人には感謝の言葉しか浮かばない」
一人で納得して、うんうんと頷いていると、いきなり視点が地面に変わる。その後、後頭部に鈍痛が襲いかかってきた。
「朝っぱらからなに馬鹿な事を言っているのかな――後輩君?」
「そ、それは、性を与えてくれた神様に感謝してだな――グハッ!」
レバーにいいのを一発もらってしまい、思わず雑魚が殺られる時の様な声が出てしまう。
「相変わらず煩悩まみれですなぁ。で、改めて、おはよう」
「はい。おはようございます、乳宮先輩――ウグゥ!」
再び同じ場所に拳が入ってくる。
「杉宮でしょ? 後輩君?」
「は、……はい。そうでした。杉宮先輩、今日もいい乳してますね。思わず揉みしだきたくなりますよ」
「その手はストップ! まったく、一年の時から何も成長してないわね」
「失敬な! 俺だって成長していますよ!!!」
と、言葉を発すると同時にベルトに手をやったが、即座にそれは阻止されてしまう。
「はぁ、……後輩君は普通にしてれば、それなりにモテるでしょうに。――どうしてそんな奇行ばかり繰り返すのかなぁ」
「何か、前にも同じ様な事言われた気もしますが、答えましょうか?」
「いいわよ……本能の赴くままってやつでしょう」
「Exactly!」
「でも、女の子に、愛人になってくれって所構わず言っているのはいただけないわ」
「それは仕方がない。愛人ならば沢山の女性を愛する事が出来る。本命を沢山作るよりは道徳的だと思わないか?」
「…………」
「おい! 何か答えてくれないと、まるで馬鹿なことを言っているみたいじゃないか!?」
「馬鹿なのよ。そう言えば、私にも愛人になれって言い寄ってきた事もあったわねぇ」
「当然だ! 乳宮先輩の乳を見て欲情しない男なんていない! まぁ、彼氏がいると聞かされれば、諦めるしかあるまい。その、人を惑わす乳を彼氏のためだけに使えばいいさ!」
「あんた、乳の事しか言わないわね!」
「馬鹿を言うな! 乳宮先輩は乳がなくてもいい女に決まっているじゃないか」
「うっ、……ば、バカッ! 何躊躇なく言っているのよ――これだから、……」
杉宮は赤面しながらブツブツと何かを言っている。
晴れ渡る空の下、くだらない会話を続けながら学校へと近づいていく。
雲一つない青空のはずだった。つい先程までは。
最初に気づいたのは、他の生徒だった。空を見つめながら騒ぎ始めている。
浩介自身はそういうのに興味はなく、携帯を空に向けている生徒たちを見ても、空に興味を示すのではなく、手を上げている時の制服の脇を気にする、そんな男だった。
ところが、隣を歩いていたはずの杉宮が腰を抜かしたのか、地面にへたり込んでいるのを目にして、慌てて手を差し伸べる。
「どうしたんです? もしかしてお漏らしとかですか?」
杉宮を見下ろした時に初めて、辺りが影に覆われている事に気づき、空を見上げる。
見上げた浩介が目にした物は、炎を纏う大きな鳥だった。自分の上を幾度と無く旋回しているのか、浩介の周りだけ影で覆われてしまっている。
「……鳥? いやいやいや、燃えているじゃねぇか! ってかデカすぎね!?」
杉宮の手を引っ張って走ろうとするが、足がもつれて上手く走れない。仕方なく抱きかかえる事にした。
「先輩、ごめん」
所謂、お姫様抱っこというやつだ。校門へ向かって一気に走りだすが、大きな影から抜け出す気配がない。立ち止まり、空を見上げてみると、浩介の後を追っているか、ピッタリとついてくる。
「ふっ、……あの鳥はメスだな。俺も罪なやつだ――先輩、ビビってる姿も可愛かったぜ! 俺が囮になるから、先輩は早く校舎に行ってくれ! 一人で大丈夫だよな?」
杉宮をゆっくり下ろしながら、少しだけ尻の感触を味わう。「すまん、彼氏君!」と心の中で懺悔しながら、浩介は校門とは反対方向に走りだした。
予想通りといっていいのか、案の定、巨鳥は浩介の後を付いて来ている。
「くそっ、こえぇよ! マジこえぇよ! 何なんだよ!? 俺が何かしたってのか?」
走りながら今までの人生を振り返ってみる。
「……心当たりが多すぎて分からねぇぇぇ!」
どの位走ったのだろうか? 流石に体力の限界が近づいている。人は窮地に陥ると火事場のクソ力という特殊能力が発動するらしいが、スキルの取捨選択時にそれを捨ててしまったのかもしれない。浩介はそう思いながら座り込んでしまう。
「はぁはぁ。はぁはぁ。――も、もう無理」
取り敢えず、人通りの少ない郊外までたどり着いた。後はなるようになるだろうと、自分の上で飛んでいる巨鳥を見つめていた。
呼吸が整い始めた頃、巨鳥の上に二つの人影が見える事に気がつく。と、突然ずっと見ていたはずの巨鳥の姿が消えた。
消えたというより人の姿に戻った風にも見えた。何故なら、先程まで見えていた人影が三つに変わり、それがこちらに向かって落ちてきているのだ。
地震が起きたのかと錯覚するような振動と共に、三人の人間? が近づいてくる。
一人目は、露出度の高い鎧を纏った、燃える様な赤髪を靡かせた女の子。手には、銃刀法違反で即捕まってしまいそうな刀を手にしている。
二人目は、着物なのだろうか? ちょっと違う気もするが、清楚な感じがする黒髪の女の子だ。日舞とかが似合いそうで、いかにもお嬢様という感じがする。
三人目は、子供だ。男か女か分かりづらい中性的な顔で、浴衣っぽい服を着ている。手には縦笛……いや、横笛を手にしていた。
「な、何なんだよ? お、俺に用なのか?」
そんな浩介の言葉に耳を傾ける事もなく、
「瑠璃、こいつで間違いはないのよね?」
「はい。間違いありませんわ、桃華お姉様」
「炎輝、なに縮こまっている?」
「この様な目立つやり口で、本当に良かったのでしょうか? 僕の姿、沢山の人間に見られてしまいましたよ?」
三人の会話を聞いて分かった事は、赤髪の名前が「桃華」黒髪の名前が「瑠璃」子供の名前が「炎輝」という事、そして高確率で人間ではないという事、そして浩介自身が目的だったという事だった。
人外かもしれないと思った途端、言葉が上手く喋れなくなる。口をパクパクさせながら、声にならない声をあげている。
少し身体を動かすと、桃華が手にしていた刀が浩介の喉元に向かって振り下ろされた。その瞬間、身体が硬直すると共に、停止していた思考が動き出す。
「お前が御堂浩介で間違いないのだな?」
正直、女性優位のプレイは嫌いじゃない。むしろ好きだ。だが、それはお互い納得した上で成立されるものなのだ。今の状況は女性優位ではなく、一方的に責められ、浩介はそれに納得をしていない。これではこの状況を楽しめない、興奮出来ない。
先程まで未知の者に怯えていた浩介だったが、これはプレイじゃないというくだらない理由だけで、怖さという感情を払拭した。
「痛いプレイは嫌いじゃない! だが、俺の許可を取るべきだと思わないか!? 今のままだとただのイジメじゃねぇか! それに、このままプレイを続行するなら、俺を緊縛するのが道理というものだろうっ!?」
「お前は何を言っている? 瑠璃、分かる?」
「申し訳ありません。まだ、人間界に来て間もないので。……」
炎輝も首をブンブンと横に振るだけだ。
「ほぉ、お前達は人間じゃないのか。それはいい事を聞いたぞ。ならばっ!」
浩介は喉元に突きつけられた刀をかいくぐると、一気に桃華にタックルをかます。突然の行動に驚いた桃華はあっさりと倒されてしまった。
マウントポジションを取った浩介は、
「ふふっ、…………ふははははっ! 俺は今からお前の乳を揉みしだく! これが人間相手ならば、俺は淫行条例に引っかかってしまうだろう。だが、相手が人間じゃないのならどうなる? あぁそうだ! ノープロブレム!」
鎧の隙間に手を入れようと頑張るが、なかなか上手くいかない。
「あっ、……いやっ、……な、何しているのよ! そんな欲望まみれの手で、……んんっ!」
艷っぽい声を出しながら悶えている。その声が浩介のスイッチに触れたのか、浩介の行動を更に加速させていく。
「汚らわしい手で桃華お姉様に触れる事、許しません! ナウマク サマンダ、――」
「ダメです! それはダメです! 瑠璃さん! 瑠璃さん!!!」
瑠璃が何かを唱えだした瞬間、炎輝は慌てて瑠璃に飛びついて止めようとする。
「――そうですわね。そもそも私には使えないでしょうし。怒りで我を忘れていたようです。では、――行け! 〈光矢〉!」
瑠璃の手に持っていた何かから、無数の光が矢の形になり浩介に向かって飛んで行く。
「威力は弱めていますから死にはしませんよ」
「うがぁぁぁぁぁ! いてぇ! いてぇ!!!」
背中に刺さったであろう無数の矢はすでに消えていて、傷口すら見当たらない。だが、相当痛いのだろうか、浩介は桃華から離れてゴロゴロのたうち回っていた。
「ちょっとやり過ぎた感が否めませんが、桃華お姉様に手を出すのがいけないのです。今後、お気をつけ下さい」
軽く一礼している瑠璃だったか、浩介はただ無様に転がっていたわけではなかった。頭を下げた瑠璃の視線が浩介の視線と重なる。
「へへっ。痛いお仕置き――ありがとうございます……ってか? こっちは命の危険を感じているんだよ! ならば、仮に死んだとしてもやりたいと思った事は、――」
瑠璃の両足首を掴んだ浩介は、力一杯引きつける。
「やる主義なんだよ!」
倒れた瑠璃の足元から蛇の如く絡みつきながら上半身へと進んでいく。
「ひゃっん! き、気持ち悪い! 離れなさい! 離れなさいってば!!!」
「さっきと違って、この服は触りやすい! では、――いざ、山頂を挟みたく思いますっ!」
スルリと胸元へと手を滑らしていく。
「こ、この不埒者! 止めなさい! んんっ、……このザラザラした感覚が人間の欲望なのかしら? はぅん、……はぁ、……ぁぁ、……」
「ほほう、こちらもいい声を出しますなぁ。――って、あれ? 浮いてる?」
押し倒したはずの瑠璃がどんどんと遠ざかっていく。はっと振り返ってみると、炎輝が襟首を掴んで飛んでいた。
「!? んだっそれ? 羽? 翼?」
「これはね、翼だよ。僕は迦楼羅一族だからね」
「ちっ、カルラだかカルメラだか知らねぇが、このまま俺を落としてグチャってする気だろ? くそっ、俺の人生もここまでか。……思い残す事ばかりだが、最後に大きな乳と小さな乳を堪能したことでヨシとするか」
「そんな事はしないよ。それにあなたはその程度では死なないはず」
「どういう事だ?」
「それを説明するはずだったんだけど、――まずは僕達の話を聞いてくれますか?」
「ふむ、そもそも今の俺に選択権はない! 出来れば早く降ろして欲しい。俺、高所恐怖症の気があるみたいだ。ちょっとだけ漏らしてしまったかもしれん」
「わぁぁぁ、わぁぁぁ! ごめんなさい。直ぐに降ります!」
慌てて地上に降りた炎輝は、翼をしまうと、まだ紅潮している二人の所へ浩介を連れて行く。
「二人のオッパイとてもいい感触でした! 初めまして、御堂浩介です」
感謝と懺悔を表しているのだろうか、深々と頭を下げて名前を告げると、ため息混じりに相手も自己紹介を始める。
「私は桃華。阿修羅王の娘よ」
「私は瑠璃と申します。須弥山の王、帝釈天の娘ですわ」
「僕は炎輝です。先程も少し言ったかもしれませんが、迦楼羅王が嫡子です」
「…………何か聞き覚えのある名前が出てきたが、――って阿修羅だぁぁ!? あの仏像知っているぞ! 顔が三つで腕が六本のやつだよな?」
「三面六臂の事か? 確かに父様は三面六臂だ。阿修羅一族の特徴でもある」
「ちょ、ちょっとだけ時間をくれ。流石に頭が情報を処理しきれない」
浩介は頭を抱えてしゃがみこんでしまっている。更には念仏を唱えるかのようにブツブツ呟いている。
「ここで話をしていても仕方がありませんわ。桃華お姉様、この者を連れて吉祥天の元へ戻るのがいいかと」
「それがいいわね。――炎輝お願い」
黙って頷いた炎輝は、手にしていた横笛を奏で始める。
それはとても綺麗な音色だった。混乱していた浩介も、思わず顔を上げて見惚れてしまうほどに。
時間にして数秒、笛の音が鳴り止むと、炎輝の姿が先程見た巨大な炎を纏う鳥に変化していた。
「これが迦楼羅鳥よ。さぁ乗って!」
「あ、あぁ」
三人を乗せた迦楼羅鳥は、一度大きく羽ばたかせると、ひと鳴きして大空へと飛び上がった。