其の十九
空臥と対峙している瑠璃は、前向きになったとはいえど、気持ちに身体がついてこず、ぎこちない動きが続いていた。
〈風鎖縛〉を解いたはいいが、その後は何も出来ずにいる。一方、空臥も瑠璃には手をだしにくいのか攻撃することもなく、ただ距離と取っているだけだった。
「何事も、初めてというのは緊張するものです。その固さで続けるのは無理だと思いますが?」
「……そうですわね。現に、前に出ようとしても足が動いてくれませんわ」
「このまま退いてくれるとありがたいのですが……どうでしょう? 最初は弱い業魔で慣らしていくのが得策かと」
「残念ながらそれは無理ですわ。私はお姉様のお役に立ちたいのです」
「……そうですか。では、こちらも覚悟を決めましょう。――いけよ〈風切〉!」
その名の通り、風を切りながら瑠璃を狙う。八つに分かれたそれは、弧を描きながら右に二つ、左に二つ、真ん中の四つは、頭、胴、腿、足首の高さで襲いかかった。
更には空臥自身も瑠璃に向かって突進してくる。
「まともに動けないならば、動かなければいい!」
〈金剛杵〉を前に突き出すと、両端に付いている四つの鉤爪の様な刃が、まるで花か咲いたかの様に開くと、その内の一本ずつが真っ直ぐに伸びる。
双頭剣の様な形状になった〈金剛杵〉を、バトンの様にグルグルと回転させながら、襲いかかる風切を跳ね返す。
そして瑠璃は迫り来る空臥に対して〈金剛杵〉を縦にすると、双頭剣を形どっていた刃は元に戻り、違う刃が飛び出した。
今度は双頭剣ではなく弓だ。
もう片方の手から眩い光が発せられている。
「これが、雷を司る神の力です。――撃ち抜け!」
光は大きい矢に姿を変えると、それを空臥めがけて放つ。
大きな矢は放たれた瞬間、無数の小さい矢に分かれ、一斉に空臥に襲いかかる。
「ちっ!」
落とされた〈風切〉を引き戻す間もなかった空臥は、自分自身に風を当てて攻撃範囲から逃れた。
だが、瑠璃は簡単に逃すわけにはいかない。
〈金剛杵〉が三度形を変える。今度はS字型になると、それをブーメランの様に投げた。更にいつも使っている〈光矢〉を、これでもかというぐらいに撃ち放つ。
この間、瑠璃は足の位置は変えたものの、動く事はなかった。
空臥は〈光矢〉こそ食らったものの〈金剛杵〉からは逃れ、〈風切〉を呼び戻すと、少しだけ困った顔をしながら距離をとった。
「ちょっと予想外でした。流石は王の娘と言ったところですか。――ところで、俺を鍛えてくれた人って誰だか分かります?」
「知りません。それがどうかして?」
「業魔討伐隊隊長、那由多様です」
「だから、それがどうしたというのです! …………そういう事ですか。徒手空拳って事ですね?」
「はい。少し痛いかもしれませんが我慢してください」
そう言った空臥は〈風切〉を上空に投げると気合を入れる。投げられた〈風切〉は、空臥の背後で円を描く様に配置された。
双頭剣を持った瑠璃は腰を落とし身構えている。
「では、行かせてもらう!」
その言葉と同時に〈風切〉の穴から凄まじい勢いで風が発生する。ジェット噴射の力を得たかの様に空臥が猛スピードで瑠璃に接近する。
近づけさせたくない瑠璃は、金剛杵を振り回すが、空臥は逆噴射や左右への噴射を駆使して瑠璃を翻弄する。
戦い慣れていない瑠璃は徐々に目で追いきれなくなっていく。
そして、致命的な空振りをしてしまった。
それを空臥は見逃さない。
「終わりです」
空臥渾身の拳が瑠璃の鳩尾に突き刺った。感触が拳に伝わり、空臥は少し顔を顰める。
瑠璃は大量の血を吐き出し、二転三転しながら十メートル程吹き飛ばされた。
うめき声を上げながら、腹を抑えて蹲っている瑠璃。
空臥はそれに見向きもせず、背を向けていた。
「そうか……凛は負けたか」
〈修羅刀〉を引きずりながら、ゆらり、ゆらりと桃華が近づいて来ていた。
その目は鋭く、赤く染まっている。
「……私は今、機嫌が悪い」
「ほぉ。だから手加減出来ないってか?」
「そんなもの、最初からするつもりはない。……ただ、あの目は嫌なのよ……あの目が怖い……」
空臥は桃華が何を言っているのか全く理解出来ない。
桃華は徐ろに〈修羅刀〉を手放すと、地を蹴り空臥に飛びついた。
「大きすぎる武器じゃあ風が起こってしまうからなぁ! 結構頭働かせているんだな!」
それこそ自分の得意とするところと、空臥も桃華に答える。
瑠璃の時と同じ様に、空臥の拳が桃華の身体にめり込んでいく。が、しかし、蹲っているのは空臥だった。
空臥の拳が桃華に当った瞬間、桃華の手刀が手首に叩きつけられていたのだ。ボキッという鈍い音と共に、空臥の手首がブラブラになっていた。
肉体的な耐久力を考慮しても一撃で骨を折られる事を想定していなかった空臥は、自分と桃華の差を痛感する。
蹲って手首を押さえている空臥を、前蹴りで軽く蹴飛ばすと、手放した〈修羅刀〉を拾い上げた。
「ほら、立ちなさい! これでまたチョロチョロと逃げる事が出来るわよ?」
冷め切った声で挑発すると、剣先を空臥に向けた。
ギュッと唇を噛み締めた空臥は〈風切〉を手に後方宙返りをしながらそれを投げる。
「いけよ〈風切〉!」
今回投げたのは一つ。一つになっている〈風切〉は攻撃力、耐久力共に八つに分かれるそれは大幅に違う。
そして、一つだからこそ出来る事。それは空臥が遠隔操作出来るという事だった。
折れていない方の手で操作しながら桃華の隙を伺っている。
何度か攻撃を試みてみるが、ことごとく〈修羅刀〉に防がれると〈風切〉を一旦手元に戻した。
「参ったな……〈風切〉ではどうにもならない。徒手空拳も相手に敵わない。――さて、どうしようか……」
凛の様に決定的な技を持っていない空臥は思考を巡らす。二人で連携をとってこそである空臥と凛。それが使えない今、空臥に出来る事はたった一つ。玉砕覚悟の突撃である。
もう仕方がない。これでまた凛と一緒か、と思った矢先、こちらに向かって歩いてくる凛の姿を目にした。
「!!! ほぉ、凛に止めを刺していなかったのか」
その言葉が桃華の心を抉っていく。
「違うッッッ!!! 私は! 私は、止めを刺そうとしたッッッ!」
明らかに様子がおかしくなった桃華を見て、空臥は不思議に思う。
「おい? どうした?」
〈修羅刀〉を落とし、虚空を見つめる桃華にゆっくりと近づいていく。明らかに戦意喪失している桃華は、目の前にまで迫ってきている空臥すら認識していない。
「何処を見ている? 俺が見えてないのか? おいっ!」
大声で呼びかけるも、全く反応をしてくれない。深呼吸をして再び声を掛けようとした瞬間、桃華の手が空臥の首を掴んだ。
「ぐはっ……くっ……」
先程とは違い、視線は空臥をはっきりと捉えている。
だが、桃華の目には違うものも映り込んでいた。
それは、あの時の浩介の顔である。
空臥の後ろに浮かんでいる浩介と目線があった桃華は、掴んでいた手を放した。
「……何なんだ? 私が悪いのか? うわぁぁぁぁぁッッッ!」
大声で叫んだ桃華は、その後、意識を失いゆっくりと後方に倒れた。
何が何だか分からない空臥。そして駆け寄ってくる吉祥天と浩介。
ボロボロになった凛と、空臥の一撃を食らった瑠璃には、炎輝と弁財天が駆け寄り治癒の法術を施している。
結局、このままこの闘いは終わりを告げるのだった。