其の十四
手頃な島を見つけた吉祥天一行は、弁財天の指示に従い、島のあらゆる場所にお札を貼っていた。
一方、弁財天は、島の中央に大きな穴を作り、そこに宝船を埋めていた。
宝船の帆先が辛うじて見える様にして、後は土を戻していく。
支持された札を貼り終えた桃華達が戻ってきた頃には、そこに宝船が埋まっているというのが分からない程に整地されていた。
「準備出来たわよ、宇賀ちゃん」
ポンと頭の上に乗せた手を直ぐ様振り払うと、弁財天は皆に離れるよう指示した。
「何が始まるのですか?」
不安そうに見つめる炎輝に「まぁ、見てなさい」とだけ答える吉祥天。
ゴクッと喉を鳴らして待っていると、宝船を埋めた辺りから光が漏れ始めた。
その光は、まるで自分達の帰る場所が決まっていたかの様に、四方八方へと飛び散っていく。
「私達が貼ったお札の方に向かっていますわね」
「その通り。宝船の力を分散させて、この島を空に浮かせるのよ」
大きな地鳴りと共に、島が揺れ動き始めると、ゆっくりと浮き上がっていく。
このまま、自分達の街の上まで移動させれば準備完了。
これが弁財天の力なのかと感心していた桃華だったが、吉祥天に即否定された。
「これは宇賀ちゃんじゃなくて宝船の力ね。宇賀ちゃんの仕事はこの後よ」
「仕事?」
「えぇ。今、この島であなた達が闘ったとして、島が保つと思う?」
そう、あくまでこの島は人間界の代物なのだ。本気で神が闘えば、あっという間に崩れてしまうだろう。
仮に結界を張った所で、島自体の耐久力が上がるわけでもないのだ。
「こんな物が空から降ってきたら、人間は大慌てではすまないでしょう? だ・か・ら・この島を天上界の一部にするのよ!」
「!!!」
「そうするために必要なのが宇賀ちゃんってわけ。宝船だけなら宇賀ちゃんなんて呼ばないわよ」
吉祥天が言った「なんて」という言葉を聞いた弁財天は、最高に不機嫌な顔をすると、まぁまぁ抑えてと軽く謝る。
「地獄界に行った事ない割に地獄耳ね。私も行ったことないけど」
呆れた顔をして桃華達に話しかけていると、いつの間にか吉祥天の足元に弦が迫り寄ってきていた。
それを足でササッと払い、徐ろに携帯を取り出すと、何かを調べ始める。
「そろそろ、本土上空だから誰かが気づくかな? って思っていたけど、もう記事にされているわ。ネットって凄いわね」
ある程度の知識を得ている三人も、後ろからその記事を見て感心している。
だが、感心しているだけではなかった。桃華はたまに、自分達よりも人間の方が神なのではないのか? と思う時がある。人間界に降りてからは驚きの連続だった。
それほど、人間界の技術力は凄いという事なのだろう。違う言い方をするならば、天上界には何もないとも言える。
「そろそろ目的地に着くわよ。いい機会だし、真言でも見ておきなさいな」
真言。それは、その神を表す呪文の様な物で、一人ひとりに個別の言葉と印がある。
簡単に言えば、最大奥義だ。
発動条件は継承法具を持っている事。そして、それに相応しい信仰力を持っている必要がある。
「弁財天の真言は、どの様なものなのでしょうか?」
尋ねた炎輝の言葉に割り込む様に、桃華が入り込んできた。
「真言って何?」
えっ? という顔をして瑠璃と炎輝は振り返る。
手をパンパンと二回鳴らして、吉祥天は自分に目を向けさせると、
「……阿修羅王からは何も聞いていないのね?」
その言葉に黙って頷くと、瑠璃が桃華に詰め寄っていく。
「おかしいです! 継承法具を受け取っているのに知らないなんてありえません! もしかして……忘れているだけなのでは?」
「いくら私でも、そこまで馬鹿じゃないよ」
少しだけムッとしながら、それでも自分が本当に忘れているのでは? と、眉間に手を当てて考え込む。
再び手を鳴らした吉祥天は、
「…………知らないなら仕方ないわ。帰ってから二人に教えてもらいなさい。――で、宇賀ちゃんの真言について話すわよ」
一度だけ下を向き、小さく唇を動かした後、いつもの様に飄々と話を続ける。
「その前に甘露について話しておくわ。甘露は六道世界の全てに降り注いでいるわけではないの。甘露の恩恵があるのは三つの世界だけ。天上界、畜生界、そして修羅界の三つね。地獄界は魂の世界だから甘露は必要ない。餓鬼界は飢えや乾きを強要する世界だから甘露があったら困ってしまう。そして、人間界は食事という概念がある。――ありえないと思うのだけど、もし天上界が餓鬼界や人間界と争い始めたらどうなると思う?」
「力の差は歴然です。私達の圧勝だと思いますわ」
「そうならなかったら? 攻め込んだはいいけど、空腹で倒れていく者も出てくるかもしれないでしょう? 餓鬼界には何もないわよ? 人間界で略奪でもするのかしら? そもそも、圧勝するという考えがダメね」
ダメ出しをされた瑠璃はシュンとしてしまう。
そんな瑠璃を見て、自分と重ねてしまったのが桃華だった。天上界に上がる前の驕っていた自分。だが、多聞天と出会い、自分の愚かさを思い知らされた。
そんな事を思い出しながら、無意識に瑠璃の頭を撫でていた。
「そこで宇賀ちゃんの出番ってわけ。指定した場所を天上界と繋げて、天上界の一部にしてしまうのよ。当然、その場所は甘露の恩恵があるわ。それが宇賀ちゃんの真言〈天恵光〉」
百聞は一見に如かず、再び弁財天を見ておきなさいと三人に促す。
視線の先には、禅を組んでいる弁財天の姿がある。目には見えないが何かが集まっている事だけは理解出来る。これが〈信仰力〉なのかもしれない。
閉じていた目がカッと見開くと、印を組み真言を唱え始める。
「オン ウガヤ ジャヤ ギャラベイ ソワカ」
唱え終わった瞬間、島全体が眩い光に覆われる。その後、空に色を塗っているかの様に、景色がゆっくりと変わっていった。
懐かしい感覚が桃華達を包み込んでいく。
手のひらをジッと見つめながら、何かが身体に染み込んでいく感覚を味わう。
「甘露……何だか懐かしい感じがする」
人間界に来てそれほど時が経っていないはずなのに、何故かみんながそう感じてしまっていた。
「そう感じるのは、食べるという行為に、喜びや楽しみを見出してしまったからかもしれないわね。私なんて長く人間界に居すぎたからなのかしら、甘露よりも食事をする事の方が自然に感じるもの」
吉祥天の言った通りなのだろう。三人は顔を見合わせると、慌てて甘露を振り払おうと手をバタバタと動かしている。空腹感が満たされるのが勿体無いと思ってしまっているのだ。
そんな桃華達の元に、疲れ果てた弁財天が右に左にと揺れ動きながら近づいてきた。
「……終わった」
「ご苦労様、宇賀ちゃん」
さっきまで左右に揺れていた身体は、立ち止まった事で揺れがおさまっているはず。それでも弁財天の視界は左右に揺れている。吉祥天が豪快に頭を撫で回しているからだ。
「……やめろ。……やめろと言っている。……功徳……鬱陶しい」
「照れなくてもいいじゃない?」
「はぁぁぁ?」
ボソボソと喋る弁財天が急に大きな声を張り上げる。それにびっくりした三人はビクッと身体を震わせて固まってしまった。
「いつもその声で喋ればいいのに。――取り敢えず終わったし、さっさと帰ってご飯にしましょう。宇賀ちゃんも来なさいな。いい経験出来るわよ?」
「……興味ない。……ちょっ……待て!……私は……」
弁財天の意志など関係なく強引に手を引っ張ると、変化した炎輝の背中にポンと放り投げる。
「よし! じゃあ帰りましょう。炎輝ちゃん、お願いね!」
「はい! 帰りましょう。僕達の家に!」
翼を二度三度羽ばたかせた後、空へと飛び上がる。
これで準備が整ったのだ。早ければ明日。否、確実に明日始まる。三人にとって初めての実戦が。
桃華の右手がゆっくりと拳に形を変えていく。力加減が分からなくなっているのか、一滴、また一滴と血が滴り落ちる。
昂ぶる感情を開放したいという思いを抑えて島を後にする桃華だった。