其の十三
浩介は寺へと向かっていた。その目的は携帯電話の回収である。
家に帰った浩介は、守に電話しようとしたその時、自分の手元に携帯がない事に気がついたのだ。
頻繁に利用しているわけではないので、急いで取りに行く必要は無いと言えば無いのだが、いつもと違うという違和感にはなれない。あって当たり前だった物が無いと心許ないのだ。
手ぶらで訪問するのもアレなので、コンビニによって菓子類を幾つか購入すると、改めて寺へと足を向ける。
「ここ最近、財布が軽くなるのが早い気がする……もうじき夏休みだし、バイトでも探すか」
そんな事を呟きながらも、悪い気はしていない。
もしかすると、自分は女に貢ぐのが好きなのかもしれない。
「いやいやいやいや! それはダメだろ? でもなぁ、食べ物を与えた時の顔を見るの好きだしなぁ……」
自分が何かをした結果、喜んでもらえるというのは、想像以上に自分の心も満たされる。
結局は自分のためにしているのだ。
将来、自分がダメ男になりそうな予感を、首を大きく振って拭い払う。
「どうでもいっか。考えたところでどうにもならん」
今は寺に急ぐ。それでいいと、歩くスピードを上げていった。
寺に到着したはいいが、人の気配がまるで感じられない。
灯りは漏れているのだが、生活音が聞こえてこないのだ。
「お邪魔しまーす」
と、中に入ってみると、そこに居るはずの四人の姿はなかった。
脱ぎっぱなしの制服、何かを作ろうとしたのだろうか、台所には放置されている野菜類、そして、テーブルの上には、今日の目的だった携帯が置かれていた。
まずは携帯を懐にしまうと、次に制服を手に取った。
「間違いなく桃華のだな。シワになるじゃねぇか……ったく、それぐらいちゃんとしろよな」
周りを見渡し、ハンガーを見つけると、制服をつる。
次に台所に立つと、野菜を手にして少し考える。
「飯の準備をしようとしていたが出て行った? ふむ、シンクの中に食器が置かれていないし、まだ食べる前で間違いなさそうだな」
暫く立ったまま考え込む。
どこかに出かけたのは間違いないだろう。桃華はともかく、炎輝が片付けをしていないという事は急ぎの用事が出来た可能性が高い。
「外食はないな。――しゃあねぇ、飯でも作って待っているか。――いや、その前に電話だ」
思い出したように電話を手に取ると、守に電話を掛けてみる。
この寺まで来るぐらいなら、守の家に直接行った方が早かった。と、今更な事を思い浮かべながら携帯を耳に当てていた。
真っ暗な部屋の中、携帯の光が点灯している。
虚ろな目でその光を見つめている人物が居る。守だ。
「…………」
黙ったまま、携帯に手を伸ばす事もなく、背を向ける。
守の視線の先にあるのは仏壇だった。
そこには、父親の写真、母親の写真。そして……新たに加わった少女の写真。
「……真美」
もう、流す涙すらないのだろうか? 今にも泣き出しそうな顔をしているが、そこに涙は滲んでいない。
守は、最愛の妹の名をポツリと呟くと、ガクッと頭を下げた。
そう、真美は亡くなったのだ。
浩介と会ったあの日、二人揃って登校したあの日、突然倒れた真美は病院に運ばれた。
急いで病院に向かった守だったが、四時間後、息を引き取った。
元々、長生きは出来ないと言われてはいた。
小学校を卒業出来た事が奇跡だとも言われていた。
だから、心構えは出来ていたつもりだった。
だが、それが現実として自分の前に訪れると、そんな心構えなんて全く意味がなかったのだ。
鳴り止まない電話の音が鬱陶しい。
「今は勘弁してくれよ……浩介……」
誰がこの鬱陶しい音を鳴らしているのかは直ぐに分かる。
この電話に出るという事は、浩介に真美の事を伝えなければならないという事だ。
それは自分自身、もう一度真美の死を反芻するという事。それを考えると辛くて仕方がないのだ。
「……そう言えば、あいつ、神様とつるんでいるらしいな。――神様なら、真美を生き返らせる事が出来るかもしれない……」
普通に生きていれば、そんな事はありえないと思うだろう。だが、普通ではない事がこの街で起こり始めている。
そして、そんな普通ではない事が、守の身にもふりかかろうとしている。
守の負の感情が、業魔を生み出そうとしていたのだ。
吉祥天がこの地を離れた最悪のタイミングで、守の中の何かが……壊れた。
それを、遠くから見ている影が一つ。
「ふっ……いいタイミングでここに来たという訳か。――一先ず策を打っておくか」
その影は一匹の小さな蟲を放つと、早々にその場を離れて行く。
長い尻尾の様な物を靡かせるその姿は、明らかに人外の者だった。