其の一
遥か昔、天上界の須弥山と呼ばれている場所で大きな戦があった。
その中心にいたのが、忉利天の王、天龍八部衆が一人、名を帝釈天。
対するは、天龍八部衆が一人、名を阿修羅王。
二人の戦いは、熾烈を極めた戦いになり、須弥山全土を戦乱の渦に巻き込んだ。
結果は帝釈天の勝利で終わり、阿修羅王は修羅界へ落とされる事になったのだが、その戦が原因で、須弥山の上空に位置する空居天への道が閉ざされてしまった。
悠久の時を経て、修羅界に一通の文が届いた。そこには。
――喜見城にて待つ。
という一文だけ書かれてあった。
「ふむ、どうしたものか……」
険しい顔で阿修羅王はその一文を見つめていると、娘の桃華が背後から覗き込んでくる。
「今更会いたいなど、何か企んでいるのかもしれません! 無視するのがいいのでは?」
阿修羅王はしばし考えた後、
「そういう訳にもくまいて。――桃華よ、直ぐに旅支度をせい! お前に護衛の任を授けるとしよう。舎脂に会えるかもしれんぞ?」
舎脂という名を耳にした瞬間、桃華の眼光が鋭くなる。
「一族の裏切り者に興味はありません。私は旅支度があるので失礼します」
早くその場を離れたいのか、桃華はそそくさと立ち去っていった。
「……裏切り者か」
深く溜め息をつきながら、重い腰を上げた。
自室に向かう桃華は、ブツブツと文句を言いながら、歩いては通路の壁を殴り、また少し歩いては殴りを繰り返していた。
「どうして私が姉様に会わなきゃいけないの? 大体、父様は危機感がなさすぎなのよ!」
自室に戻った桃華は、鎧を身に纏うと、父から譲り受けた一本の刀を手に取った。
その刀の名は〈修羅刀〉
阿修羅一族の象徴と言うべき宝刀。
「いい機会だわ。私がこれで帝釈天の首を、――斬ればいい」
旅支度を終えた桃華は、阿修羅王と共に天馬に跨ると、大空へと駆け上がる。
桃華は思う。帝釈天をこの手で討つ絶好の機会が訪れたと。
「私はそのために鍛錬を重ねてきたのよ……一族のためにも須弥山を、――手に入れる!」
その声を聞かないふりをして、阿修羅王は天馬に鞭を入れた。