其の十一
ようやく泣き止んだ桃華は、改めて自分の赤裸々な姿を見られた事に酷く後悔をしていた。
結局使う事のなかったハンカチを浩介に突き付けると、その後胸ぐらを掴んで顔を近づける。
「……今見たことは、全て忘れろ!」
唇を突き出せば接吻出来るのではないのか? そんな事を考えながら、プルプルと上唇を震わせている浩介の鼻息は、少し荒い。
「そうしてやりたいのは山々なんだが、残念ながら無理だな。まぁ、安心しろ。俺の心の中で反芻するだけに留めておくから」
「くっ……ならば、この修羅刀で……」
「待て待て待て待て待てっ! 何故、直ぐに力で解決しようとする!?」
「さっきも言っただろう? 闘う以外の方法を知らないのよっ! お願いだから忘れてよ……お願いします……」
修羅刀を構えたかと思えば、そのままへたり込んでしまう。浩介が近づくと、腰辺りに縋り付きながら懇願しはじめた。
「分かった。分かったから、離れてくれ! 俺が泣かせたみたいで心が痛い」
「本当に? 本当にか?」
「あぁ、忘れるから! だから、そろそろ戻ろうぜ」
「うん……分かった」
こんなに素直に返事をするとは全く思っていなかった浩介は、これから自分はする事に若干引け目を感じる。
「俺が上手くいくようにしてやるから安心してな」
「うん……任せる」
浩介はシャツの胸辺りをギュッと掴みながら、心の中で桃華に謝った。
(ごめんな。ちょっとだけ荒療治になるかもしれないけど……)
厄介事は早めに終わらせた方がいいに決まっている。今回は桃華が二人の事が嫌いではないという時点で結果が見えているのだ。
後は本人の思いを、本人の口で語らせれば問題は解決する。
それを実行するため、二人は瑠璃達が待っている教室へと戻っていく。
不安なのだろう、桃華の足取りは遅い。浩介は桃華の手を掴んで引っ張っていく。
「あっ……」
手を掴まれた瞬間、声を出したが、その後は黙って身を任せていた。
教室のドアを開けると、瑠璃と炎輝が「おかえりなさい」と出迎えてくれる。
「待たせたな。――ほれ!」
強引に二人の前に桃華を立たせると、取り敢えず様子を伺ってみる。
「……あの……えっと……きょ、今日はもう帰ろう! そうだ、そうしよう!」
「そ、そうですわね。今日は大切な用事があると吉祥天もおっしゃっていましたし……」
いつもと変わらない空気感が漂っている。いや、それよりも酷いかもしれない。桃華だけではなく、瑠璃も緊張している影響なのか、普段よりもギクシャク感が増していた。
やはりこうなったかと、浩介は溜息を漏らす。
ズボンのポケットから携帯を取り出した浩介は、それを桃華に手渡した。
「いいものを貸してやろう。これを持っていると無敵になれるんだぜ。――後は、ここを押してみな。それで全てが終わる」
言われるがままに桃華は再生ボタンに指を伸ばしていく。
その瞬間、浩介は教室から飛び出して走り去っていった。「すまん」という言葉と共に。
ボタンを押し終えた桃華は、一体何が起きるのだろうかとドキドキしている。
静まり返った教室に、突然自分の声が耳に入ってきた瞬間、桃華の思考は停止した。
「わ、私は……私は闘う事しか……」
先程話した内容が携帯を通して二人に伝わっていく。
慌てて止めようとするが、使い方が分からない桃華は、それを放り投げようとするが、
「最後まで聞かせて下さい」
そう言った瑠璃に手首を掴まれてしまって、力が抜けていく。
浩介が逃げた理由が分かった。今、この場に居たのならば斬り捨てる勢いで跳びかかっていただろう。
やり場のない怒りと共に、逃げ場のないこの状況。顔を上に上げることすら困難で、それこそ、髪の色よりも赤く染まっているだろう頬を隠す様に両手で顔を覆い隠す。
録音されていた会話が流れ終わると、瑠璃はそっと桃華を抱きしめた。
「お姉様は本当に馬鹿だったのですね……こんなくだらない事を考えていたなんて」
「全くです。僕は桃華さんとお話がしたくて仕方がありませんでした。これからは話しかけてもいいんですよね? もう、一人の方がいいなんて言わせませんから! もし、そんな事を言ったら……御飯を作ってあげませんよ!」
珍しく声を荒げた炎輝の声にビクッとなりながらも、桃華はまだ顔を上げる事が出来ない。だが、一言だけ小さな声で、
「それは……困る」
と呟いた。
「何にせよ、お姉様を辱めた罪は償って貰わないといけませんね」
「その通りです! さぁ、変化しますので追いましょう!」
二人の手を取った炎輝は、教室を出て行くと、前の大きな窓を開けて飛び降り、迦楼羅鳥に変化して、校庭を走っている浩介の後ろに迫っていく。
「ちょっ! マジかよ!」
炎を纏った巨大な鳥が、二人の天女を乗せ襲いかかってきている。チラッと振り向いた浩介は、その二人の天女が笑っているのを確認すると、満足そうな顔をする。
「汚ねぇぞ! 走って来いよ、走って!」
追いかけっこをしている浩介達を、遠目から見ている者が居る。
空臥と凛だ。
「空ちゃん、あれは何をしているのかな?」
「さぁ? あいつは誰かから逃げるのが好きなのだろうさ」
「ふーん……何だか、いつも楽しそうだよね」
「だな」
自分達がその輪の中に入れないのが寂しいのだろうか、それとも興味がないのだろうか、二人は同じタイミングでゴロンと寝転がる。
「はぁはぁ……くそっ! 上手くいったんだからそれでいいじゃねぇか! しつこいんだよ……はぁはぁ。――そうだ! 俺のスマホ壊すなよ? 買い換えるの大変なんだからなっ!」
「すま、ほ? 何なんだそれは? 取り敢えず、一度斬らせてくれればいいよ。私はそれで満足だ」
「ばっ、馬鹿じゃねぇのか! 死ぬだろそれ?」
「そうかもしれない……アハッ、アハハハハッ!」
笑い声に反応して、再び浩介は振り返る。
そこには、今までで一番いい顔をしている桃華がいた。