其の十
昼飯を食べ終えた浩介は、食事もしていないだろう桃華の元へ歩いていくと、前の席の椅子に座った。
「飯は食べたのか?」
気だるそうに顔を正面に向けた桃華は、
「どうして毎日私に構う? 正直鬱陶しい」
その言葉を発した桃華の顔を浩介は観察している。それが本気の言葉なのかどうか探っているのだ。
何故顔をこちらに向けて言ったのだろう? 本気度を伝えるためなのか、それとも別の意図があるのか?
ここが大事な分岐点なのかもしれない。そう浩介は思っていた。もし、本気で言っているのならば、これ以上喋りかけてはいけない。それこそ仲を取り持つことすら困難になってしまう。
だが、もしそうではないとするならば、一歩踏み込む絶好のチャンスなのだ。
「…………」
結果、浩介は黙ってしまった。全力で思考を巡らせているというのも理由の一つだったが、本当の理由はこの後の桃華の反応だった。
無言で顔を背ければ、今日は引くしかない。
だが、この後も言葉が続くのならば、踏み込む価値があると睨んだのだ。
見つめ合う二人の間に緊張感が走る。その状況を遠目で瑠璃が見守っていた。
浩介の鼓動がどんどんと早くなってくる。普段何気なくしている呼吸の仕方すら忘れそうになっていた。
たかだか数十秒の時間が永遠とも思えたその時、桃華の顔がゆっくりと窓の方へと動いていくのが見えた。
ダメか……と思った瞬間。
「ふん……らしくない顔して。何か用があるんでしょう? いつもと感じが違うくらい私でも分かる」
浩介はグッと拳を握って小さくガッツポーズをしながら、自分もまだまだダメだなと思っていた。
自分の中で二択勝負していたのだが、それこそ選択肢を減らしているだけであまり意味がないと気づいたからだ。
まさか、顔を背けた後、言葉を掛けてくるなんて想像していなかったのだ。
いや、自分で桃華は恥ずかしがり屋だと思っているのだから、この選択肢こそ最初に出てきてもおかしくはないはずなのに、それが出てこなかったのがダメなのだろう。
「やっぱ、人と喋るのって面白いわ。楽しくて仕方がねぇ」
「何を言っている?」
「おっ? あぁ、済まない。――桃華が察した通り、今回は超真面目な話だ。お前の身体に触りたいという衝動を抑えてでも話す必要がある!」
「斬って欲しい?」
「おっと、ついつい楽しくなって、いつもの調子で喋っちまった。さっきのは置いといてだ、真面目な話があるのは本当だ。時間が掛かるかもしれないから、放課後ちょっと付き合ってくれよ」
再び浩介の顔を見た桃華は、舐め回すように顔を見ている。
「難しい話は分からないよ?」
「馬鹿なのは知っている」
ムッとして、修羅刀を手に取ろうとするが、待て、待て! と浩介が制止する。
「そろそろ休憩も終わりだし、また後でな。それと――」
「ん?」
「ちゃんと飯食えよ。知らない人の前で食べるのは、別に恥ずかしい事じゃねぇからな!」
そんな捨て台詞を吐いて浩介は自分の席へと戻っていく。
「!!!」
言葉にならない言葉が出そうになった桃華だったが、何とか堪えた。
三度、窓の方へと顔を向けた桃華の耳が真っ赤になっていたというのは誰も知らない。
再び浩介は屋上に立っている。しかも別の女の子と。どうやら今日はこの場所に縁があるらしい。まるでギャルゲーの主人公になった様な気分だった。
まだ夕暮れ時ではない。これが夕暮れだったら、桃華の赤い髪はとても美しく見えたのかもしれないと思いながら、前に立っていた。
昼休憩の時と一番違うのが、二人の距離感だった。瑠璃とはかなり近づいて喋っていたが、今は武道の試合前の様な距離で、それが原因なのか緊張感が漂っている。
「お互いまどろっこしいのは嫌いだろうし、単刀直入に聞くぞ」
問題ないと桃華は頷く。
「お前は瑠璃と炎輝の事が嫌いなのか?」
浩介は全力のストレートを桃華に投げかけた。その威力が予想外だったのか、
「なっ……きゅ、急に何を言い出しゅんだっ!」
どうやら桃華は空振りどころかバットも放り投げたぐらい動揺している。
「いや、急もなにも、お前があの二人に対して距離を取っているのはバレバレだしさ」
「くっ……」
「まぁ、それはいいんだよ。一緒に騒いだり楽しんだりする事が全てじゃないしさ。ただ、あの二人はお前の事が好きなんだよ。俺もお前が一人ぼっちで居るのを見るより三人で居てくれる方がいい。――で、どっちなんだ?」
今まで見たことがないほど慌てふためいている桃華を見て、答えは分かってしまった浩介だったが、自分がそれを知った所で何も変わらない。
桃華が自分の思いを口に出し、それを直接伝えなければ意味がないのだ。
「き、嫌いではない」
「そんな答えが欲しいんじゃねぇよ! あれか? 親の事とかでモヤモヤしたものがあるとかなのか?」
「それは関係ないっ!」
桃華はハッキリと否定した。浩介にとってはありがたい答えだ。過去の遺恨絡みだと何も出来ない。一先ず安心した浩介は、今日の昼の事を桃華に聞かせた。
「まぁ、そんな感じで俺がしゃしゃり出てきたわけなんだが、お前はどうなんだ?」
「私は……私は……放っておいてくれ。私は別に……」
もっと自分に正直になれば楽なのにと思いつつ、誰もがそんな風には生きられない事も理解している。だから浩介は賭けに出ることにした。
「俺は桃華も同じ様に思っているとふんだんだが……どうやら俺の勘違いだったのかもしれないな。余計なお世話だった。済まないな、時間を取らせてしまって」
と、この場から立ち去ろうと桃華の横を通りすぎようとする。
ずっと俯いていた桃華は、去っていく浩介の制服をギュッと掴んで引き止めた。
「ま、待ってくれ……私は……どうしたらいいの?」
冷静に振り返る浩介だったが、内心は心臓が破裂しそうなぐらいドキドキしていた。これで引き止めてくれなければ完全に終わっていたのだ。ただ、かなりの確率でこうなる事を予想していた。
その最大の理由が、桃華が二人を見ている時の目だった。二人を見ている時の眼差しはとても優しい目をしていたのだ。
「どうしたらいいもなにも、普通に自分の思いを伝えればいいじゃねぇか」
「それが出来れば苦労はしない!」
瑠璃は桃華が好きで仲良くしたいと言っているし、それを全面に出している。炎輝も間違いなく同じ思いだろう。それは桃華から見ても分かりすぎるぐらい分かるはずなのに、どうしてこんな事を言い出しているのか不思議に思ってしまう。
桃華は恥じらっているのか、指をモジモジと動かしている。まさか、こんな仕草を見ることになると思っていなかった浩介は、その可愛さに思わず飛びつきたい衝動に駆られるが、なんとかそれを抑えこんだ。
「大体、どうしてお前が私達のために動いているのだ? 何か裏でもあるのか?」
日頃の行いがここで災いを呼んでしまった。疑心暗鬼になっているのを払拭しなければならない。それには、いつもの馬鹿な行動やエロスを封印して、誠意で答えるしかないだろうと、浩介は自分に気合を入れる。
「だよな? 俺も俺が信用出来ん。裏があるのかと聞かれれば、ないと答えるが、心の奥底で淫らな事を思いついているかもしれない。俺はそんな奴だからな」
鋭い眼光が浩介に突き刺さる。この目は人を殺している目だ。いや、実際そうなのだろう。このままだと漏らしてしまうかもしれない……それでも浩介は話を続ける。
「ただ、俺が言えるのは、別にお前達のためにこんな面倒くさい事をしているわけじゃないって事だ」
「じゃあどうして?」
「俺は自分のために動いているんだよ」
「自分のため?」
「あぁ、桃華も瑠璃も、一応炎輝もだけど、俺と関わっている奴らには笑っていて欲しいと思うんだ。そりゃ、色々あるだろうし、いつも楽しくなんて無理なんだろうけどさ。これは俺のエゴだ。女の子の不機嫌そうな顔を見るよりも笑っている顔の方が、俺が見ていて楽しい。桃華も笑えば可愛いんだしさ」
寺で御飯を食べている桃華を思い出しながらそう言うと、
「! かゎ……かゎ……何を言って……アァァァァァァァッ」
顔を真っ赤にしながら悶えている。しかもちゃんと言葉を喋れていない。
果たしてこれは、照れて真っ赤になっているのだろうか? それとも怒って真っ赤になっているのだろうか?
可能性としては前者なんだろうが、後者もありえそうなだけに、浩介は少し不安そうにしていた。
長い、長い沈黙が続いている。桃華が壊れてから二人とも口を開いていない。その長い沈黙を破ったのは桃華だった。
「うふ……ふふふっ……そうか。私は可愛いのか」
小声で呟きながら桃華はモジモジしている。本人は口に出しているつもりはないのだろう。それだけに浩介の方から口を開くタイミングが掴めない。
「お前の言い分は分かった。動いた理由も納得しよう。自分の為なら仕方がないよ」
「お、おう」
「悔しいがこの勝負は私の負けだ。故に私の思っている事全てを包み隠さず話すとしよう」
勝負? いつの間に勝負をしていたのだろうか?
浩介が今出来る事は一つしかない。突っ込まずに返事をする、だ。
「お、おう。それじゃあ聞こうか」
浩介は制服のポケットに手を突っ込んで話しだすのを待っている。
「じゃあ……えっと……あの……」
話そうとしてくれているのはよく分かる。ただ、桃華の言葉が中々続かない。髪の色と顔色が同じではないかと思うくらい赤くなっている。
長い葛藤を乗り越えて、小さな声だったが、やっと自分の胸の内をポツリポツリと語りだした。
「わ、私は……私は闘う事しか出来ない女だ。頭の出来も良くない。だから……だから、怖いのだ。もし、二人の会話に入って雰囲気を壊してしまったら? 私の言葉で二人が傷ついてしまったら? だったら一人の方がいいに決まっている。元々住んでいた世界が違うのだから仕方がないと思う方がいい。――私は怖いんだ。二人が近づいてくればくるほど怖くなる。あの子達の笑顔を自分が壊してしまうから……」
自分の中に渦巻いていたものを全て吐き出した後、崩れる様に膝から折れていく。ペタンと座り込むと、一粒、また一粒と涙を零していった。
「ちょ……お、おい! 泣くなよ! 大丈夫! だからさ」
「えっ? 私……」
浩介の言葉で初めて泣いていると気づくと、色んな物が一気に溢れでだしたのか、声を出して泣きじゃくっている。
「ハンカチ? っと、どこに入れてたっけか……あった。――ほら、これ使え」
浩介にハンカチを渡されたが、これをどう使えばいいのか分からず、両手でギュッと握りしめたまま、只々泣くことしか出来なかった。