其の八
校庭の修復を終えた頃、すでに日は沈みかけ、運動部の生徒達も帰宅の準備を始めていた。
寺住まいの三人衆は、終わったら直ぐに帰ってくるように言われていたらしく、迦楼羅鳥に乗ってさっさと帰ってしまっていた。
残された浩介と空臥、凛はボーッと夕日を眺めている。
「お前らこれからどうするんだ?」
「どうすると言われてもな……」
「泊まる場所もねぇんだろ? 家に来るか? 凛ちゃんだけだけど」
「空ちゃんと一緒じゃないなら行かない」
会話が続かない。浩介自身、口止めされている事は特にないはずなのだが、自分からペラペラ喋り出すのも気が引ける。空臥達も聞きたい事はあるのだが、それを聞いていいのかどうか悩んでいるといった感じだった。
沈黙している三人の前を、家路に向かう生徒達が通り過ぎていく。
凛の法具が、あからさまな武器である事から、生徒達は、興味はあれど近寄ることが出来ないでいた。
そんな中、強い風が一度だけ吹いた。空臥が作り出した風ではなく、自然発生した風は、女子生徒のスカートをフワリとめくりあげようとしている。
それを見た浩介は、何か閃いたかのようにポンと手を叩いた。
「空臥だっけ? お前、風を自由に操れるんだよな?」
話しかけたはいいが、一向に返事は返ってこない。もしかしたら警戒されているのかもしれないと、二人の方へ目を向けてみると、眠っているのか俯いたまま動く気配がない。
もう一度、声を掛けようとしたその時、地鳴りの様な腹の音が響き渡った。
「人間界というのは厄介な場所なのだな。この空腹というのは力を根こそぎ奪っていくみたいだ……」
「腹、減っているのか?」
「そうらしい。凛は耐えかねて眠りに逃げたみたいだが……」
空臥の横を覗いてみると、凛は猫の様に丸まって静かに寝息を立てている。
「ふむ。ちょっとだけここで待っていてくれ! 食料を調達してきてやる」
浩介はそう言って立ち上がると、十分後にコンビニの袋を抱えて帰ってきた。
袋の中にはおにぎりが五つ入っている。二つ取り出すと空臥に分け与え、更に二つ取り出して眠っている凛の横にそっと置いた。
最後のおにぎりを手に取りながら、
「奢ってやるから食え。俺も食うからさ」
と、食べ方を教えてながらそれを口に運ぶ。
空臥は凛を起こすと、浩介に習っておにぎりを貪る。
これで腹一杯になるということはなかったが、食事をとった空臥は、それを与えてくれた浩介に感謝した。
「礼なら要らないさ。――それよりも、お前に頼みたい事があるんだ」
「……一応、俺達はお前を捕縛するという目的があるのだが?」
「そんなことは正直どうでもいい。俺が今一番気になっているのは、お前の風でスカートを自由自在にめくれるかどうかなんだよ!」
「すかーと?」
「あぁ、スカートだ!」
浩介は懇切丁寧に、スカートとは何かを説明し始めた。
だが、熱弁した結果伝わったのは、腰に巻いている布であるという事と、その中には男の夢が詰まっているという事だけだった。
「夢か……あんな布の中にそれがあるとは到底思えないが、お前がそれに執着しているのはよく分かったよ」
「お前じゃねぇ。俺の名前は浩介だ。そう呼んでくれ」
「ふっ、おかしな奴だな。分かった、そう呼ばせてもらおう」
「凛ちゃんもそう呼んでくれよな」
「気安く私の名を呼ばないでよね。――まぁ、恩義があるからそれぐらい許してあげてもいいけど」
「で、話は戻るけど、空臥の風でスカートをめくってみたいと俺は思っている。空臥もそれを体験したら、一回り大きくなるだろうと確信している。――んー、あれだ! これは人間と友好的になれる唯一無二の手段だといっていい!」
「友好的か。――人間界の事が知りたいという俺達には必要なのかもしれないな。それに、吉祥天が戦う場を与えてくれると言った以上、今この場で浩介を捕らえた所で意味がない」
凛も空臥の言葉にウンウンと頷いている。
結局の所、この二人が今出来る事は、人間の事を知るという選択肢しか残されていないのだ。
そして、それが目の前に転がり込もうとしている。
「いいだろう。風を起こせばいいんだな?」
浩介は黙って頷くと、目標を見定め、風の強さなどの細かい指示を与えていく。
何を言っているのかよく分からないが、目標さえ教えてもらえば問題ないと、小さな風を生み出した。
小さな旋風は、ゆっくりと移動を始めると、女子高生の集団に向かって進んでいく。
気付かれない様に、大きな円を描きながら集団の後方へと回りこんだそれは、浩介の合図と共に一気に集団の中へと入り込んでいった。
ただ突風が通り抜けただけだ。風の強さも調節してある。何も問題はない。あるとすれば、風の悪戯でスカートがめくり上がったという事ぐらいだろう。
誤算があったとしたならば、風がいつまでも女子にまとわり付き、ひたすらスカートをめくり上げようとしている事ぐらいだ。
悲鳴と共にスカートを押さえつけている女子達。逃げても逃げてもスカートが重力に反してしまう。
そんな不自然さの前にニヤニヤしている一人の男。
答え合わせなどする必要性もなかった。
「あいつよ! 御堂浩介だわ!」
女子の一人が、浩介を指差して叫んでいる。それに気づいた浩介は、
「やべぇ、撤退だ!」
と、走りだした浩介に、二人は訳も分からずに、ただ浩介の後について行く。
「ねぇ、どうして私達は逃げているの?」
「知らん! 今はついて行くしかなさそうだ。行くぞ!」
浩介の後について走っている二人は、徐々に呼吸が荒くなってきている浩介を見て、人間というのはこの程度で息が乱れてしまうのかと思っていた。
なんとか逃げおおせた三人は、再び並んで座り込んでいる。
「色々聞きたい事はあるんだが、結局、さっきの行為は何だったんだ? 追いかけてくる人間の顔を見るに、とても友好的な手段だとは思わなかったぞ」
息を整えた浩介は、
「あれはスカートめくりという、この国の伝統芸能だ。こっちの世界ではスカートの中には宇宙が広がっていると言われていたりする。ごく一部でな。大抵は小学校低学年で卒業するんだが、たまに卒業出来ずに留年する奴も出るって噂だ。後、意図的にこの伝統芸能を行うと犯罪とされている。だから、思春期を迎えた俺達は自然の力、例えば風の力だな。それに頼ったりするしかないんだ」
浩介は必死に説明をしているが、二人には何一つ伝わらない。
ただ、先程まで息も絶え絶えだったのが本当なのかと疑ってしまうぐらい饒舌だ。
「すまない。何を言っているのかが全く理解出来ないのだが……」
「む? そうか、理解出来ないか。――空臥は男だよな?」
「あぁ」
「スカート……あの布がめくれあがった時、ドキドキしなかったか? 胸が熱くなったりとかしなかったか?」
「ないな」
即答で答えられると、浩介としてもどう説明していいのか分からなくなってくる。ただ、自分の中に弥勒菩薩の煩悩が宿っている事からして、神様にも欲望というものがあるのは確かなのだ。それが人間とは違うというのは理解出来た。
「ふむ。お互いの事をもっと知る必要があるのかもしれないな。――俺に聞きたい事があれば何でも聞いてくれて構わない。俺もお前達の事をもっと知りたい。どうだ?」
空臥と凛は顔を見合わせて考えている。
どの位時間が過ぎたのだろうか、空臥の「いいだろう」という言葉が聞けた頃、もう夜の帳が降りていた。
何時間話をしていたのだろうか?
お互いに収穫があったと思いたい。
浩介が最初に口にした言葉は、自分の身体に弥勒菩薩の一部が入り込んでいる事だった。
これは、浩介にとっては切り札とも言える情報だったが、それを最初に提示することで、信用を得るのが最優先と考え、一番最初に伝えるべきだと判断した。
当然、それを聞いた二人は困惑する。ただ、帝釈天や梵天が動くには十分すぎるということで、一応この話は真実だと納得してくれた。
次に浩介は、自分の携帯を取り出し、そこに保存されている画像を二人に見てもらった。
その画像とはいうまでもなく秘蔵のエロ画像だ。これを見てムラムラしたり、胸が熱くなったりするのか尋ねてみたが、返ってきた答えは期待したものではなかった。
空臥は裸体を見ても特に思うこともなく、凛に至っては「裸が見たいのならここで脱いでもいい」とさえ言ってくれた。
とてもありがたい申し出だったが、血の涙を流しながら浩介はそれを断る。
どうやら、天女は裸体に対する羞恥心は持ち合わせていないらしい。
「人間はそういった行為に恥ずかしいと感じるんだ」
「ほう、では先程のスカートめくりというのは、裸体に近づくための初手という事で恥ずかしいということなのだな」
「そう! そういう事! 普段見えないものが見えそうになったり。普段見られたくないものを見られたりすると恥ずかしいだろ?」
「うん、それなら少し分かる気がするかも」
「それが好きな相手なら、尚更恥ずかしいと思ったりするものなんだ。――ところで、天上界に恋とか愛とかってあるのか?」
「恋というのはちょっと分からないが、愛なら理解出来るぞ。俺は家族を愛している」
どうやら天上界の愛というのは、主に家族や種族に対する感情ということだった。当然、個人に対しても抱くことはあるのだが、それは人間でいう愛情とは少し違うという事が分かった。
しいて言うならば、支配欲や独占欲と言ったほうがいい。自分の手元に置くことで満足してしまうのが普通らしい。
「じゃあ、好きな相手に触れたいとか、抱きしめたいとか、その先も……とか思ったりしないのか?」
「好きな相手には触れたいとかはあるわよ。でも私達って抱きしめ合うと、昂った感情が心地良い気分と一緒に落ち着いていくのよ。後、興味のない相手に触れられたりすると物凄い嫌悪感と心地良い気分が同時に襲ってくるの。今日、あなたが足にしがみついた時がそんな感じだったわ」
ここで浩介は一つの疑問に辿り着く。
「なぁ、抱きしめ合うだけで終わるとかだと、天上界の人ってどうやって子供を生んでいるんだ?」
桃華達も有名な神様の子供であり、目の前の二人も、風神雷神の子供なのだ。それが存在しているという事は、子供は人間とは違う方法で生まれるという可能性が高い。
「どうやってと言われても、普通に蓮の花から生まれるんだが」
「蓮の花だぁ???」
「例えば俺の場合だったら、風神が蓮の蕾に力を注ぎ込んで俺が生まれたんだ。そして子の力は神格によって変わってくる」
「神格?」
「あぁ、簡単に言えば強さの格だな。当然、瑠璃様や阿修羅王の娘の方が俺達よりも強くなれる可能性が高い」
「可能性か……競走馬の血統みたいなもんか」
「何よそれ? 私達が馬っていう事?」
凛が不機嫌そうに言い寄ってくる。
「いや、すまん。俺のゲーム脳が勝手に働いただけだ。気にしないでくれ。――それにしてもだ、こっちの世界だと風神雷神と言えばかなり有名なんだけどな」
「そうなのか! 親父達もそれを聞いたら喜ぶと思う」
「でもね、風神も雷神も元は悪鬼だったのよ。今でこそ神の末席に入っているけど、それでも私達は天上界の人々から忌み嫌われているわ……」
少し寂しそうに凛が答えた。
その後も二人に色々話を聞いてみた。娯楽は天界には殆ど無く、楽しいという感情があまりない事に一番驚いた。楽しさを戦闘に委ねる人や、過去の歴史や文献に委ねる人ぐらいしかいない事を知ると、少し可哀想な気分になってくる。桃華が前者で、瑠璃と炎輝が後者になるのだろう。
喜怒哀楽の喜と楽が人間に比べると乏しいのかもしれない。乏しいと言うよりは、天上界に楽しい事があまりないのだろう。
そして、吉祥天が言っていた創造力の欠如に関しても聞かされた。
戦いに関してだけはある程度対応出来るらしいが、そこに異常性を感じる。
権力欲を持つ者も多いらしいのだが、帝釈天が天界を支配している現状では戦を起こしてまでとは思わないらしい。今までの天上界の歴史で一番大きな戦が阿修羅王の乱だったという事だった。
人間には神と崇められている彼等だが、実際は単純作業の繰り返しの様な世界に住んでいる人形に思えた浩介だった。
与えられた事をこなし、淡々と日々を過ごして行く。楽しさや喜びが少なく、変化もほとんど訪れない世界に暮らし、影で人間界を守ってくれている。
まるで人間界のために存在する世界。それが浩介の印象だった。
「最後に一つ。どうしても戦わないといけないのか?」
「あぁ。強い奴と出逢えば戦いたくなる。何故? と問われても、それは天上界に住んでいる者だから。としか答えられない」
「そうか。出来れば誰にも傷ついて欲しくないんだが、仕方がないな」
あっさりと引き下がったのは、感覚として〈闘い=試合〉のイメージで、そこに命のやり取りが存在するとは思っていなかったからだ。
「時間も時間だし、俺はそろそろ帰るわ。――本当にここで寝るのか?」
「問題ない。明日もここに来るんだろう? 出来ればでいいんだが……」
「分かっているさ。何か食べる物、持ってきてやるよ」
「感謝する」
浩介は立ち上がると、じゃあなと手を上げて学校を去っていった。
立ち去る浩介を見ていた空臥に妙な感覚が襲いかかる。
自分達に好意的に接してくれる者は少ない。業魔討伐隊の中でも浮いているのだから。それ故に二人は先陣を任されている。それは強いからではなく、要らないから。
「空ちゃん。もしかして気に入っちゃったのかな?」
空臥の表情に気がついた凛は、顔を近づけて覗き込んでいる。
「ん? そうだな。気持ちのいい奴だった。浩介だけじゃない。阿修羅王の娘もだ」
「だね。……でも、浩介はちょっとヤダな。私の身体に触ろうとするし」
「相手にされないよりはいい」
「……だね」
寝転んだ二人は、もう言葉を交わすこともなく、ただ星空を眺めていた。