其の六
先程から桃華と空臥は、ねこ車を使ってひたすら土を校庭に運んでいた。運ばれた土は、残りの三人によって整えられていく。ただ一人だけ、土遊びをしている子供にしか見えないのだが、それは間違いなく容姿の影響だろう。
避難していた生徒達もいつの間にか戻っていており、遠目から働いている神々を見つめている。
一部の女子が、スコップで地面をペタペタ叩いている炎輝に黄色い声を上げている。
母性本能がくすぐられているのか、ただのショタなのかは分からないが、一部女子に絶大な人気を誇っている炎輝だった。
浩介は吉祥天にビビりまくっている桃華に違和感を感じていた。自分が知る限り、あそこまで過剰に反応していた覚えがない。気になった浩介はそれとなく桃華に尋ねてみることにした。
「なぁ、桃華?」
名前を呼ばれるとチラッと浩介に視線を移したが、何事もなかったかの様に視線をそらして作業を再開する。
そんなのは慣れっこといわんばかりに浩介は話を続ける。
「お前、姐さんにビビリすぎなんじゃねぇか? 前からそうだっけか?」
「……」
「何かあったのか?」
「……あの人は怒らせてはいけないと悟ったのよ。一度だけ、本気で殺されるかと思った事があったの」
「ほぅ、詳しく聞こうか」
鬱陶しいと思いつつも、一番喋りやすいのが浩介だった。しがらみがないというのが大きいのだろう。
「分かった。教えてあげる。――あれは、昨日の事よ」
ねこ車を押していた手が止まり、ポツリポツリと昨日あった出来事は話しだす。
学校から帰ってきた桃華は、鍛錬のため、廃寺の奥へと歩いて行った。別に奥に行く必要などないのだが、努力をしている姿を人に見られるのは少し恥ずかしい。
木々の間をくぐり抜け、開けた場所に辿り着いた桃華は〈修羅刀〉を手にして精神統一を始める。
自分と〈修羅刀〉の繋がりを確認し終えると、カッと目を見開き演舞を始める。
毎日欠かさずにこなしている演舞が終わると、誰も居ないはずなのにパチパチと拍手の音が聞こえてきた。
気配すら感じなかった桃華は、音が聞こえる方向に構え、臨戦態勢に入る。
「誰だ!」
桃華の知る限り、人間界でこのような所業を行えるのは吉祥天しか知らない。だが、吉祥天なら、からかわれる事はあったとしても、拍手など絶対にしない。
「おっと、これは済まない。見事な演舞だったものでな」
姿を現したのは一人の男だった。
年の頃は三十といったところか。無精髭のせいでよく分からない。
見てくれはお世辞にも綺麗とは言いがたい。だが、桃華の目にはとても眩しく見えた。
「人……間?」
神特有の法力を全く感じない。桃華自身、法力の素質は皆無と言っていいのだが、それでも人間とは違う独特の波動を出している。
まさか、人間の気配すら感じられないほど自分はダメなのかと落ち込みそうになった桃華の元に、男は笑顔で近寄ってくる。
「自己紹介が遅れたな、私はこの寺の住職をしている天如と言うものだ。吉祥天から話は聞いていたのだが、訳あって本堂から出られない身なのでな」
本堂から出られないと言っているくせに、何故か目の前にいる。
「瞑想をしていたのだが、力の波動を感じてな、ちょっとだけ様子を見に足を運んだというわけだ。邪魔をするつもりはなかった」
「え、えぇ。こちらこそ迷惑をかけたみたい。ごめんなさい」
「ほっほっほっ。聞いていた話とは少し違うみたいだな。阿修羅王の娘はもっと男勝りと聞いていたが?」
「ぐぅっ……吉祥天め」
「まぁよいではないか。――それにしても、いい演舞だった。自分の若い頃を思い出してしまったよ。ただ、ちょっと力み過ぎかもしれんな」
「!!!」
父親にも同じ事を言われた覚えがある。演舞に限った事ではなく、全てにおいて力が入り過ぎていると何度も忠告されていた事を思い出した。
それよりも、どうして自分が阿修羅王の娘だと分かったのだろう? この人間は分からない事だらけだ。
「あの……どうして私が阿修羅王の娘だと?」
「その手にしている法具は〈修羅刀〉であろう?」
確かにそうなのだが、どうして人間がそれを知っているのだろう?
吉祥天と繋がりがあるらしいから、そこから話を聞いていたのかもしれない。では、この人間と吉祥天はどのような関係なのだろう? 桃華の疑問は尽きることがない。
詳しい話を聞こうとしたその時、
「何をしているのかしら? 桃華ちゃん。――それに、あなたもね!」
桃華の首元には鋭く尖った吉祥天の爪が突きつけられていた。少しでも動けばこのまま首を掻っ切られそうな程の殺気を感じる。
「そう怒るな。勝手に動いた私が悪いのであろう? その娘に八つ当たりはよくないぞ」
「理解しているなら、さっさと結界の奥に戻ってくれないかしら? じゃないと――」
「殺すか? それが出来ないから八つ当たりをしているのであろう?」
「あぁもう……いいから早く戻ってくれないかしら? 後、桃華ちゃんごめんなさいね。ちょっとだけイライラしちゃったみたい」
固まっていた桃華の頭を撫でると、先程まで放っていた禍々しい気が消えていく。
本気で命を奪われると思っていた桃華は、解き放たれた瞬間膝から崩れ落ちた。
「ふっ、弱い者いじめはよくないぞ、吉祥天」
「五月蝿いわね! さっさと消えなさいな」
「分かった、分かった。では、戻るとしよう」
天如は笑いながら木々の奥へと消えていく。先程言っていた結界を通ったのだろうか、一瞬目の前の景色が揺らいだ。
暫く呆けていた桃華だったが、平常心を取り戻すと、吉祥天に色んな疑問を投げかけようとするが、
「今日の事は見なかった。で、お願いね」
その一言に桃華は黙って頷くほかなった。
話を聞いた浩介は、
「お前、馬鹿だろう?」
「どうして私が馬鹿なのだ!」
折角話をしてやったというのに、開口一番が馬鹿という事に腹を立てた桃華は、浩介ににじみよっていく。
「いや、どう考えても馬鹿だな。――お前、姐さんに口止めされてるんじゃねぇのかよ? 速攻で俺に話してるじゃねぇか! これを馬鹿と言わずになんと言うんだ?」
その冷静なツッコミで自分が犯した失敗を知った桃華の顔はみるみるうちに青色に変わっていく。
「まぁ、聞かなかった事にしといてやるけど、もうちょっと考えてから喋った方がいいぞ。今後のためにもさ」
自分の浅はかさに落胆しながらも、どうして浩介に喋ってしまったのだろうと考えるが、いい答えが思い浮かばない。
意図的に無口キャラを演じている桃華は、自分の想像以上にストレスを感じていた事に気づいていない。
押さえつけている感情が開放される日が、意外に早く訪れるという事を、この時の桃華は知る由もなかった。