其の五
〈修羅刀〉と〈風切〉。近距離と遠距離の戦いは間合いの勝負といっても過言ではない。
桃華が距離を詰めるために飛び込みながら一太刀振るっても、その力強さ故に風圧が生じてしまう。空臥はその風に乗ればいいだけなのだから、一向に桃華の間合いにはならなかった。
「いけよ〈風切〉!」
と、投げられた〈風切〉はその名の通り、風を切りながら、地を這う様に飛んで行く。
そんなものは叩き落とせばいいといわんばかりに〈修羅刀〉を掲げて振り落とそうとするが〈風切〉は二つに分裂し、一つは首を落とさんと速度を上げ急上昇してきた。
「くっ!」
とっさに剣背を顔の前まで移動させ〈風切〉を弾くと、下の〈風切〉を避けようと飛び上がったが、同じ様に〈風切〉も浮き上がる。
「逃さねぇよ」
〈風切〉は桃華の足首の肉を削った後、ブーメランの様に主の元へと戻っていく。改心の一撃とまではいかなかったが、これで終わりではないと再び〈風切〉を飛ばした。
今度は最初から二つの〈風切〉が襲い掛かってくる。
そして、それは四つになり、更には八つになって迫ってくる。
「小賢しい……最初から数があるって分かってれば、この程度!」
八方から襲いかかる風切から逃れる場所を瞬時に見つけ出すと、一振りで同時に叩き落とせる軌道を導き出し、その通りに〈修羅刀〉を振るう。
ただ、これは計算したというよりも体が勝手に反応し動いたといったほうがいいだろう。鍛錬の成果ではなく本能。それが修羅の血というものなのかもしれない。
「ほほぅ。やっぱ阿修羅王の娘ってのは伊達じゃねぇな。――じゃあ、これならどうだ! 〈風鎖縛〉!」
広げた手を勢いよく前に差し出すと、空臥の前に小型の竜巻が無数現れ、桃華に襲いかかろうとしたその時、
「私の目の届かない場所で何をしているのかしら? 桃華ちゃん?」
いつの間に現れたのだろうか。気がつけば吉祥天が二人の間で仁王立ちしていた。いや、もう一人誰かが立っている。
「うぅぅ……これからというのに」
「何か言ったかしら? あたし、最近耳の調子が悪いのよねぇ……もう一回言ってみてくれる?」
「い、いや……何も言ってない」
吉祥天の前に完全に萎縮してしまっている。
桃華を目で殺した後、空臥の方へと近づいていくと耳元で、
「詳しい話聞かせてくれるかしら?」
と、甘く囁いた。
「は、はい……分かりました」
「お利口さんね。――じゃあさっさと法具をしまいなさいな」
二人の戦う意志を根こそぎ奪い取ると、「みんな、集まりなさい」と校庭端の木陰にみんなを呼び集める。
「全員集まったかしら? 集まっているわね。それじゃあ最初にお説教。――あなた達が戦うとね、人間界に多大な被害が出るのよ。分かる?」
そう言って、最初に桃華が〈修羅刀〉を振り下ろした場所を指差した。そこには小型のクレーターの様なものが出来上がっている。
「私達が人間界に害を与えてどうするのよ。次にこんな事したら……消すわよ?」
吉祥天を中心に円を描くように座っていた全員の背筋に冷たいものが走る。
浩介はそのゾクゾク感に興奮しながらも、隣に立っている男が気になって仕方がない。
「姐さん。さっきから居る隣のおっさんが気になるんだけど誰なんだ?」
「あらあら、すっかり忘れていたわ。これは私の足よ」
「はぁ???」
心底呆れ返った声を出した浩介の前に男が近づき、
「吉祥天の足に御座います。以後、お見知りおきを」
躊躇なく頭を下げるその姿に若干後ずさりしてしまうと、
「まぁ、冗談はさておいて、このおじ様は韋駄天っていって、私同様、人間界に降りてきている神の一人よ。後二人、摩利支天と歓喜天ってのがいるんだけど、それはどうでもいいかしら」
「では、改めて。――西の業魔を管理している韋駄天に御座います。仕事は執事喫茶のオーナーという事になっております」
ナイスミドルという言葉がピッタリな韋駄天は、深々と頭を下がると、後はどうぞと吉祥天の右斜め後ろに下がった。
「じゃあ……えっと、あなた達、名前は?」
「空臥です」
「り、凛」
「じゃあ、どちらでもいいから私に説明しなさいな」
そう言われると、空臥が立ち上がり、もう一度自分達が人間界に来た理由を話し始めた。
凛は終始怯えている風に見え、喋っている空臥も緊張気味だ。桃華達三人も戦いの時よりも緊張感がある。この場で唯一のほほんとしているのが浩介だった。
「へぇ、梵天がねぇ……」
「はい」
「まぁいいわ。でも、浩介ちゃんはあげないわよ。この子は私の目的のために必ず必要になるはずだからね。――で、後は人間界に興味があるのと、うちの桃華ちゃんと手合わせしたいって事でいいのかしら?」
「はい。阿修羅一族は須弥山にとって今でも特別な一族なのです。最強と言われている闘神の娘とあれば、俺達だけじゃなく、皆が戦ってみたいと思っているでしょう」
「そうよねぇ。〈修羅刀〉を受け継いでいるのがねぇ……」
「ただ、その娘が人間界に降りていると知っている者が少ないのがすくいどころです。俺達以外に知っているのは今の所いないかもです。――もし、那由多様の耳にでもそれが知れれば……」
「那由多? あぁ、夜叉王の娘ね。物凄く強いらしいわね」
「俺達、業魔討伐隊の隊長です」
話が続いていく中、浩介と桃華は須弥山の事情を知らないので、殆ど理解していない。
「私は強さなんてどうでもいいけど、天上界では一番重要視されているし、仕方ないわね。――じゃあ、私が戦う場所を作ってあげようか?」
その言葉に「お願いします」と頭を下げると、吉祥天は懐から一枚の鏡を取り出した。
この鏡の名は〈紫鏡〉。吉祥天の継承法具である。
紫鏡を使うと天上界との交信が可能になる。鏡越しに帝釈天を呼び出すと、無愛想な顔をした帝釈天が映りだす。
「……何の用だ?」
「その仏頂面、どうにかならないのかしら? 大体、こっちがそうする立場でしょうに!」
「ふむ、済まないと思っている」
「……まぁいいわ。今回はちょっとしたお願いがあるのだけど、勿論きいてくれるわよね?」
「断るという選択肢はこちらには無いのだろう?」
「えぇ、勿論。――で、お願いというのは、宇賀ちゃんをこっちに呼びたいのよ」
その名を聞いて、帝釈天は頭を抱えて下を向いてしまった。数十秒の沈黙の後、
「弁財天と会えば、お前が困るのではないのか?」
「そうなのよね。宇賀ちゃんったらまだ怒っているみたいなのよ。さっさと水に流してくれればいいのにさ。だから、あなたが大人しくしておく様に命令してくれればいいのよ」
「……あれが、言う事を聞くと本気で思っているのか?」
顎に人差し指を当てて、うーんと考えている。
「無理でしょうね。でも、こっちに来るようにしてちょうだい。急ぎだから、迎えに韋駄天を送るわ」
吉祥天の言葉を聞いた韋駄天は、話の結末を聞かずに空へと駆け上がる。通常、須弥山の神は空を駆ける事は出来ず、天馬を使用するのが基本なのだが、韋駄天の継承法具である〈神速の具足〉は空を自由に駆ける事が出来るのだ。
「至急手配しよう。では、席を外すぞ」
余程、吉祥天と関わりたくはないのだろうか、帝釈天はさっさと立ち去ってしまった。
「ふぅ……後はこっちで準備してあげるから、あなた達は、――そうね、あの穴とか元通りにしてもらうかしら」
と、校庭に出来た小型のクレーターを指差す。その後、パンパンと手を叩き、さっさとしなさいと催促した後、学校から去っていった。