其の三
桃華達が学校に通い始めて一週間が過ぎていた。
吉祥天が公開した動画の影響もあり、入学当初は文化祭の真っ只中といわんばかりのお祭り状態だったが、人混みに我慢出来なくなった桃華の、軽い〈修羅刀〉の一振りにて、この騒ぎは一先ず終結することとなった。
未知の恐怖というものは、人の好奇心を凌駕するらしい。
瑠璃と炎輝は上手く人間に溶け込んでいるみたいで、クラスメイトとそれなりに会話を弾ませながら、いつも桃華のフォローをしていた。
この一週間で、浩介の首は五回締め付けられていた。その内、二回は生死の狭間を彷徨っている。だからと言って、浩介は何も変わる事もなく、寧ろ、天女達との日常を楽しんでいた。
「それにしても、あいつら人気者だよな。桃華も、もうちょっと愛想よくすればいいのによ」
一人、窓の外をボーッと眺めている桃華に声を掛けてみたが、返事をする気もないのか、浩介の方を見る気配すら感じられない。
「せ、制服も似合っているじゃねぇか。可愛いぜ、桃……」
そんな事を言いながら、肩に手を添えた瞬間、浩介の顔面に裏拳が突き刺さった。
だが、慣れっこになっているのだろう。浩介は鼻血を垂れ流しながら、いつもの事だと軽く鼻を拭う。
「お前も、あんな風にしたいと思っているんだろう? 素直が一番だと思うぞ。――それにしてもスカート短いよな。ってか、パンツちゃんと穿いているのか?」
屈んだ浩介は、スカートに手をやり、ピラッとめくり上げようとするが、容赦のない肘鉄が脳天に突き刺さり、ゆっくりと崩れ落ちて床を舐める。
そんな二人のやり取りを遠目から見ていたのは瑠璃だった。
「……」
「どうかしましたか?」
「いえ、何でもないわ。――ところで、炎輝は桃華お姉様の事をどう思います?」
炎輝は指を額に当てて、少し考えた後、
「そうですね、意図的に僕達を避けている気がします。やはり、帝釈天と阿修羅王の関係が影響しているのでしょうけど」
「そうでしょうね……」
近づきたいと思ってはいても、それを寄せ付けない雰囲気を漂わせているので、どうしても踏み込む事に戸惑いを感じてしまう。帝釈天の娘という立場が瑠璃の行動に制限をかけてしまっているのだ。それが歯痒くて仕方がない。
そのやり場のない苛立ちを察したのか、
「でも、そんな事よりも、住んでいた環境の違いが大きいのかもしれません。――修羅界は闘争と共にある世界です。天上界の様に平和な世界ではありません。桃華さんは常に戦いありきの世界で生きてきたので、天上界や人間界のような平和な世界で、どう過ごせばいいのかが分からないのだと思います」
「私は……いえ、私達は嫌われているわけではないと?」
「僕はそう思います。受け答えはちゃんとしてくれますし、なにより目が濁っていません。寧ろ優しい目をしていますよ」
「じゃあ、きっかけがあれば仲良くなれるかもしれないのね」
と、肘をついてジーッと浩介を見つめていた。
今日の授業も終了し、生徒達もそれぞれの活動へと足を向ける。部活に励む者、バイトに励む者、寄り道をして楽しむ者など、その行動は十人十色だ。
ずっと机に突っ伏していた桃華がガバッと顔を上げた頃、教室にはもう誰も居なかった。
いつも一緒にいる二人の姿が視界に入っていないは変な感じなのだろう。一瞬、二人を探そうと勢いよく立ち上がるが、そこから先、どうしたらいいのかが分からない。
「…………帰ろう」
自然と不自然な言葉を発してしまう。
帰るとは何処に?
自分が帰るべき場所は修羅界にしかないはずなのに、たかだが数日暮らした場所に帰ると言っている。
それは間違いではないのだが、拭い切れない不思議な感覚で口元が緩んでいく。
教室から出た瞬間、どうして自分が一人きりだったのか理解した。
右手が〈修羅刀〉を欲しているのが分かった。
「ふふっ……誰だが知らないけど、私を呼んでいるのは分かる。――そうね、私にはこれしかないのよ!」
自分の居場所がやっと見つかったといわんばかりに、桃華は廊下の窓から勢いよく飛び降りた。紅蓮の髪を、炎の揺らめきの如く靡かせ外に出た桃華は〈修羅刀〉を一振りし、本来の力を開放させる。
通常、片手剣の様な外見をしている〈修羅刀〉が、気合と共にその姿を変えていく。
〈修羅刀〉は持つ者の力で、その姿形を変える法具だ。前保持者であった阿修羅王が力を開放した時、恐ろしいまでの切れ味を発揮したと言われている。
そして、桃華が今手にしている〈修羅刀〉は両手剣と言えばいいのだろうか? ただ、それはあまりにも大きく、幅は元の五倍はあるだろうそれを、難なく片手で扱っていた。
臨戦態勢に入った桃華は、校門の前で立っている瑠璃と炎輝の元へとゆっくり歩いて行く。
二人は桃華と違って法力値が高い。いち早く異変を察知して外に飛び出したのだろう。
そんな桃華の姿を見つけた浩介は、声を掛けるでもなく、この異様な空気を察したのか、部活に励んでいる生徒達を校舎に誘導しはじめた。