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四月解決編  初めての緊急HR 犯人は無花果か!?

 解決編をご覧になる前に、ご自身で推理してみてはどうでしょうか? 本作品は解決編の前段階で、事件を解決するために必要な証拠はすべて出揃っています。ご自身で推理してから答え合わせをするのも、楽しみ方のひとつです。

 北花加護中学は三階建ての校舎だ。

 しかし、中央の部分だけ盛り上がって、四階建てになっている。中央昇降口の近くにある階段から上ると、その部分に着く。

 そこは屋上へ行くための鉄の扉と、もうひとつの扉がある。

 木でできた、高級かつ重厚そうな扉だ。両開きになっていて、全開にすれば出入り口はかなり広そうだ。たぶん、僕たち三十三人が雪崩れこんだとしても渋滞はしないだろう。

 そして、今僕たちがいるスペースも広い。木製の扉の前のスペースは、僕たちが普段使っている教室よりも一回り大きいくらいだ。全員がそこに集合しても、窮屈だとは感じない。

 「こんな場所が、この学校にあったの…………?」

 阿比留さんは知らなかったのか、驚きの声を上げた。まだ学校が始まってから一週間弱しか経過していないこともあって、この四階の存在を知っている生徒は少なかった。視聴覚室ですら、僕は事件があって初めて入った。まだ校内の至る場所が、未開の地だ。

 ぐるりと、ここにいる全員を見渡す。この中に、犯人がいる。『義務殺人』のルールからすれば、外部犯というのはあり得ない。絶対にこの中に、手縄くんを殺した犯人がいる。

 同時に、僕は強烈な視線を感じる。それはクラスメイトの全員から向けられる、疑いの目。そう。この事件で一番犯人の疑いがあるのは、僕なのだ。

 僕は犯人じゃない。

 一番怪しいのは最早否定のしようがない。そこはもう諦めた。それでも、最後の一線は未だに守り続けていた。疑われる重圧からやってもいない罪を自白してしまう容疑者の話はよく聞くけど、今はその人の気持ちがよく分かる。もう罪を認めた方が楽なんじゃないかと思えてしまう。でも、駄目だ。

 僕がやるべきことは、事件の真相を解き明かすこと。人の死を、手縄くんの死を悲しむことも悔やむこともできない僕に残された、唯一できること。それを果たす。

 「全員集まったみたいだね。鍵は開いてるから入ってきてよ」

 天井のスピーカーから、赤ペン先生の声が聞こえる。赤ペン先生は既に、扉の向こうにいるみたいだ。

 先頭にいた遊馬くんがゆっくりと扉を開き、中へと入る。雲母さんや御手洗くんが、その後に続く。

 僕も続いて入ると、ついに部屋の全貌が明らかになる。

 「…………これは?」

 僕の目に映ったのは、異様な光景だった。

 僕たちの普段使っているような、教室にある机が、円形に並べられていた。円は二重になっていて、内側の円は外側の円より低くなっている。椅子は無い。

 さらに奇妙なのは、その机の上にモニターがあること。机は教室と同じなのに、このモニターは不釣り合いだ。

 そして赤ペン先生は、外側の円の、教卓のような机の前にいた。丁度、僕たちの入ってきた扉とは反対側だ。赤ペン先生の隣には、鴻巣先生の姿もあった。

 赤ペン先生の後ろには、巨大な液晶画面がある。黒板のある位置よりは高いところに設置されているけど、教卓の後ろにあると黒板みたいだ。

 「はいはーい。みんな机の上にあるモニターの番号に従って位置についてね。一番から十二番の人は内側の円。それ以外の人は外側の円だよ」

 目の前の階段を下りて、一段低くなった内側の席へ行く。どうも時計回りに並んでいるみたいだ。一番の遊馬くんが十二時の位置にいるから、時計の順番からひとつずつずれるけど。僕の位置は時計の文字盤なら『3』があるところだ。正面に、雲母さんが見える。僕の両隣には五百蔵くんと鴨脚さんがいる。そして後ろを振り返ると、小さな女子生徒の横の席が空いていた。

 あそこは、手縄くんの場所か………………。

 「そっか、あくまでHRなんだね…………」

 隣の鴨脚さんが、ボソッと声を漏らした。机に対する感想のようだ。他にも床も壁も、普通の教室のような造りになっている。窓が無かったり、黒板の代わりに液晶画面があったり、普通の教室と違う部分はあるが、教室をイメージして造られているのは一目瞭然だ。

 「それではみなさん、ちゃんと立ち位置についたみたいなんで、早速『緊急HR』を始めたいところなんですけど…………」

 赤ペン先生の声が、遊馬くんの後ろから聞こえる。しかも少し高い。赤ペン先生はいつの間にやら取り出した羊羹を齧りながら話す。今日の羊羹も、白色に濃い緑色がところどころ見える。あの羊羹、赤ペン先生の好物みたいだ。

 「その前に『緊急HR』のルールを説明しないとね。まあ、ルールって言っても、みんなで話し合って犯人を決めるだけだから、そんなに構えなくてもいいよ。最終的に話がまとまったところで多数決になるから、そのつもりでね」

 「…………ペナルティはどうなっているんですか?」

 その言葉を発したのは、抱さんだった。抱さんは鴨脚さんのふたつ隣で、遊馬くんの反対側にいた。それはつまり、彼女は赤ペン先生と正対しているということだ。

 「正しい犯人が多数決で選ばれた場合は警察行きなんでしょうけど…………もし間違った犯人を多数決で選んでしまったら、どうなるんですか?」

 「どうもならないですよ」

 赤ペン先生の回答は簡潔だった。

 「間違って犯人だと指摘された人も、指摘してしまった人も、特にペナルティはありません。ペナルティがあるのは、多数決で選ばれちゃった本当の犯人さんだけです」

 「それじゃあ、別に俺たちは正しい犯人を必死こいて考えなくてもいいってことかよ!」

 叫んだのは五百蔵くんだ。彼にはその処遇が意外だったみたいだけど、僕はそんなところだろうと予想していた。一年間何もしなかったところでお咎め無しなのだ。それくらいじゃ、ペナルティの対象になりそうもなかった。

 「このプログラムの開発者曰く、この緊急HRで自発的に捜査すれば、それが次の『自発的な行動』に繋がるんだってさ。少しずつ、自分の意志で動けるようになるのかな? できれば捜査も自発的にしてほしいから、間違った犯人を指摘してもペナルティは無しです」

 「……ってことは、俺たちは適当に多数決を取ったってよかったじゃねえか。なんでこんな面倒なこと」

 「まあまあ五百蔵くん。そんなつれないこと言わないでよー。活躍した生徒には、ご褒美をあげちゃうからさ」

 …………ご褒美? その単語に引っ掛かりを感じる。まさか『環境の整備』ってことはないよな……。じゃあ、何なんだろう、赤ペン先生が用意するご褒美って。…………いや、きっと興味を一瞬でも抱いたことを後悔するような、ろくでもないものかもしれない。羊羹の詰め合わせとか。

 まだ羊羹の詰め合わせなら平和だ。通常なら手に入らない凶器とかだったら、どうしよう。

 「実は緊急HRごとにMVPを決定できるんだよね。そして、MVPに選ばれた生徒にはご褒美が用意されているんだよ。ご褒美は『義務殺人』で必ず役立つものだから、みんな頑張ってね。でも、みんなが適当に緊急HRをすると、MVPを選べなくなっちゃうですよねー」

 「ご褒美が何かは知りませんが、そんなのは関係ありません。わたしは、やります」

 「当然じゃない。犯人は絶対に暴いてみせるわ」

 「同感だな。真相が闇の中じゃ、どうにも落ち着きが悪い」

 抱さんが強く言い切る。その言葉に乗るように、雲母さんと御手洗くんも決意を示す。五百蔵くんは面倒そうに頭を掻きながら、それでも三人の言葉に賛同した。

 「分かった、やりゃいいんだろ。あんなやつでも、クラスメイトだったことには変わりないんだもんな」

 五百蔵くんの一言が最終的なクラス全体の流れを作り出す。大半が五百蔵くんと同じくこの緊急HRを面倒がっていたけど、その五百蔵くんが決心したことで、みんなも少しはやる気になってくれたみたいだ。

 相変わらず僕に疑いの視線が向けられているのは、気持ちが悪かったけど。みんながやる気になったせいで、逆にその視線は強くなっていた。

 「それでは始めましょー! まずは軽く、事件の概要でもおさらいしましょうか」

 「それなら、無花果くん、あなたがやりなさい」

 雲母さんが僕に指示した。

 「たぶん今回の事件は、あなたが一番流れを理解しやすい位置にいたはずよ」

 「……雲母さんが言うなら、やってみるよ」

 おさらい。みんなで事件の流れを確認して、共通認識を持つのが目的だ。せっかく議論しようっていうのに、事件の流れすら知らない生徒がいたらお話にならない。

 確認だけじゃなく、雲母さんは僕に喋らせることで、僕に怪しい何かがないか確認しようとしている。犯人ならではの齟齬が、出てこないか。

 御手洗くんもどうやらそのつもりのようだ。ここは雲母さんの指示に従って、普通におさらいをしよう。これで容疑が少しでも軽くなればこっちのものだ。推理に長けていそうなふたりの協力が得られれば、解決も難しくない。

 「…………手縄くんが今朝、学校に来なかったところから話した方がいいかな? 僕たちは彼が欠席したと思っていたけど、思い返してみれば赤ペン先生は何も言ってなかったね。その後、普通に一時間目を過ごしてから、二時間目の体育になった。男子は運動場へ、女子は体育館へと向かったんだ。僕は今朝から体調が悪くて、体育は休んで保健室に行くことにした。僕が保健室に着いたころには、既に鴻巣先生はいなかったよ。

 体育が始まって三十分くらい経った時に、五百蔵くんと遊馬くん、そして肉丸くんが保健室に来た。どうも肉丸くんが授業中に盛大に転んだらしいね。そうそう、三人は保健室に備え付けられた専用の出入り口から入ってきたよ。保健室には外から入れるように扉がついているんだ。そして肉丸くんを送り届けた遊馬くんは鴻巣先生を呼びに体育館へ向かって、五百蔵くんは運動場へ戻った。

 でも、五分くらいしたところで遊馬くんが戻ってきたんだ。遊馬くん、今度は東側昇降口から入ってきたみたいだった。鴻巣先生が体育館にいなかったとかで、遊馬くんは先生を探していた。僕は体調が大方回復していたから、遊馬くんを手伝って鴻巣先生を探すことにしたんだ。肉丸くんは先生が戻ってくるかもしれないから、そのまま保健室に残ったよ。

 遊馬くんと中央昇降口の辺りまで来たんだけど、そこの床は濡れていたんだ。肉丸くんが今朝、花壇に水をやる時にうっかりホースを暴走させちゃったみたいで…………。床は雑巾で拭いたんだろうけど、まだ水気が残っていた。遊馬くんは上履きを履いてなかったから、そこを横切ろうとすると靴下が濡れるんだ。運よく階段の前だけは濡れてなかったから、遊馬くんは二階に上がって迂回する形で教室を目指すことにした。

 僕も一緒に二階へ上がったんだけど、そこで――――」

 どうやって話そうか、一瞬悩む。嫌な予感がしたから視聴覚室に行くことにしたって、怪しさ満点の説明じゃないか。僕が視聴覚室に手縄くんの死体があることを知っていて、遊馬くんをおびき寄せたみたいだ。

 でも遊馬くんには『嫌な予感』と既に説明してしまっている。ここで話を変えてしまうと、遊馬くんに怪しまれそうだった。もう嫌疑はかかりまくっているから、気にせずちゃんと話そう。嫌な予感がしたのは事実だ。

 「――――嫌な予感がしたんだ。みんなは笑うかもしれないけど、僕は嫌な予感を天気予報程度に信じてるんだ。遊馬くんと一緒に、僕は嫌な予感がする視聴覚室へ向かった。視聴覚室に入ったところでは、まだ手縄くんの死体は見えなかったよ。体育館でみんなが見た映像のようにはね。大きな赤い文字で『踏み台と成れ!』と書かれたスクリーンが、手縄くんに掛かっていて隠れてたんだ。スクリーンの歪な膨らみに気付いた僕は、スクリーンを上げてみたんだ。すると、そこに、手縄くんの死体があった。

 …………と、こんな感じでいいかな、雲母さん」

 「ええ、そうね。耕一くんに武くんと枇杷くん、無花果くんの説明に齟齬は無かったかしら?」

 尋ねられた三人は一様に頷いた。良かった。変な説明はしなかったみたいだ。

 「僕が聞いたところでは、九くんの説明に変な個所は見られない。『嫌な予感』も、実際に九くんが説明した通りなんだ」

 遊馬くんが僕の説明の信憑性を補強してくれる。しかしそれでも、怪しいことは怪しい。五百蔵くんが指摘する。

 「嫌な予感、ねえ。それって無花果が視聴覚室に行く口実だったんじゃねえのか? ていうか、無花果、俺はお前が犯人だとしか考えられねえよ」

 「…………そうだね。僕自身も、それには賛成だ」

 あえて五百蔵くんの言葉に、僕は賛同する。周りのクラスメイト達がざわつきだすのが聞こえる。ここはあえて勝負だ。揺さぶって、注目されて、僕の発言自体の存在感を強める。

 「五百蔵くん、それでももう少し幅を広げてみようよ。容疑者の幅を」

 「容疑者の幅?」

 僕の言葉に反応したのは、五百蔵くんではなく阿比留さんだ。なぜ彼女が反応する!

 「もしかしてあんた、女子を容疑者に含めようって気? 残念だけど、女子は誰一人体育館から出てないよ! それとも、あたしたち全員が口裏合わせてるとでも言い出すの?」

 「さすがにそこまでは言わないよ。女子はたぶん、今回の事件には関係ない。幾ら疑惑を一身に浴びてる僕でも、そこまで飛躍した考えはしない。ここで怪しむべきは、男子生徒だ」

 男子勢のざわつきは、一層大きくなる。今まで蚊帳の外でのうのうとしていたつもりが、一気に事件の容疑者に組み込まれるのだ。心穏やかじゃないだろう。

 それが僕の目的だ。どうしても事件を、自分事として受け止めてもらわないと困るのだ。

 一方の女子たちも、阿比留さんによって一括りされたことで、事件へ一気に接近する。もうこの場の誰もが、事件の当事者になる。そうでないと駄目だ。

 最終的な決定は多数決。いくら僕が真実に気付いても、多数の目が疑惑に霞んでいたら報われない。疑惑は真実よりも強く、その人の心を縛る。どれだけ筋の通った理論も、曲がり切った疑惑を打ち破れない。

 こいつは悪いやつに決まっている。『草霞野球団の一件』が手縄くんにもたらしたのも、これに類する苦労だったのかもしれない。本人がいくら真面目で大人しい人間だったとしても、そんな真実は過去の事件という疑惑が打ち砕く。

 今の内からみんなの目を晴らしておかないと、答えを見つけたところで、多数決には負けましたなんて笑えないオチが待っている。

 疑惑を晴らすには、その疑惑を本人にぶつけるのが手っ取り早い。他人を疑うのは平気でも、自分が疑われるのはみんな嫌いだ。疑惑を晴らそうとする。そうやって頭を少しでも働かせてくれれば、疑惑はすんなり晴れてくれる。

 「おいおい、何言ってんだコイツ」

あまり聞きなれない声が聞こえた。鴻巣先生の隣の席からだ。そちらを見ると、真っ赤な男がいた。

 「四月朔日わたぬきくんは、反論があるのかな?」

 真っ赤なつなぎに真っ赤な髪。頭にはバンダナを巻いていて、それも赤い。面倒そうな顔つきでこちらを見ている。体の線が細く髪も長いせいで女子と間違えてしまいそうだけど、彼は男だ。

 四月朔日動力。彼は捜査をしていない生徒のひとりだ。それでも何か、反論できる材料でもあるのか。

 「お前が犯人なんだろ? いい加減諦めろよ。容疑者の幅を広げるっつったって、お前以外に手縄を殺せたやつなんていなかったぞ」

 「我もその男に賛成だ。貴様以外、このような悪事に手を染めることのできる蛮族はいない!」

 「えっと………………」

 なんか変なのまで出てきたー! ちょうど雲母さんの後ろにいた女子生徒だ。四月朔日くんとは対照的に、彼女は真っ白だ。髪は脱色でもしているのか。肌も白いし、着てるのは巫女装束だし。

 巫女装束! 彼女は僕が見た限り、それをいつも着ていた。そんなものを普段着にしている人間を、僕は今まで見たことも聞いたこともない。喋り方も変だ。これが噂の…………えー、何とか病?

 後で鴻巣先生にでも聞こう。精神疾患のひとつだったような…………。どうも記憶が曖昧だ。

 「…………なんか分かりにくかったけど、御巫みかなぎさんも四月朔日くんの意見に賛成ってことで良いんだよね?」

 名前は御巫巫女、だったな。まだ一週間程度じゃ、クラスメイト全員の名前を覚えられない。

 「そこの全身悪趣味レッド! あんたはまともに捜査してないんだから黙ってなさい!」

 「御巫さんも、少し落ち着こう」

 ふたりは阿比留さんと遊馬くんにストップをかけられた。このふたりは明確な根拠があって僕を犯人だと言っているわけじゃない。だからその制止は正しい。

 それにしても阿比留さん、やっぱ男子に厳しいなあ。

 ふたりは制止できたから、先へ進もう。容疑者の幅について、僕の話が途中だった。

 「…………じゃあ、先を続けていいかな? 容疑者の幅を広げようって話だったね。女子はお互いがアリバイを主張しているから、容疑者の枠には入らない。男子も、基本的には同じだ。でも、例外的な生徒が三人いたよね」

 「……俺たちのことかよ」

 分かっていたこととはいえ、容疑者扱いはあまり心地よくない。五百蔵くんは苦々しげな顔をする。遊馬くんは自分の無実を信じているのか、表情を変えない。

 間違って犯人だと指摘されたところで、ペナルティはない。そういう目線に立ってみれば、遊馬くんの反応は当然とも言える。焦る必要が無いからだ。疑われたという嫌悪感は残るけど、彼は必要な疑惑だと思ってくれているようだ。

 「残念だけどね。五百蔵くん、僕以外の容疑者がいるとするなら、それは君と遊馬くんだ。君たちは体育が始まってから三十分後くらいに、肉丸くんをつれて保健室に来た。そしてそこから先は、ひとりになって別行動をとった。その僅かな時間だけ、君たちふたりにはアリバイが無いんだ」

 「それなら、枇杷のやつも容疑者なんじゃないのか?」

 「ぼ、ぼくですか!?」

 いきなりやり玉に挙げられて、肉丸くんは素っ頓狂な声を出した。肉丸くんの容疑を払拭したのは御手洗くんだった。

 「それは考えにくいな。枇杷は足を軽く引きずっていた。無花果たちが視聴覚室に向かう間だけひとりになったとはいえ、その足じゃ先回りして明を殺害するのは難しい。よしんば怪我が演技だとしても、ギリギリすぎる。枇杷には五分どころか、一分も時間が無かったんだぞ」

 その台詞の後を受けて、抱さんが発言する。

 「では今のところ、その三人の中に犯人がいると思って話を進めてもよさそうですね」

 「そうだな。もっとも、この三人の中に犯人がいるのは確定じゃない。ただ、可能性を広げ過ぎても収拾がつかない。暫定的にそう思って、推理を進めよう」

 ここから先の議論の方針は、大方決まったな。僕もとどのつまり、遊馬くんか五百蔵くんしか容疑者はいないと思う。その可能性ばかりに気を取られて視野が狭くなるのは避けたいけど、御手洗くんの言うように可能性を広げ過ぎても迷う。議論がよっぽど詰まらないかぎりは、このふたり以外(他の人から見るなら、三人)の可能性は切り捨てる。

 方針がまとまったところで、赤ペン先生が進行を進める。

 「じゃあ、先生もそんな感じで進めたいと思いまーす。それでは、さっそく疑問点を話し合いましょー!」

 「疑問点っつうなら、ひとつ、あるぞ」

 四月朔日くんが、のっそりと喋った。さっきとはえらい違いだ。まるで地雷原を歩いているようなのろさだ。さっき阿比留さんに手厳しく言われたのが応えているのかも。彼も阿比留さんが苦手になったらしい。

 「九の言ったことが正しいなら、遊馬は鴻巣先生を探して体育館に行った後で、いなかったから一度保健室に戻ってきたんだよな。どうして女子の体育を見ていた鴻巣先生が、体育館にいないんだよ。それこそ遊馬の嘘なんじゃないか?」

 その疑問はもっともというか、まず捜査をしていなくて情報も頭に入れていない四月朔日くんからすれば自然なハテナだ。遊馬くんが犯人なら、そうやって嘘をつけば少しはひとりになる時間を稼げる。

 それに反論したのは鴨脚さんだ。

 「それは違うよ。ちゃんと遊馬くんは体育館に来たし、鴻巣先生も途中で体育館を出てったんだよ。ですよね、鴻巣先生」

 「そうね。実は手紙をもらっちゃって。そうそう、こうやって操作すると、画面に写真やメモを出せるから……っと」

 鴻巣先生は手元の画面を触る。すると、僕たちの画面に、鴻巣先生がもらったという手紙の写真が映し出された。赤ペン先生の後ろにある液晶画面にも、同じ写真が出ている。

 「デバイスと机の上のモニターは無線で繋がってるから、こうやって自分の撮影した写真とかを出せるのよ」

 それは最初に言うべきでは?

 「……で、この手紙には『二時間目が始まってから二十分後に、校舎裏の焼却炉まで来てください。相談したいことがあります』って書いてあるわ。わたしはこの手紙のとおり、焼却炉に行ったの。そしたら誰もいなかった…………」

 そこから推察される事実はひとつだけだ。雲母さんがそれを述べる。

 「つまり、この手紙は鴻巣先生を体育館からおびき寄せる罠だった公算が高いってことね。容疑者の内、誰が犯人だったところで、鴻巣先生は体育館にいなかった方がいいのよ。無花果くんと武くんは耕一くんをひとりにさせて嫌疑をかけられる。耕一くんは、ひとりになる可能性と時間が増えるから」

 鴻巣先生が体育館にいるよりは、どこか見当もつかない場所に居てくれた方が犯人にとっては安全だった。僕や五百蔵くんが犯人の立場なら、容疑者がひとりでも増えた方が安心だ。体育を欠席したり途中で抜けたりと、あからさまに怪しい行動をとっている分、そういう安全策がほしくなる。

 遊馬くんが犯人なら、鴻巣先生を探すという名目でひとりきりになれる。一度体育館に顔を出して女子たちに見られれば、信憑性は増す。どちらにせよ、鴻巣先生を体育館から遠ざける手紙を書いたのは犯人と考えていい。

 もし他の誰かがいるなら、今になっても名乗り出ないのは変だ。怪しまれるのが嫌なのか? しかし、手紙を書きました、ならあなたも容疑者です。そんな短絡的なことにはならない。それはここまでのHRの流れを見ていれば、分かりそうなものだ。

 「じゃ、鴻巣先生の手紙は犯人の罠ってことでいいね! それなら次は、肝心の手縄殺害の方へいきましょ」

 阿比留さんが話をまとめて、議論を次のステップへと進行させる。

 「あたしが一番不思議に思ってるのが、ここなんだよね。容疑者として九の他に遊馬と五百蔵が挙げられたけど、手縄の殺害方法を考えるなら犯人は九しか考えられないじゃない。手縄のやつ、死んだ後で磔にされてるんだよ? さらにスクリーンには文字が書かれてる。これだけのこと、たった数分じゃできない。そして容疑者の内、遊馬と五百蔵がひとりきりなった時間はどう大目に見ても五分くらいじゃない」

 つまり僕が犯人。その阿比留さんの考えは論理的で正しい。論理的、には。

 僕だけは知っている。僕が犯人じゃないことを。阿比留さんの考えは、間違っているということを。

 僕が犯人じゃないなら、ここに何か仕掛けがある。一見不可能に思われる犯行をやってのける大仕掛けが。

 「でも阿比留さん。僕が犯人だとしても、ちょっと変なんだ」

 まずはちょっとした違和感から、解決しよう。

 「なんで手縄くんは、磔にされたんだろう。犯人がたとえ時間的な余裕があった僕だとしても、手縄くんを磔にする理由はどこにもないんじゃないかな。スクリーンの文字もそうだよ。むしろそんな一手間、加えない方がいい。なにせそんな手間があるからこそ、僕は疑われているんだから」

 「それもそうよね。わざわざそんなことして疑われてるんじゃ世話ないし、あんたがそこまで馬鹿には見えないわ」

 軽くけなされたけど、僕の言い分は納得してくれて助かる。

 御手洗くんがさらに、僕の言いたいことをまとめて話してくれる。

 「そうだな…………俺も疑問に思ってたんだ。もしかして磔やスクリーンの文字は、犯人の仕掛けたトリックなんじゃないかってな」

 「…………トリック?」

 その単語は、聞いたことある。ただ、このタイミングで使ったことが無いから、どういう意味合いで使われたのかは分からなかった。そんな僕の様子を見て、御手洗くんがさらに説明する。

 「……アリバイすら知らなかったんだ。もう俺はお前が何を知らなくても驚かないぞ。犯人の仕掛けた工作全般を、推理小説なんかじゃトリックって言うんだ。この場合、犯人は磔やスクリーンの文字を用意することで『犯行に時間がかかる』と思いこませようとしたんじゃないか? そうなると逆に、時間的な余裕が無花果に比べて極端に少ない耕一や武の方が怪しくなる」

 遊馬くんはしばらく考えてから、そっと口を開く。

 「そういう風に、僕たちへ疑惑を向けるための、九くんの罠という線は無いのかい?」

 と、いうからには、遊馬くんもまだ思いつかないみたいだ。たった五分程度で、手縄くんを磔にしてスクリーンに文字を書く方法を。

 「勿論その線も考慮に入れないとな。カリカ、お前はどうだ?」

 御手洗くんに促されて、雲母さんは一度唇を強く結んでから、開く。しかし声は出ず、すぐに口を閉ざしてしまう。何か、言おうか言わないか悩んでいるようだ。

 「……………………カリカさん?」

 抱さんが心配そうに雲母さんの名前を呼ぶ。そこで彼女は、意を決したように話しだす。

 「実は、犯人の目星はついているのよ………………」

 雲母さんの一言は、クラスメイト達に衝撃を与える。ただ、僕はあまり驚けなかった。雲母さんは、犯人をもう既に見つけている。何となくだけど、そんな気がしていた。

僕が問題だと思うのは、彼女のその態度だ。自信なさげで、その一言を発するだけで精一杯の、内気な女の子のような。その態度はおおよそ、僕の知る雲母カリカとは別人だ。

 何か、裏でもあるのか。それともただ、真実を追求することに重圧を感じているのか。

そんな内気な彼女の態度は、しかし一瞬で反転する。気づけばいつもの、不敵で神秘的な彼女が戻っていた。

 「……犯人の目星はついているわ。明確な根拠もある。ただ、今これを言っても話が飛躍しすぎよね。明くんの殺害方法に話を戻しましょう。そこはわたしも、まだ謎が解けていない。その謎を解くついでに、わたしの目星が正しいか確かめさせてもらうわ」

 雲母さんの言葉は、ほとんど独り言に近い。言葉をぶつけるべき目標を見つけられず、照準がさまよっているみたいだ。それでも最後に、彼女のポインターは僕へと行き着いたらしく、雲母さんは僕を見た。

 「無花果くん、あなたならもしかしたら、何か思いつくんじゃない? たった五分で、手縄くんを殺害して磔にし、さらにスクリーンに文字を書く方法を」

 「……僕に、何が分かるっていうんだよ」

 それは、本心から出た言葉だった。雲母さんにすら見当のついていない問題を、どうして僕なんかが解決できるんだ。

 それとも、雲母さんには何か確証があるのか? 僕が、答えを見つけることができる確証が。

 「無花果さん。諦めたら何も始まりません。とにかく考えましょう」

 「抱さん…………」

 わたしたちが諦めたら、明さんの仇は誰がとるんですか? 抱さんはつまり、そう言いたいのだ。

 …………手縄くんの仇を取ることが、僕にできる唯一のことだった。それを危うく、忘れるところだったのかもしれない。……考えよう。答えはどこかにある。

 「みんなに聞きたいんだけど、手縄くんの死体や視聴覚室の状況で、不自然なところは無かった? もし犯人がトリックとやらを仕掛けているのなら、その跡が不自然さとして残ってるんじゃないかな?」

 まずは情報を集めないと。僕自身いくつか不自然さには気付いているけど、ここはみんなに言ってもらって、客観的に頭へ入れ直す。ここを突破口にしないと、答えが見つからない。

 「ううん? 磔と文字以外でか? 俺は気づかなかったな。紅葉はどうだ?」

 五百蔵くんに促されて、鴨脚さんは何かを思い出したようだ。

 「不自然な……あ、そうだ! スクリーンに穴が開いてた」

 捜査の最後に見つけた、あの穴だ。五百蔵くんは老朽化の結果なんじゃないかと言っていたけど、不自然な点であることには違いない。覚えておこう。

 次に言葉を発したのは御手洗くんだ。彼も犯人のトリックを考えながら、僕にヒントをくれた。

 「口元のガムテープと頭頂部の傷、か? 明を気絶させたなら、口封じのガムテープは必要ない。加えてさっき気づいたんだが、ガムテープを剥がす必要もなかった。二度手間どこか三度手間だ」

 「………………待て」

 その声は唐突に聞こえる。雲母さんの後ろ、御巫さんだ。何か思いついたようだけど………………。

 「我はスクリーンの文字を見ていない。それを少し、見せろ」

 およそ人にものを頼む態度じゃない。それでも抱さんがモニターとデバイスを操って、スクリーンの写真を表示する。鮮やかに赤い文字で、『踏み台と成れ!』とやたら達筆で書かれている。それをじっと見た御巫さんが声を張り上げる。

 「やはりそうか…………。どうにも貴様らが、スクリーンの文字に対して何の評価も下さないのが不思議だったのだ」

 「どういう意味……じゃなくて意義だ?」

 御巫さんの言葉が理解できない。彼女は何を思って、突然スクリーンの画像を見たがったんだ?

 僕の言葉に、御巫さんは地面に落ちている塵を見るような目でこちらをねめつける。…………人って、ここまで他人を見下せるものなんだな。

 「分からぬか愚民。よく見ろ、このスクリーンに書かれた文字は見事な達筆だ」

 「それは、そうなんだけど…………」

 字の巧拙なんて人によって違うだろうから、これは別に違和感でも何でもない。そう思った僕は、御巫さんの次の言葉で狼狽する結果となってしまった。

 「どうしてこんな達筆で書ける?」

 「え………………?」

 「見ろ! スクリーンは死体を覆ってしまい、不規則にデコボコだ。それなのにどうしてここまで達筆なのだ? どうしてこう、達筆に書くことができると思う!?」

 そう言われて、モニターを見る。そうだ、無駄に達筆だ。スクリーンはデコボコしているのに。

 普通、デコボコした表面に文字を書こうとしたら字は崩れる。しかもその原因は死体。柔らかい人体。どれだけ頑張ったって、こんな風に書けるはずがないじゃないか。

 なんで今まで、ここに気付かなかった。

 「つまり! 犯人は一度スクリーンを外したのだ! それ以外考えられない」

 「…………御巫ちゃん、スクリーンは外れないんだよ」

 御巫さんの結論の間違いを指摘するのは鴨脚さんに任せて、僕は考えよう。この違和感を。この不自然を。

 どうして犯人は、上手にスクリーンへ『踏み台と成れ!』なんて長い文言を書くことができたのか。

 「……だ、だったら、手縄さんを殺して、磔にする前にスクリーンに文字を書いたんじゃないかな?」

 「肉丸なぁ、あの文字がペンキで書かれたのか手縄の血液で書かれたかは知らねえけど、どっちにせよ乾かねえとスクリーンが邪魔で手縄を後から磔にできねえだろそれじゃ」

 肉丸くんのアイデアは、四月朔日くんが否定する。肉丸くんのアイデアは僕も考えたけど、四月朔日くんと同じ理由で却下だ。確かにスクリーンへ文字を書くのに手縄くんの死体が邪魔だというのなら、手縄くんの死体をそこへ磔にする前にスクリーンへ書けばいい。だけど、それだと今度は手縄くんの磔に、垂れ下がったスクリーンが障害になってしまう。文字を書いた直後にスクリーンを巻き取るわけにもいかない。そんなことをしたら文字がぐしゃぐしゃになる。スクリーンの文字にそんな痕跡はどこにもない。

 スクリーンを巻き取らずに手縄くんを磔にしようとしても、同様に文字はぐしゃぐしゃになるだろう。スクリーンと黒板の間にはスペースなんてない。手縄くんを磔にする過程でスクリーンをたるませてしまったら、乾ききっていない文字は結局汚れる。今モニターに映っているような綺麗な字にはならない。

 スクリーンの文字は、ちゃんと乾燥させられていた。その上で手縄くんを磔にしたということか。僕は殺害から磔、文字という順番だとばかり思っていたけど、実は一番最初にスクリーンへ文字を書く作業があったのか。犯人はきっと、朝早く学校に来てスクリーンへ文字を書いたんだ。一時間目は英語で二時間目が体育なら、誰も視聴覚室へは近づかないし、それが妥当か。

 視聴覚室は昇降口ほど風通しも悪くなさそうだから、朝の時間と一時間目の分を合わせれば充分乾きそうだ。

 「うーん、んん?」

 そこに何か、新しい違和感が生まれる。それは、順番。

 「………………あれ? 手縄くんあんなに出血してるのに、血溜まりは視聴覚室の、黒板の前しかできてないよ、な」

 「え、九くん何か言った?」

 小さすぎるその声は、隣にいる鴨脚さんや五百蔵くんにすら聞こえなかった。それでもその一言は、僕の思考をグルグル回す。頭のどこかで、歯車のかみ合う音が聞こえる。

 「なんでだろう? いや、先に手縄くんは気絶してたみたいだからあちこちに血痕があるのもおかしい…………。それでも変だ。何が変って…………」

 手縄くんの顔に、ほとんど血痕がないことが、だ。手縄くんは殺害される前に、頭を殴られて気絶させられていた? なら手縄くんは、死ぬ前にどんな体勢だった?

 「仰向け、だよね。横向きに寝転がってたっていうのは不自然だ。うつ伏せなんて論外」

 手縄くんが胸を刺されて死んでいる。まさか手縄くんを殺そうとする犯人が、わざわざ刺しにくいところを刺すとは思えない。刺しやすく、致命傷になりやすいから、胸を刺すんだ。それは要するに、手縄くんが仰向けに倒れていたということだ。

 「でも、手縄くんの顔にほとんど血痕が無い」

 これは『経験則』から推測できることだが、手縄くんの顔にほとんど血が付いていないのはおかしいのだ。仰向けに倒れて、胸を刺される。血は、あの血溜まりを思えば、噴水のように出たに違いない。それならば、手縄くんは体といわず顔といわず、全身が血で濡れていないとおかしい。

 そして、そうならないとおかしい状況下で『そうなっていない』のは、『そうならない』理由があったからだ。

 「たとえば手縄くんの顔に布でもかければ、血はつかない」

 布を顔に掛けてしえば完全に、出血で顔が汚れるのはガードできる。…………そうじゃない。だって、僅かには血が付いていた。完全ガードじゃ駄目だ。

 考えられる可能性は、たったひとつ。

 仰向けじゃなかった。それに尽きる。

 そしてさらにこそから、考えられる可能性。

 「どうして僕たちは、殺害された後で磔にされたと思ったんだ………………!?」

 独り言のつもりだったけど、意外と大きな声が出てしまった。全員の注目が自分へと注がれるのが、嫌でも分かる。まだ考えて煮詰めないといけない推理だけど、こうなったらみんなに聞こう。その方が、もし勘違いがあった時に、修正してもらえそうだ。

 「え、えっと、だからつまり、僕たちはどうして手縄くんの磔が、殺害の後だと思ったんだろうって、ね」

 「…………それよ。それがきっと、正しい答え」

 雲母さんが、僕のこんな考えに賛同してくれる。彼女の静かな興奮が伝わってくる。こんな、興奮するタイプには思えないのに。そんなに、彼女の求める真実に、僕は近づいているのか?

 「思えば、明くんが殺害された後で磔にされた証拠なんて、どこにもなかったわ。どうしてわたしたちは、こんなことに気付かなかったの?」

 「くそっ! 盲点だった。こんな初歩的なミスをするなんて!」

 御手洗くんの、悔しがる声が聞こえる。え、えっと、僕もちょっと盲点だった考え方だとは思ったけど、まだこれが正しいとは限らないんじゃ…………。

 「そうです! 無花果さんの考え方で合ってると思います! わたしたちは昨日の六時間目に、赤ペン先生から魔女狩りについて聞きました。そこでは両面をグリルされた人が、その後十日間は磔にされた話もあります。その話が頭の中にあったせいで、殺害から磔の順番を疑うこともしなかったのかもしれません!」

 「抱さんまで…………まだ正しいって確証はないんだよ」

 …………それでも、これは突破口だ。どうしても抜け出せなかった時間の穴。この考え方なら、もしかしてそこを突っ切れる?

 失敗してもいい。今はこの考え方に沿って、作り直すんだ。手縄くん殺害の、本当の手順を。

 「とりあえず、この考え方が正しいのかどうか、手縄くんが殺害された順番を考え直しながら確かめよう。まず、犯人は視聴覚室のスクリーンに文字を書いたんだ。この作業は手縄くんを磔にする前に、かなりゆとりを持ってやらないと駄目だ。字が乾かないからね。だからたぶん、昨日だ。昨日の放課後、ほとんど校舎にクラスメイトが残っていない状態で、犯人は行動したんだ」

 「あの赤い文字は、明の血で書かれてるんじゃないのか?」

 五百蔵くんが、僕の言葉に否定を入れる。それこそが重要だ。その否定を切り返して、さらにこの推理を強固にする。

 「スクリーンの文字は、鮮やかな赤色だ。それに比べて、乾いた血溜まりの色は赤というか、ほとんど黒だよね。血液はどうも、乾いて固まると赤色というよりは黒色になるみたいなんだ。だからきっと、スクリーンの文字はペンキなんじゃないかな? どのみち、文字に使われた塗料の成分を鑑定できない僕たち相手になら、どうとでも偽装が効くよ」

 だからここは、明確な根拠は無くても、ペンキだと言い張ったって問題ない。どうとでも偽れるなら、そこまで追求する必要が無い。本当は、捜査中にペンキを探せると良かったんだけどね。

 遊馬くんがデバイスを捜査して、スクリーンの文字と一緒に血溜まりが写っている写真を表示する。スクリーンの文字の綺麗な赤に比べれば、血溜まりは赤色なのかも怪しいくらいだ。

 「僕も九くんが言うように、スクリーンの文字はペンキだと思う。同じ血液なら、乾いた場所が違うとはいえ、ここまで色に違いがあるのは奇妙だ」

 「そうだな…………ここまで違うとそんな気がするな」

 五百蔵くんも写真を見て、反論を収めた。

 「続けるよ。スクリーンの文字は一晩も置かれれば、さすがに乾く。犯人はそのスクリーンを一度巻き取り、視聴覚室で手縄くんを待ち受けた。今から思えば、赤ペン先生は手縄くんが欠席したとは言ってなかったけど、同時に遅刻したとも言ってなかった。手縄くんは朝のHRが始まる前に学校にはいたんだよ。だから、遅刻でもない。

 犯人は理由をつけて手縄くんを、他の生徒が誰も来ないくらい朝早くにおびき寄せたんだ。ここからは推測だけど、犯人は『草霞野球団の一件』を利用したんじゃないかな? 手縄くんはそのことを、意外に気にしてたみたいだから」

 意外になんてものじゃなく、滅茶苦茶気にしてた。その事件のために彼は、周囲と壁を作ってた。

 「…………無花果さん、犯人はどうやって、手縄さんにアポを取ったんでしょう? 明さんは学校が終わるとすぐに帰ってしまってました」

 抱さんの疑問も当然だ。ただ、ここら辺の細かいことは推測でしか答えられないのが辛い。こんなことなら、捜査中にここまで気づいておくべきだった。そうすれば、犯人が手縄くんとアポを取った方法が、もっと確実なものなったのに。

 「これも推測だけど、手縄くんがすぐ帰るなら、直接彼に言わない方法しかないと思う」

 「…………手紙、ですか!? 鴻巣先生と同じように」

 「うん。それなら必要なことは確実に相手へ伝えられるし、手縄くんを二人きりの時に捕まえる手間は省ける。ともかく、そうやって手縄くんをおびき寄せた犯人は、ハンマーで手縄くんの頭を殴って気絶させたんだ。鴻巣先生が見つけて阿比留さんが取りに行った、あのハンマーで」

 阿比留さんが写真をモニターへ映す。煤汚れがある以外は、変哲もないハンマー。柄には『美術室』と書かれたラベルが貼ってある。

 「あっ! もしかして九、あんたこれならハンマーの処分問題も解決するでしょ!?」

 阿比留さんの言うハンマーの処分問題というのは、ハンマーを捨てる時間帯の問題だ。鴻巣先生は手紙の指示に従って、授業開始から二十分後に焼却炉向かい、そこで焼却炉に捨てられたハンマーを見つける。そうなると、ハンマーが捨てられたのはそれより前ということになる。そして僕以外のふたり、五百蔵くんと遊馬くんの自由時間はそれより後。ハンマーは処分できない。ハンマーを処分できる容疑者は僕だけ。

 それもまた、僕が犯人だとみんなに疑われる原因のひとつだった。

 「そうだよ。ハンマーを使ったのは、体育の時間中じゃなかった。今朝だったんだ。それなら鴻巣先生が二時間目のいつに焼却炉に着こうが関係ない。犯人は余裕綽々で、使い終わったハンマーを焼却炉に捨てることができた。きっと犯人は、手縄くんを磔にして口にガムテープを貼った後で、ハンマーの処分に向かったんだよ。口にガムテープを貼ったのは、目覚めた手縄くんが叫ぶと困るからだよ。御手洗くん、これで不自然な二度手間の謎も分かったよ」

 「無花果の言うとおりだ…………。それなら、俺の疑問は解決する」

 気絶させてから殺害までに、かなり間があったんだ。そうなると手縄くんが気絶から目覚める可能性がある。手縄くんが叫んで助けを呼ばれると、犯人の計画は瓦解する。そのために口封じとして、ガムテープは必須だ。

 「…………そしたら、いよいよ最後の大詰めだ。犯人は二時間目の途中、理由を付けて体育を抜け出した。この理由ってやつはなんでも良かった。ちょうど肉丸くんが転んだこともあって、犯人はそれを利用したんだ。保健室に向かったのはふたり、五百蔵くんと遊馬くんだ。ふたりは保健室に肉丸くんを運んだら、それぞれ別行動をとった。その時間は約五分と短いものだったけど、それでも構わない。返り血はともかくとして、磔はあらかじめ終わってたんだから。口元のガムテープを剥がして、手縄くんの胸に包丁を刺して戻るだけなら、五分で充分だ。包丁はあらかじめ、視聴覚室に置いておけば済む」

 口元のガムテープは回収の必要がある。磔したうえでガムテープなんて貼ってたら、どうしたって拘束した上で殺害したように見えてしまう。殺害と磔の順番を誤認させるためには、ガムテープは無い方がベストだ。結局、貼ってあったのはバレてしまっているけど、その一手間で誤認には成功しているわけだ。

 返り血は、別のトリックがあるのだと思う。返り血のトリックを含めても、五分で殺害は事足りた。そういうことなんだ。返り血の処理方法以外は全部、綺麗に筋が通った。

 「いやー。急に真相に近づいたような雰囲気が出てきました! 犯人は誰なんでしょうね」

 赤ペン先生の、緊張感のない合成音声の茶々は無視する。返り血のトリックはまだ分からない。ここは、分かることから始めたい。

 「雲母さん…………そろそろ教えてくれないかな? 犯人の目星っていうのを。もうそこまで、飛躍した話じゃないと思うんだ」

 「そうね………………」

 雲母さんは唇に手を当てて、考える。ここは僕の推理と彼女の警戒心の勝負だ。雲母さんは僕の推理をどこまで信じてくれるのか、そこにすべてがかかっている。伸るか反るかの勝負。

 彼女の出した結論は、半々だった。

 「いいけど、もうあなたなら分かるんじゃないかしら。推理してみなさい」

 「え、えっと、そういう暇はないんじゃ…………」

 雲母さんの言葉の、意図が見えない。見えたことなんて一度もないけど。

 「当たっても外れても、わたしの目星と証拠は教えてあげるわ。だからとにかく、推理してみて」

 「わ、分かった…………」

 どの道教えてくれるならこの行いに意味なんて――――意義なんてなさそうだ。でも今はグダグダ言い合ってる場合じゃない。僕が推理すれば教えてくれるというのだ。素直に従おう。

 「ちなみに、その証拠っていうのは、形ある物なんだよね?」

 「ええ。写真も撮ってあるわ。もっとも、写真でどれほどの意味があるかは定かじゃないけど」

 「……………………?」

 混乱させるようなこと言うなぁもう。とにかく、推理に集中だ。

 雲母さんが目星を付けた犯人っていうのは、五百蔵くんか遊馬くんだ。これは確実。今までの流れを一切訂正しなかったということは、彼女は僕の考えが間違っているとは思っていない。その上で僕にも分かると言った。だから僕の考えに従い、犯人はそのふたりの内の誰かというのが分かる。

 証拠、だ。問題は証拠。ここまではほとんど完璧と言ってもいい犯行をしでかした犯人が残したという証拠は何だ?

 偶然が絡めば計画じゃなくなる、だっけ? 抱さんが言ってたのは。これだけ計画を立てた犯人がもし証拠を残すとすれば、それは偶然起きた事態を回避するためにとった、計画外の行動にあるのかも。

 良い線行ってるんじゃないかな? ちょっとこの考え方を進めよう。今日起きた偶然はなんだ? あ、そうだ、まず僕が体調不良で体育を休んだのが、犯人にとっては一番の偶然だ。だって、僕が保健室にいなければ、一番怪しいのはひとり保健室にいた肉丸くんということになる。今まで僕が推理した方法が肉丸くんでも可能になるんだから、むしろ犯人が望んでいたのはそっちのパターンだったのかもしれない。

 どの道僕が容疑を一身に被っていたから、犯人にとってはうれしい誤算だ。この偶然から、犯人が証拠を落とすとは考えられない。

 他に、今日あった偶然は? 肉丸くんが転んだのも偶然と言えるけど、それも犯人にとってはうれしい誤算。そうじゃない。犯人がアクティブな行動を取らざるを得ない偶然の事態。それこそが、犯人が証拠を落とす唯一無二の隙。

 「………………あ」

 そこで僕は気づく。今日の一番初めに起きた、偶然の出来事。それが分かると、一気に犯人まで、僕の思考は突き進んだ。

 もう、これ以外に考えられない。断言していい。これが真実だ。

 「雲母さんが写真に収めた証拠は、靴だね?」

 僕のその言葉に、雲母さんはしっかりと頷いた。その目に宿る青い冷たさは、消えた。

 答えはすべて見えた。

 「君が犯人だったんだ」

 僕の右手は、右隣にいる生徒を指し示す。

 時計回りに名簿順で並んだ円。僕の右隣は、彼しかいない。

 「五百蔵武くん。君が、手縄くんを殺したんだ」

 宣告を受けた彼の表情は、固まる。その後表情は融解して、笑い始めた。その笑いは、上っ面だけの寒々しいものだった。

 そうか、人って、絶対に暴かれたくない秘密を知られると、こういう態度を取るんだった。『先生』がそうだった。嫌なことを、思い出したよ。

 「くくく、くくっ、ははははははははっ!」

 「い、五百蔵くん…………?」

 後ろで、鴨脚さんの声が聞こえる。彼女の声は、震えている。ガチガチと歯がぶつかり合う音も聞こえる。きっと今の彼女の体感温度は、夏服で南極に放り出された時と同じだ。

 僕にとっては、ここからが難局なんだけど……と、しょうもないことでも言わないと、少し僕も、挫けそうだった。

 「おいおい、俺が犯人だって? そいつは無いぜ。お前、自分が犯人の可能性が一番高いって分かってて、そんなこと言うんだろ? なあ、本当はお前が犯人なんじゃないのか? 今までのお前の推理、実は全部でたらめでさあ。いや笑っちゃうよ。いや笑えねえ。こんな冗談があるかって――――」

 「五百蔵くん。今の君の喋り方は、かつて犯人だったある人と同じだよ。表情が固まって、笑い出して、お喋りになるところまで、そっくりだ」

 君の言葉はもう、僕の心に響かない。そんな冷めた声は、ぬるい言葉は、僕の凍りついた心を溶かさない。

 僕が挫けそうなのは、失敗という過去に、だ。三年前の失敗を繰り返すんじゃないかと、あの時の光景が頭をよぎる。

 そのフラッシュバックを切り捨てて、僕は進む。

 「…………どういうことだ!? 九くん、雲母さん、僕たちにも説明してくれ!!」

 遊馬くんが堪りかねたように大声を上げる。そうか、他のみんなには、まだ説明してなかったな。傍目には、雲母さんの言う証拠品が『靴』だと分かった瞬間、僕が犯人は五百蔵くんだと言い切った、何とも話の繋がりが分からない会話だっただろう。少し悪いことをした。

 雲母さんは目を閉じて腕組みをして、じっとしているだけだ。口も横一文字にきつく結んで、何かをこれから話そうという様子は無い。僕に説明は譲ると、そういう意思表示みたいだ。

 「……………………僕が本当の犯行手順を説明する際に、ひとつ落としていたことがあるんだ。犯人が視聴覚室に向かうまでの経路だよ」

 「ああ………………っ!」

 抱さんは、膝から崩れ落ちる。僕の言葉で、もう分かったみたいだ。御手洗くんは拳を握りしめて、声を発することなくただ五百蔵くんを睨んでいる。このふたりは、今の僕の言葉で気づくと思っていた。

 「遊馬くん。君が犯人だったら、どうやって視聴覚室まで行く? 体育館へは一度、顔を出したと仮定して考えてみてよ」

 「……そう、だな。まず校舎へは、東側昇降口から入るな。体育館から校舎へ戻るところを、女子の誰かに見られても言い訳ができるようにしたい。東側昇降口から入れば、保健室に寄った上で、鴻巣先生を探して校舎の中をうろついていたと言えそうだ。

 ただ、実際は保健室にはすぐ戻れない。保健室には九くん、君がいた。保健室に戻って君に『一緒に探そう』なんて言われると困る。君は体調不良だったから、何とかベッドに寝かしつけることも可能だが、怪しさは残ってしまう。

 そこで保健室には戻らず、東側階段を使い二階へあがって、視聴覚室を目指す。手縄くんを殺害したら、東側階段から戻って保健室に寄る。これが一番、怪しまれずに済みそうだ」

 さすが遊馬くん。遊馬くんの犯行経路は五百蔵くんの犯行経路を考えるうえでの布石でしかないのに、そこまで綿密に説明してくれるとは思わなかった。僕も、そこまで細かく彼の行動ルートを考えなかった。

 そう、ふたりを犯人だったと仮定して、行動ルートを見極めることが重要だ。その思考で、犯人も、雲母さんの証拠も分かった。

 ヒントは中央昇降口だ。

 「うん。遊馬くんの言うとおりのルートが、一番適切だと思うよ。遊馬くん、少し面倒かもしれないけど、今度は五百蔵くんの立場に立ってくれないかな? 彼のルートを考えてほしい」

 「………………? 分かった。……五百蔵くんは、僕とは反対の方向へ向かったんだったな。つまり、五百蔵くんには中央昇降口と西側昇降口のふたつが、視聴覚室へのルートとして用意されているわけだ。しかし五分程度の時間しかないとなると、西側昇降口を使うなんて回りくどいことをする暇もない。必然的に、五百蔵くんが取るルートは中央昇降口だ。中央昇降口から校舎に入り、階段を上って視聴覚室まで向かう。手縄くん殺害後は、同じルートを逆走し昇降口を出て、運動場へ向かう。ああ、そういえば、もし五百蔵くんがこのようなルートを取っても、運動場にいるクラスメイトには気付かれないな。木が壁の様に植わっていて、視界を遮ってしまう。…………と、これでいいのかい? でも、まだ僕には分からない。君はどうして、五百蔵くんが犯人だと分かるんだ?」

 「…………そこまで行けばあと一息だよ。思い出すんだ。君が手縄くんの死体を発見する直前の行動こそ、今回の事件を説く鍵だった。僕も君の行動を思い出して、やっと雲母さんの示した証拠に気付いた」

 「僕の行動? 中央階段を上ったことか?」

 「違う。その前だよ」

 「その…………前…………………………っ!?」

 そこでようやく、遊馬くんは到着したらしい。五百蔵くんがどうして犯人なのか。雲母さんが示した『靴』という証拠の、大きな意味に。

 振り向けば、鴨脚さんがこちらを見ていた。彼女の目には、困惑の色が浮かんでいる。彼女はまだ、気づいていない。他の生徒もまだ気づかないみたいだし、説明しないといけないな。雲母さんはやっぱりまだ、目を閉じたままだ。僕に説明をさせようとする。

 いいだろう。ならば僕が、真実を紐解く。手縄くんの死を悲しむためにも。

 「五百蔵くんが手縄くんを殺した犯人なら、中央昇降口を通らないといけないんだ。あの、水気が残る床の上を、上履きなしで通らないといけないんだ…………」

 当然、靴下は濡れる。遊馬くんはそれを嫌って、二階から迂回するなんて面倒な方法を取った。

 「……中央昇降口の水は、ぼ、ぼくが撒いたんだよ。偶然だったんだ。だから、五百蔵さんは回避できなかった………………!」

 「そうだよ、肉丸くん。その結果、五百蔵くんは重大な証拠を残したんだ」

 それが、『靴』なんだ。

 五百蔵くんが笑顔を貼りつけたまま、目の前の僕に言い寄る。正直、気味が悪い。

 「おいおーい。俺の靴下は濡れてないぜ? つっても、今さら確認できねえよな。靴下はもう乾いてるだろうし。それにカリカは、俺の靴下を撮影しては無いぜ?」

 「靴下が濡れているかどうかは、確認のしようが無い。雲母さんが捜査段階でそんなことをしたら、五百蔵くんを無闇に警戒させてしまう。でもね、中央昇降口を通ったことで濡れるのは、靴下だけじゃない」

 そこで、モニターに一枚の写真が映し出される。見ると、雲母さんがデバイスを操作していた。

 モニターに現れたのは、『靴』だ。

 五百蔵くんの靴。

 「無花果くんが言わなかったかしら。わたしが撮った証拠は『靴』だって。考えてみなさい。中央昇降口の靴脱ぎは、水溜りだらけだったじゃない。急いであんなところと通り抜けようとすれば、靴は水溜りに入って濡れる。事前に知っていれば回避のしようもあったでしょうけど、知らなければ慌てて昇降口に入って、水溜りに突っ込んでしまうでしょ? だからわたしは、男子全員の靴を調べたの」

 雲母さんの目には、冷たさが戻っていた。刀のような鋭さを纏って、より冷徹に。その冷たさは、五百蔵くんの隣にいる僕にまで届く。

 萎縮する。僕は何にも悪いことしてないのに。

 弱気になった心を立て直して、僕は雲母さんの言葉に続く。

 「写真でどれほどの意味があるか分からない…………って雲母さんが言ったのは、写真だと濡れているかどうか判断がつかないからだよ。だけど、五百蔵くんの靴が濡れていたという雲母さんの証言は、僕が保証できる。僕も五百蔵くんの靴に触れて、濡れているのを確かめたんだ。もっとも、抱さんを探しに運動場へ行くときに、うっかり間違えて五百蔵くんの靴を取り出そうとしちゃってね。僕が確認したのは、それこそ偶然の産物だったんだ」

 今回は偶然に頼りすぎた。ま、運も実力の内だと、五百蔵くんには理解してもらおうか。

 「ちなみに今日は、というかここ一週間、雨なんて一滴も降ってない。さて五百蔵くん、靴下はともかく、靴が濡れた原因については、他にもっと合理的な原因があるなら教えてよ。ないんじゃないかな?」

 「て、てめえ………………」

 五百蔵くんが僕を睨む。だから、その行動も含めて、『先生』が三年前にとった態度とそっくりなんだって。

 「俺じゃねえ。俺が犯人じゃねえ! 犯人はお前だろ無花果!! まだ俺は納得できねえぞ。まだ返り血の処理が終わってねえ。磔は殺害より先? それは別に構わねえ。だがよお、どうしたって返り血は浴びるよなあああ! 明の口に貼ったガムテープ剥がして殺害すんのには五分もかからねえ。問題は返り血だろ! 返り血の処理まで含めれば、結局十五分くらいかかるんじゃねえのか!?」

 「もういいじゃねえか返り血なんて。こいつどう見たって犯人だぞ」

 心底面倒そうに、四月朔日くんが唸った。犯人の決定は多数決だ。もうここで終わったって、五百蔵くんが選ばれるのは十中八九間違いない。

 五百蔵くんが、それでは負けを認めない。自分の非を認めない。僕はそれだけは、許せない。

 せめて五百蔵くんに、自分の犯した罪の重さを知ってほしい。これ以上、このクラスで殺人を起こさないためにも。

 「分かりました。返り血について説明すれば、武さんは罪を認めてくれるんですね?」

 抱さんも、僕と同じ覚悟だった。立ち上がった彼女は、厳しく五百蔵くんを睨む。

 「五百蔵さんはどうやって、返り血を何とかしたのかな? 服を着替えたとか?」

 肉丸くんの言葉に、鴨脚さんが答える。彼女はもう、頭が働いている状態じゃなさそうだ。目が光を失って、ショックで立つのもやっとのように、僕からは見えた。それでも、自分の得意分野となると反射的に言葉が出てくるらしい。

 「それは…………無いよ。五百蔵くんのピンバッジは、『Star7』の限定品で、五百蔵くんは…………二十個しか持ってないんだよね? それも、ジャージ、とパーカーに全部つけてる」

 限界を迎えつつある彼女の言葉を引き継いだのは、御手洗くんだった。

 「つまり、武の着ているジャージをもう一着用意するのは不可能ということだ。それに、たとえ用意したとしても、五分では手や顔についた返り血を洗い落として着替えるのは、時間的にギリギリすぎないか?」

 そうなんだよな…………ピンバッジの数は五百蔵くんが誤魔化していたってことにもできるけど、結局替えのジャージを用意したって時間が足りない。着替えを用意するなんて普通の解決策だ。僕たちが求めているのは、五分以内にすべてを終わらせるウルトラCだ。

 着替えている時間すら惜しい。

 「それでは、着替えなかったと考えるべきですね。レインコートでも着て、返り血を防いだんでしょうか?」

 「それも考えられる。でも抱さん、レインコートを脱ぎ着したら、服を着替えないことへの根本的な問題解決にはならないよ」

 別の服を着たり脱いだりしてどうする。あれだけの出血だ。レインコートで防ごうとするなら、上下セットをしっかり着ないといけない。そんな時間は無いんだって。

 「盾でも使えばいいのよ」

 「はあ?」

 雲母さんの言葉に、思わず変な声を上げてしまう。雲母さんは真面目な顔でこちらを見ていて、およそ冗談を言っているようには見えない、いや、冗談を言うときも真顔だけども! とにもかくにも、彼女が冗談抜きで話をしているのは分かる。

 「おあつらえ向きに、視聴覚室にはその盾が堂々と置いてあったわ。使用した痕跡もね」

 「その言い草からすると、もう雲母さんには見当がついているみたいだね…………」

 盾か。いったい五百蔵くんは、何を使ったっていうんだ? 何を使えば、あれだけの出血を防ぐことができる……………………?

 「……スクリーン」

 しばらく考えても、答えは出なかった。僕の代わりに答えを言ったのは、抱さんだった。

 「無花果さん。たぶん、スクリーンです。スクリーンを使えば、武さんは返り血を防ぎながら明さんを刺せるんです」

 「そ、そうか…………あの破れ目か!」

 きっと五百蔵くんは、包丁であの破れ目をつくったんだ。そして腕をそこに通して、手縄くんの胸目がけて包丁を振り下ろす。あの破れ目は大きかった。体の小さな抱さんなら、頭が通るんじゃないかってくらいに。

 スクリーンの破れ目に突っ込んだ腕は血に染まるけど、それは洗えばいい。腕や顔に着いた返り血を洗って着替えて…………なんてことをするよりは短い時間で済む。洗うのは腕一本なんだから。

 さらにおあつらえ向けに、手縄くんの鞄の中には、血の付いたタオルがあった………………!

 「まとめると、今回の事件はこういうことになるんじゃないかな。基本的な流れは、僕がさっき言ったのと同じだ。スクリーンの文字は前日に用意して、今朝、君は手縄くんを視聴覚室に呼び出した。美術室から持ち出したハンマーで手縄くんを殴って気絶させた後、五百蔵くんは手縄くんを磔にした。途中で目覚めて叫ばれると困るから口にガムテープをしておいて、君は教室へ帰る。ガムテープは、手縄くんの鞄に入っていたやつだよね。君は手縄くんの鞄に、要らない物を突っ込んでおくことにしたんだ。少しでも事件を複雑にするために」

 その結果、御手洗くんは手縄くんが返り討ちにあった線を考慮せざるを得なかった。捜査かく乱の効果はあった。

 「包丁は視聴覚室にあらかじめ置いておいて、ハンマーは朝のうちに焼却炉へ入れてしまう。そして二時間目だ。君は途中で、肉丸くんが転んで怪我をしたのを口実に、体育を抜け出したんだ。今思い出すと、肉丸くんが転んだ原因は五百蔵くんとぶつかったからだった。君はわざと、肉丸くんを転ばせたんだよ。保健室に肉丸くんを送り届けた後、遊馬くんは体育館へ鴻巣先生を呼びに行き、君はひとりになった」

 五百蔵くんの表情が、再び固まっていく。じりじりと、僕が五百蔵くんを追い込んでいるのだ。

 僕の行為は、少し非人道的なのかもしれない。分かり切ったことを一から説明して、彼を重圧に押しつぶしていく。人を追い詰める行為は少なくとも道徳的じゃない。

 人殺しと、いい勝負だ。

 「君は運動場へ戻るフリをして保健室を去り、中央昇降口から視聴覚室に向かった。視聴覚室は中央階段を上ってすぐだから、五百蔵くんが向かうとするなら中央昇降口を通るルートが一番近いんだ。でも、そこで誤算が起きた。肉丸くんが今朝、昇降口内に水をばら撒いてしまっていたんだ。床は雑巾で拭いたみたいだけど水気が残っていたし、靴脱ぎの辺りは水溜りだらけだ。慌てていた君は確認を怠って昇降口に踏み込んだから、靴を濡らしてしまった。廊下を通れば靴下も濡れた。それが証拠になってしまうことは君も覚悟していただろうけど、もう止めることはできなかった。

 動き出したら止まらない。人が人を殺さないのは、難しい」

 狂いだした歯車は、歯止めがきかない。五百蔵くんがどんな理由で殺人に挑んだのかは知らないけど、狂った結果だということは変わらない。

 それを言うなら、真っ先に狂っていたのは僕だ。『先生』を殺して、のうのうと生きて、その結果がこの『義務殺人』。

 狂った人間を止めるには、同じくらい狂った人間がぶつかるしかない。

 君が少しでも罪悪感を覚えてくれるなら、僕は狂ったままぶつかってやる。

 「やめろ、それ以上言うな! 俺が、犯人になっちまう!」

 そんな生易しい言葉で、狂った僕は止められない。五百蔵くんの叫びは、右から左へ抜けていく。

 「視聴覚室に向かった君は、手縄くんの口元に貼っておいたガムテープを剥がす。………………いや、そうじゃないな。僕や御手洗くんは、彼の顔についた僅かな血痕が不自然な形をしているから、ガムテープが貼ってあると気付いたんだ。ならば、先に刺したんだ。君は包丁でスクリーンに破れ目をつくり、袖を捲って腕を破れ目に通した。そしてそのまま、刺した。その後でガムテープは、スクリーンの破れ目に突っ込んだ腕で剥がしたんだ。腕に着いた返り血は、垂れて血痕を残さないようにタオルである程度拭いた後、中央昇降口の水道で洗った。返り血を拭き取ったタオルはこれまた手縄くんの鞄にねじ込んで、洗った後の水滴は普段持ってるハンカチとかで拭いたんだね。そして何食わぬ顔をして、君は運動場に戻って行った」

 僕がそこまで言うと、彼にはもう、反論の余地が残っていない。すべて解決した。僕は、やるべきことを全てやり切った。

 五百蔵武。北花加護中学の『義務殺人』における最初の犯人は、膝をついた。



 「…………はい、お疲れでしたー。多数決の結果、選ばれた犯人は五百蔵くんでした。そしてなんとご名答! 手縄くんを殺した残虐非道の殺人犯は、五百蔵くんだったのでしたー!」

 全てが終わった空間で、場違いな合成音声が結果を告げる。大人なのか子供なのか、男なのか女なのかも分からない赤いペンギンは、ケタケタと笑い続けていた。

 部屋の扉が、豪快に開かれる音がした。驚いて振り返ると、黒いスーツを着た男が数人、こちらへ向かって歩いてくる。根廻さんのような、プログラムの工作員だ。五百蔵くんを捕まえるために、部屋の外で待機していたらしい。

 「………………行くぞ」

 男はそれだけ言うと、五百蔵くんを掴んで引っ張っていく。五百蔵くんは体から力が抜けていて、だらしなく引きずられるだけだった。僕たちはそれを、黙って見ているしかない。

 誰も何も言わない。これが最後の別れになるかもしれないのに、さよならも言えない。

 言葉が出ない。

 部屋から、五百蔵くんが連れ出される。そこでやっと、ひとりの生徒が動き出した。抱さんだ。

 「……………………!」

 抱さんは、真っ直ぐ部屋の出口を目指す。僕も無言のうちに、抱さんの背中を追いかけ始めていた。

 「ま、待ってよ!」

 「ふたりとも、待ちなさい!」

 ようやく声を出せたのは、鴨脚さんと阿比留さんのふたりだけだ。二人の足音が僕の後ろからついてくるのを聞きながら、僕は部屋の外へ出る。

 部屋の外、緊急HRが始まる前の待機スペースには、五百蔵くんの姿も抱さんの姿も見えない。少し辺りを見渡して、屋上に繋がる錆びついた扉が開いているのを見つけた。その扉に飛び込んで屋上に身を躍らせると、やっと抱さんの姿を視界に捉えることができた。

 「なんでっ…………! なんで明さんを殺したんですか!?」

 「抱さん………………」

 抱さんの叫びに、五百蔵くんが反応する。引きずられていた体を立て直して、しっかりと地面に足をつけた。連行していた男たちを振り払って、こっちに迫ってくる。その目は多少、怒りを含んでいる。どうして彼は、怒っているんだ…………?

 男たちは逃げ出さないと判断したのか、その場でただ見ているだけだった。男たちの後ろには黒いヘリコプターが見える。…………ヘリコプター? 空路で運ぶの?

 僕たちの目の前に五百蔵くんが来るころに、屋上には阿比留さんや鴨脚さんの他にも、御手洗くんや遊馬くん、雲母さんや肉丸くんがいた。

 「…………お前たちには、分からないさ」

 それが五百蔵くんの、一言目だった。

 「俺は、どうしても人生をやり直したかったんだ! そのためには、この『義務殺人』を利用するしかない。一年間何もしないでいられるか! 俺は、お前たちみたいに悠長なことを言ってる暇は無かったんだ」

 「………………君も、手縄くんと同じなのか」

 …………いや、手縄くんとは大きく一線を画す。手縄くんは殺人を『悪いこと』だと理解して、殺人をしないと誓っていた。でも、五百蔵くんは違う。君は…………人殺しを許容してしまった。

 人を殺すリスクを、考えなかった。

 「無花果、お前には分からないさ。自分のせいでも何でもない事件で白い目を向けられて、学校に通えなくなった俺の気持ちなんてな! 俺の親父が起こした暴力沙汰のせいで俺まで悪者扱いだ。俺が、一体何をしたっていうんだよ!!」

 さすがに僕も、その気持ちは分からない。僕の場合は、自業自得だったという側面もある。五百蔵くんは事件のことを詳しく話さないからどうにも想像しがたいけど、彼の言い分を十割信じるなら、彼はただ巻き込まれただけ。

 同情の余地は十分にある、しかし……………………。

 「……僕にはそれでも、理解できないよ。人を殺そうだなんて気持ちは」

 「だろうな。のうのうと引きこもってたお前には、分からん」

 彼は別れを惜しむような様子もなく、くるりと背を向けて歩いていく。最後に、一言残して。

 これが俗にいう、捨て台詞。

 「精々頑張って殺しあえよ。明の野郎みたいに、死んでから『早く殺しておけば……』なんて後悔する前になあ!」

 その言葉も、僕には届かない。それでも後ろにいた何人かは、五百蔵くんの言葉を深刻に受け取らずにはいられなかったみたいだ。振り返ると、みんな、一様に青い顔をしている。

 再び正面を見ると、五百蔵くんがヘリコプターの中へと消えていた。プロペラが、回転を始めた。抱さんは、駆けだすように数歩足を出して、途中で止まる、その歩みは、彼女の心の中を表しているようで、見ていて辛い…………。

 「違います。明さんは決して、そんなことは思わなかったはずです………………」

 ヘリコプターの爆音に紛れて、抱さんの呟きが聞こえる。次いで、押し殺したうめき声も。

 「本当に羨ましいよ。そんな風に、誰かの死を悲しめて」

 僕はこの『義務殺人』を通して、抱さんのようになれるのかな。

 ヘリコプターの強風が、僕の心に波を立てていくみたいだ。五百蔵くんを追い詰めた時には何も感じなかったのに、今更になって罪悪感が、僕の心を時化させる。

 空高く昇っていた太陽にヘリコプターは重なって、眩しさで見えなくなる。ヘリコプターが飛ぶ音も聞こえなくなって、僕たちは学校に取り残された。

 「結局なんで、五百蔵くんは手縄くんを殺したのかな……?」

 僕の隣で、鴨脚さんが言った。

 「動機、言ってるようでほとんど言わなかった」

 「…………それも、そうだったね。動機を言ったようで言わない犯人っていうのは、ミステリー的に珍しいのかな?」

 それはとどのつまり、彼は僕たちに一切心を開いていなかったということだ。心を開く余地もなかったから、あんな、中途半端な説明しかできなかった。

 踏み込まれたくないエリアが、多くなり過ぎた。一週間ほどとはいえ、五百蔵くんとは仲良くなったつもりだったのに、彼にはそんな気がなかったんだ。

 それは少し、悲しい。

 「…………あの~」

 不自然な合成音声が、聞こえた。後ろを振り返ると、赤ペン先生が控えていた。居辛そうに、腕を(羽を)後ろに回してもじもじしている。先生がそんな態度をするとは思えないから、大方僕たちを弄ぶための演技だろう。

 そして赤ペン先生の後ろから、四月朔日くんと御巫さんが追ってきた。ふたりとも、屋上に入ったところで赤ペン先生の様子を不審な目で見つつ、僕たちの方へ来た。

 「何よ? 用が無いなら帰ってほしいんだけど」

 阿比留さんが容赦なく、赤ペン先生に向かっていった。阿比留さんの一言で、赤ペン先生はより萎縮する。それも演技だ。

 「用があるから、こうしているんですよ。君たちクラスメイトとの感動のお別れで忘れてるよ。緊急HRのMVP!」

 「MVP? ああ、そういえばあったな」

 遊馬くんが思い出すように言った。心底どうでも良さそうだ。その言葉にさらに赤ペン先生は傷ついた(これも演技)のか、テンションが落ちていく。仮にもMVPを発表しようという人間(?)の態度じゃない。

 「発表しまーす……。今回のMVPは見事、殺害と磔の順番誤認トリックを看破した無花果くんでーす。ご褒美をお受け取りくださーい…………」

 赤ペン先生は後ろに回していた羽を前に出して、僕に向かって棒状の何かを投げてきた。赤ペン先生が何を投げたのかちゃんと見えなかったけど、反射的にキャッチする。掴んだ瞬間、ずっしりと重みが両腕にかかった。

 「う、おう…………?」

 この重さは、ただの棒じゃない。僕はキャッチした物を目線の高さに持ち上げて、それが何か確認する。

 日本刀だった。

 ジャパニーズサムライブレードだった。

 「……………………っ!!」

 体中に寒気が走って、反射的に投げ返した。赤ペン先生はそれを丁寧にキャッチする。高性能な着ぐるみだ。

 「危ないわ! 日本刀なんか投げんな! 鞘走って抜き身になったらどうする気だ! そして要らんわ!」

 「ちゃんと紐で鞘は固定してあるから大丈夫ですよー! せっかくのご褒美投げないでよ! 普通じゃ手に入らない凶器だよ!」

 「ますます要らないから!」

 赤ペン先生はすっかり元のテンションに戻っていた。ああ、今になっても心臓の鼓動が早いままだ。ほんと、心臓に悪い。あんなもの、投げるかよ普通。

 それに、あんな凶器使ったら僕が犯人だって一発でバレるじゃないか。

 「本気にしちゃってー。冗談だよ冗談。ご褒美は鴻巣先生が持ってくるからねー」

 「え…………?」

 噂をすれば何とやらで、鴻巣先生がちょうど屋上に来た。手に持っているのは、デバイス? しかも白い文字で『4』と書かれている。あれは、僕のだ。

 「はい、あなたのデバイス、アップデートしておいたから」

 「あ、アップデート?」

 それが、ご褒美?

 「そうです。部屋に残っている生徒たちにはもう説明しましたが、MVPに選ばれた生徒のデバイスは強化されまーす! 具体的にはデータ容量が二十パーセント増加するのと、『真実の書』が追加されることです」

 「『真実の書』?」

 電源を入れて、メニュー画面を表示させる。『フォルダ』の下に、『真実の書』という項目が追加されていた。

 「『真実の書』はプログラムの開発者が書いた企画書みたいなものだよ。そこには、『義務殺人』に関わる重要事項が書かれているんだ。目指せコンプリート!」

 ………………いや、コンプリートするってことは、あと何回も緊急HRを実施しないといけないってことだ。もうこんなこと、何度もやってられるか。

 それに『真実の書』を集めたところで、『義務殺人』の重要事項を知ったところで、僕たちにそれがどう関わってくるんだ。

 僕の内心を表情から読み取ったのか、赤ペン先生が笑う。

 「ケタケタ…………。そんな顔しないでよ。『真実の書』を君たちに渡すのには理由があるんだからさ。そろそろ話してもいいかな? 『義務殺人』の抜け道について」

 「抜け道…………? おい、それは何だよ。早く教えろ!」

 四月朔日くんが先生に食って掛かる。その焦り様を見て、赤ペン先生はいよいよ愉快そうな笑い声をあげる。

 抜け道。文字通りに解釈するなら、『義務殺人』を一年待たずに終わらせることのできる特別な方法のことを、赤ペン先生は言っている。愉快痛快と言った感じで笑っているが、僕たちをからかうために嘘をついているという様子はなさそうだった。

 「そんなに焦らないでよ……。発表しまーす! 君たちがこのプログラムを抜け出すためには、基本的にはクラスメイトを殺して緊急HRでみんなを騙し通す以外にありません! しかし先生は同時に、クラスのみんなには仲良くしてほしいとも思っているのです。そこで、『あること』をすれば、殺人なんかしなくたって今すぐみんなをこのプログラムから卒業させてあげます」

 「卒業…………それはつまり」

 御手洗くんは、その言葉が気がかりだったみたいだ。それは僕も同じ。卒業というワードをあえて赤ペン先生が使ったのには理由がある。それはきっと………………。

 「うんうん。御手洗くんの予想通りだよ! ズバリ、『赤ペン先生の正体を見破ること』! それができたら、今すぐにでも君たち全員を卒業させて、本来なら殺人の報酬である『環境の整備』ってやつもあげちゃうよ!」

 全員揃って、大団円。一年を待たず『義務殺人』を終了させ、なおかつみんなが再出発のチャンスを手に入れる。まさにこの場の全員が求めていたハッピーエンドを、赤ペン先生は提示した。

 赤ペン先生の正体を探るという、答えの見つかりそうにない難題と共に。

 「…………難しいが、やるしかない。これ以上犠牲者を出さないためには、その条件のクリアを目指してクラスで団結するしかない」

 「さっすが遊馬くん。話が分かるんだからー。それじゃ、先生たちは帰るよ。今日はこれでお開きだからみんな帰ってよし。月曜日に元気な顔を見せてね」

 言うだけ言うと、赤ペン先生と鴻巣先生は屋上を去った。後に残されたのは、『選択肢』を示された僕たちだけ。

 一年間何もせず、のらりくらりと『義務殺人』をやり過ごすか?

 ルールに従い、殺人を犯すのか?

 それとも、赤ペン先生の正体を見破るのか?

 どちらにせよ、勝率の圧倒的に低い三択だった。

 「……………………」

 …………思えばつい一週間前まで、僕の歩くべき道は一本しかなかった。ずっと引きこもって外に出ないという一本道。道を外れることはできるけど、道なき道を進む気にはなれなかった。

 プログラムが始まって、道は二本になった。引きこもるという道は途絶え、代わりに現れた分かれ道。人を殺すか、殺さないかという選択が。

 そしてもう一本の道が、今の僕たちに示された。大きな岩で塞がれているけど、先に道が伸びているのは分かる。

 こんなに多くの道が、僕の目の前にある。選択肢の存在。これもまた、三年ぶりのことだ。

 僕はどの道へ進めばいいんだろう。正しい道の選び方を、僕は忘れてしまった。それどこか、そもそも知らないのかもしれない。だから僕は、道に迷っているのか。

 考えたってすぐには出ない答え。それを見つけようとする僕の思考は、ある音で止められた。

 「………………あ」

 お腹の鳴る音だった。隣を見ると、鴨脚さんがお腹を軽く押さえていた。恥ずかしそうに顔を赤くしている。場違いな呑気さに、ようやく僕たちは釘づけにされていた足を動かせるようになった。

 「……貴様は前世に緊張感を置いてきたのか?」

 御巫さんの言葉に、鴨脚さんが慌てたように答える。彼女は自分の持っているケータイを取り出して、その画面をみんなに見せる。デバイスよりも一回り小さいそれは、噂に聞いていたスマートフォンというやつか。

 「ほ、ほら見てよっ! もうお昼過ぎてる! お腹だって空くよ」

 スマートフォンに映された時間は、十四時三十六分。そうか、捜査からずっと時計を見てなかったけど、もうそんなに時間が経ってるんだ。三時間の捜査の後で緊急HRをしたんだから、それくらい経過していてもおかしくなかった。現に、太陽は高く昇っていたことだし。

 「…………よし! みんな、これからどっかご飯食べに行こっ!」

 鴨脚さんは思いついたように、そんな提案をした。唐突というより、性急だな。クラスメイトがひとり死んで、しかも犯人までクラスメイトだったのに。そんな状況から脱してすぐにクラスメイトと一緒に食事とは、いささか警戒心に欠ける気もした。

 「お腹空いたし。ご飯食べて、今日は早く帰って寝て、土日で休んで、それからもう一回始めよう! 今度は、誰も死なないように」

 「…………そうだな。鴨脚さんの意見に賛成だ。先生の言葉も考えたいが、まずは気持ちを切り替えよう」

 「ふふっ。いいですね。賛成です!」

 遊馬くんをはじめ、口々に賛成を告げる。抱さんも、もう泣いていない。彼女のこの切り替えの早さはいったい、なんなんだろう。…………いや切り替えの早さを言えば、この場の全員がそうだ。

 殺人事件が起きた後とは思えないほど、いつも通りの活気を取り戻していた。

 それとも、僕が引きずり過ぎなだけなのかな。ろくに悲しめないくせに。

 みんなは屋上から次々に出ていく。僕も後を追って屋上から校舎内に戻ろうとしたけど、そこで視線に気づいて、足を止めて振り返った。雲母さんが、僕を見ていた。

 僕と同じ青い目が、こっちを見ている。

 「ちょっと、聞いてもいいかしら」

 「いいけど、その代わり僕も質問していいかい?」

 「いいわよ」

 彼女は歩いて、僕の傍までくる。一歩を踏み出すたびに揺れる金色の髪は、輝く軌跡を残す。

 澄んだ声が、僕の耳に届く。

 「どうしてあなたは、『意味』という単語を避けているの?」

 「…………バレた?」

 僕が今日その言葉を使ったのは、一回ないし二回くらいだった。その時も『意味』という言葉を反射的に避けたとはいえ、そこに気付かれるとは思わなかった。

 「そうね。『意味』なんて簡単な言葉を『意義』と言い直されれば、少し不自然さが残るわ。どうしてわざわざ言い直してまで、そんな難しい言葉にするのかしら。それはあなたが、『意味』という言葉を避けているから。そうでしょう? 実際、あなたが『意味』という言葉を使ったのは、わたしの言葉を引っ張ってきた時だけだった」

 「……………………うん、僕は確かに『意味』という言葉を避けている。深い理由は無いけどね。単に、『意味』が人の名前だから避けているだけだよ。ほら、違和感あるよね。人の名前を会話で使っちゃうっていうのは」

 「本当にそれだけなら、すぐに慣れそうなものだけどね」

 完全にバレてるっぽいな、僕が避けている本当の理由も。助かることに、雲母さんはそれ以上何も聞かずに、僕の質問を促した。

 「あなたが聞きたいことっていうのは?」

 「それは…………雲母さんの態度だよ。緊急HR中に、君は一度、普段じゃ考えられないような態度をしたよね」

 犯人の見当がついていると言った時の、内気で弱々しいとすら思える態度だ。僕にはどうしても、それが理解できない。

 「どうして君は、あんな態度をとったんだ? 雲母さんの目星は正しかったじゃないか」

 「それは結果論に過ぎないわ。あの時は、本当に正しいかどうかなんて分からなかった。間違えるかもしれない。それがわたしは、怖かっただけ」

 怖い…………?

 「ねえ、あなたは名探偵に必要なことって、何だと思う?」

 雲母さんが僕に尋ねる。藪から棒もこれ極まりだが、僕は考えて答えた。考えたと言っても、僕には名探偵のイメージが描けないから推測どころか憶測になったけど。

 「推理力と観察力、かな?」

 「それは少し違うのよ。そのふたつは、案外どうでもいいことなの。道具や人を使えば、いくらでも補えてしまう。わたしが言っているのは、もっと根幹的なところ」

 彼女は拳を握って、僕の胸を軽く叩く。三回、ノックするように。

 「自分の推理したことを、正しいと信じる心。名探偵に一番必要なのは、そんな傲慢に近い心の強さ。あなたにはあるんじゃない?」

 「…………僕は傲慢でもないし、心が強いわけでもない。僕は知ってただけだよ。人が人を殺さない難しさと、僕が犯人じゃないという決定的な事実を」

 「…………そう。傲慢なくせして謙虚なのね。――――――――は同じなのに、そこは違う」

 「え………………?」

 雲母さんの言葉は、後半がほとんど聞き取れなかった。フェードアウトして、最後は小さな呟きになる。彼女が何て言ったのか聞きたかったけど、僕が声を出すよりも先に屋上の扉が開いて人が現れる。阿比留さんと鴨脚さんだ。

 「二人とも、何してるの? おいてっちゃうよー!」

 「雲母ちゃん、今日は逃がさないからね! 九も早く来なさい!」

 相変わらず強引だな阿比留さんは…………。

 「分かった。行くよ」

 「さすがに逃げないわよ。今日ばかりは」

 ふたりを追いかけて、僕たちは屋上から校舎に入る。明るい場所から少し暗い校舎に入って、階段を下りる。

 「最後にひとつ、言いかしら?」

 隣を歩く雲母さんが、僕に言う。彼女と隣り合わせに歩くのは、これがもしかしたら初めてかもしれない。

 僕たちとは別次元に生きているような彼女。同じ人間とは思えない神秘さと輝かしさを持つ彼女に、少しだけ近づいた気がした。

 「またしても、わたしが入学式に名前を知っていた理由を聞かなかったわね。興味はもう無いのかしら?」

 「違うよ。それは、五か月後の約束だからだ」

 僕たちは歩く。次に何が待ち受けているか分からない、この校舎の中を。

 次も誰かが死ぬかもしれないという不安と、僅かに見え始めた『義務殺人』脱出の希望を持って。



 被害者  出席番号十九番・手縄てなわあきら

 加害者  出席番号三番・五百蔵いおろいたけし

 赤ペン教室生徒総数  残り三十一人


 こんな長い上に下手な作品を読んでいただき、ありがとうございます。ここまでは一気に掲載させていただきましたが、次の五月編は一か月後に書き終えれば良い方です。僕のHRやツイッターでたまに進行状況を発表するので、少しでも興味を持ってくれた方はどうぞ。ツイッターアカウントは@akimusi555。HRのURLはhttp://www.geocities.jp/akimusi555/です。

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