最後に勝るものは
最後に勝るものは努力であると、彼女は分かっておりました。
努力の前に才能があり、才能の前に愛嬌があり、愛嬌の前に美貌があります。そのどれかを持たねば女が幸せになることは無いのだと、彼女は知っておりました。
初めに現実に突き当たったのは幼少期でありました。
「何故お前は男に生まれなかったのだろうな。」
それは父の何気ない一言でありました。何気ないつもりで長男を刺し、奮起させる言葉でありました。それは同時に彼女を深く深く突き落とす言葉であることを、父が知ることはないのでしょう。
「お前は家の駒として嫁ぐのではなく、きっとその働きでこの国の女性に新しい光をもたらす子ね。」
それは母の期待の一言でありました。期待を込め彼女を褒める言葉でありました。それが同時に彼女に劣りを突き付ける言葉であると、きっと母は分かっているのでありましょう。
彼女は家族の愛を知りませんでした。
兄二人と弟からは常に疎まれておりました。大人たちは常に彼女を褒め、兄弟達と比べたのです。
姉と妹からは常に蔑まれておりました。周囲の者たちは常に彼女を嗤い、姉妹達と比べたのです。
両親は彼女に期待を込め、同時に諦めておりました。女らしくないとその言動も視線も表情も態度も全てが物語っておりました。
そうして自らの生まれを学びました。
「きみの才能は素晴らしいよ。」
幼なじみは彼女の心の支えでありました。
「きみがぼくのお嫁さんになってくれたらいいのに。」
幼なじみのその言葉で、仮の婚約が結ばれておりました。親と子のそれぞれの口約束だけで結ばれた、細い細い糸のような契約でございました。
そんな約束は守られることなく、やがて違う相手と婚約するまでの繋がりでありました。
そうして恋の始まりと終わりを学びました。
「君のような美しい人と婚約できて嬉しいよ。」
初めの婚約者はそう言って彼女に笑いました。
「地味だなんてとんでもない。整った美しい顔立ちじゃないか。」
婚約者は彼女に装飾品を贈りました。流行をなぞった華美なドレスやお揃いの宝飾。ブランドの品からオーダーメイドまで惜しみなく彼女に与えました。
そしてスタイルの良い美女と浮気をいたしました。
誰もが彼に侮蔑を向けながら、しかし彼女を見て仕方ないと思ったのであります。彼女自身さえも。
そうして審美を学びました。
「お嬢様の努力は私がよく知っております。」
家政を学ぶ彼女に教師として仕えた侍従がおりました。
「私を選んでくだされば、未来永劫お側に仕えさせていただきますものを。」
婚約のなくなった彼女に冗談めかして侍従は申しました。冗談のようでいて、その目には深い愛が宿っているようでありました。
けれど彼女がその手をとることはありませんでした。跡取りでない二人は結ばれても平民となるからです。それは将来官職や侍女を目指す彼女には選ぶことの叶わないものでありました。
彼はやがて使用人の一人と結婚し、その妻は姉の娘の乳母となりました。
そうして進むべき道を学びました。
「君ほど優秀な人材は王家に相応しい。」
次に婚約を結んだお相手は第三の王子にございました。
病弱な第二の王子の代わりに、次代の王となる王太子を支える立場となる王子でございました。
求心力の高い王太子と比べ、野心家でありながら優秀な王子でございました。
そして彼は野望を成し遂げました。王太子を失脚させ、その立場に成り代わったのです。同時に王太子の婚約者であった令嬢と婚約を結び直し、元の婚約は有耶無耶に片付けられました。
それだけの優秀さを持つ王子でございました。
そうして王族の在り方を学びました。
「甥が迷惑をかけたね。」
有耶無耶とするにも体裁と云うものがございますから、すぐに新しい婚約が結ばれました。形だけの婚約の後に早々に婚姻が結ばれました。
現王の五番目の弟君である王弟にございます。
「こんなオジサンと結婚させてしまってごめんね。」
夫となった人は自信なさげにいつも詫びておりました。結婚もせず早々に王位継承を断り、領地を臣下に任せ各地を渡り歩く人でございました。
一年目は彼と共に領地を治めました。
二年目は領地にて彼の帰りを待ちました。
三年目は彼と共に世界へ飛び立つつもりでありました。しかし彼が帰ることはありませんでした。
四年目に遥かの国にて彼らしき人が女性と歩く姿が目撃されました。
五年目に、領地は国へ返還されました。特別措置にて離縁が成立し、書類の上では未亡人とされました。
そうして実務を学びました。
「お前を愛することはない。」
そう言われても彼女は何を思うでもありませんでした。二人目の夫となった方は辺境の地を守る騎士でございました。
中央で恐ろしい野蛮人と噂される騎士は、領民に愛される優しい御方でありました。臣下に愛される御方でありました。
それでいて家族の愛を知らず育った御方でありました。愛し方を知らない不器用な御方でありました。
「俺のような奴にも、君は優しく接してくれるのだな。」
中央で彼が悪し様に言われるのと同じように、辺境の地にて彼女は悪女と噂されておりました。けれど彼と優しい領民達は、真面目に働く彼女を正しく評価いたしました。
そうして彼は人の愛し方を学びました。自らが愛されていると知りました。
彼が真に過ちを犯したのかを彼女は知りません。
腹の大きな女性を連れた彼は頭を下げました。
誠実な人でありました。
そうして、人の愛を学びました。
「ようやく君を迎えに来ることができた。」
隣国の皇帝はかつて彼女に救われたのだと仰いました。歳を重ねた彼女を、それでも帝国に迎え入れたいと仰いました。
彼女は三番目の妃として後宮へ入りました。
皇后は彼女を温かく迎え入れました。一番目の妃はそれに倣いながらも少しばかり悲しい顔をいたしました。二番目の妃は既に亡くなっておりました。
子を為すことを暗に禁じられましたが、彼女は何を思うでもなく受け入れました。与えられた役割を粛々とこなしました。
一度だけ宿ってしまった命は、彼女の意思を持って皇帝にすら知らされぬまま処理されました。悲しむ暇も持ちませんでした。
そうして。
ただの一度も不平を漏らすことはありませんでした。
彼女は分かっておりました。最後に勝るものは努力であると。
美も才も持たぬ彼女に必要なのは努力であると。
分かっておりながら彼女は努力をしておりませんでした。
彼女は学ぶことが好きでありましたから、勉学に励みました。彼女にとっては努力とも思わぬほどのことでありました。
彼女は生涯を幸せに過ごしました。
毎日新しきを学び、吸収しておりました。それで充分であったのです。常に学ぶに充分な環境に囲まれておりました。
ただ、学びを愛しておりました。
ですから彼女は環境を変えようなどとはいたしませんでした。
愛される努力をいたしませんでした。
いいえ、確かに彼女は愛されておりました。様々な愛を受け取りました。それで充分であったのです。
たった一人を愛し、一人に愛されることを必要といたしませんでした。過分な愛を受け取るつもりもありませんでした。
彼女を不幸と謗る者もおるでしょう。彼女を勤勉と称える者もおるでしょう。彼女を慮って悲しむ者もおるでしょう。
けれどそれは彼女には関係のないことにございました。
彼女は生涯を振り返り、そして幸せであったと、ただ一人孤独の内に息を引き取りました。




