第1話 話くらい聞いてくれ
俺は今、悪魔に監禁させられている。
状況だけを抜き出して説明すると、だいぶ荒唐無稽な話に聞こえるかもしれない。地下室、裸、監禁、悪魔――並べてみると、どこかの安っぽいスリラー映画のあらすじみたいだし、脚本家が「もう少しリアリティを出しましょう」なんて頭を抱えそうな設定だ。だが残念ながらこれは創作でも冗談でもなく、俺が現在進行形で置かれている極めて現実的な状況であり、しかも観客もカメラもいないから、助監督が「はいカット」と言ってくれる気配もない。あるのは湿気を吸ってひんやりしたコンクリートの床と、天井からぶら下がる裸電球の頼りない光、それから俺の尊厳をわりと雑に扱う一匹の悪魔だけだ。
いや、正確に言うなら「一匹」という言い方は少し違う。
そいつは三日前まで人間だった。
しかも俺の知り合いで、もう少し正確に言えば、恋人でも友達でもない、かといって赤の他人でもない、なんとも説明しづらい関係だった女だ。要するに、元セフレである。
この単語を声に出して説明するとやたらと軽薄に聞こえるが、事実は事実だし、俺の人生をここまでややこしい方向へ転がした原因でもあるので、今さら取り繕うつもりもない。
地下室の空気は妙にぬるく、湿ったコンクリートの匂いと、換気不足のせいでこもった生暖かい匂いが混ざり合っていて、長く吸っていると頭がぼんやりしてくる。俺はその床に仰向けになりながら、天井の裸電球をぼんやり眺めていた。
もちろん、裸だ。
誤解の余地なく、完全に。
服は三日前、ここに連れてこられたときにきれいさっぱり没収された。シャツもジーンズも靴も靴下も、ついでに言えば俺のささやかな自尊心まで、彼女はかなり几帳面に取り上げていった。悪魔という生き物は意外と整理整頓が好きらしく、余計なものをそのへんに散らかしておく趣味はないらしい。
俺がようやく声を出したのは、喉の奥がひどく乾いているのを感じながら、何度目かわからない諦めに近い溜息をついたあとだった。
「……なあ」
地下室の奥に向かって声を投げる。
「いい加減、話くらい聞いてくれよ」
部屋の隅には古い椅子が一脚置かれていて、その上に彼女が座っている。膝を抱えたまま、こちらをじっと見ていた。
人間だった頃と、外見はほとんど変わらない。
髪の長さも、顔の輪郭も、少し皮肉っぽく上がる口元の癖も、大学で出会った頃のままだ。
違うのは、目だ。
瞳の奥にある光が、まるで別物になっている。
理性の代わりに、何か湿った衝動の塊が居座っているみたいな、あの感じ。三日前の夜、俺はそれをはっきり見た。
「……なんで?」
彼女がぽつりと呟いた。
それは俺に向けた質問というより、空気に向かって落とされた独り言みたいな声だった。
「なんでいなくなったの?」
またその話だ。
この三日間、何度も何度も繰り返された問い。
俺は頭の後ろで手を組みながら、天井を見たままゆっくり息を吐いた。
「だからさ……それは説明しただろ」
「嘘」
言葉は途中で遮られる。
彼女の返事は、信じられないくらい即答だった。
最初から聞く気なんてないのだ。
悪魔ってやつの厄介なところは、人格が完全に消えるわけじゃないことだ。むしろ逆で、人間だった頃の感情の一部だけが妙に増幅されて残る。怒りとか、執着とか、欲望とか、そういうブレーキの壊れた感情だけがむき出しになって、理性の代わりにハンドルを握る。
彼女の場合、それが俺に対する個人的な感情だった。
しかもかなり歪んだやつ。
彼女は椅子から立ち上がると、静かにこちらへ歩いてくる。コンクリートの床に落ちる足音は不思議なくらい軽くて、獲物に近づく猫みたいに気配が薄い。俺の目の前でしゃがみ込むと、指先で胸のあたりをなぞった。
ぞくりと背筋が粟立つ。
「ねえ」
彼女は首を傾けながら、柔らかい声で言う。
「私たち、楽しかったよね?」
返事を考える余裕はあまりなかった。
否定したところで話が長くなるだけだと、この三日間で学習している。
「……まあ」
曖昧に答えると、彼女は満足そうに微笑んだ。
「大学の帰り道とかさ、一緒に歩いたりして」
指先がゆっくり下へ滑っていく。
俺は慌ててその手首を掴んだ。
「やめろって」
ただし力はほとんど入らない。三日間まともに寝ていないし、体力もかなり削られている。
彼女はその手をあっさり振りほどいた。
「どうして止めるの?」
唇は笑っている。
目は笑っていない。
「好きだったんでしょ?」
「いや、だからまず話を――」
「私、好きだったよ」
言葉はまた途中で遮られる。
彼女は俺の肩に額を預けながら、小さく息を吐いた。
「すごく」
その体温は人間の頃と同じで、抱きつかれる距離も変わらないのに、そこにある気配だけが決定的に違う。
「だからさ」
耳元で囁く声は、どこか満足そうだった。
「取り戻したいだけなの」
取り戻す。
便利な言葉だ。
三日間、ほとんど休みなしで付き合わされている俺の立場からすると、解釈がだいぶ違う気もするが。
彼女の腕が背中に回る。
逃げようと体を動かすが、力が入らない。
水はもらえる。食べ物も少し。
ただし休憩はない。
彼女は俺の体を抱き寄せながら、満足そうに息を吐いた。
「やっと一緒にいられる」
その声には、妙に幸せそうな響きがあった。
俺は天井の裸電球を見上げる。
小さく揺れている光が、ぼんやり視界に滲んだ。
助けが来る可能性を考えないわけじゃない。
でもこの街では、悪魔絡みのトラブルなんて珍しくもない。
運が悪かった。
ただそれだけだ。
彼女の髪が肩に触れる。
人間だった頃と同じ匂いがした。
それが一番たちが悪い。
「……なあ」
俺はもう一度言った。
「頼むから、話くらい――」
「いいよ」
彼女はあっさり答える。
そして微笑んだ。
「終わったらね」
その笑顔は、三日前まで俺が知っていた彼女と、ほとんど同じだった。
ただ一つだけ違うのは――
そこに、終わりという概念が存在していないことだった。




