ソウルシーカーと呼ばれる者たち
人類は長い歴史の中で、幾度となく「悪魔」という言葉を生み出してきた。
それは恐怖の象徴であり、理解不能な災厄の名前であり、あるいは人間が自らの罪を外側へ押し出すために作り上げた概念でもあった。古代の宗教書はそれを地獄の住人と記し、神話はそれを堕天した存在として語り継ぎ、中世の学者たちはそれを異形の怪物として図像に残した。人間は長いあいだ、悪魔という存在を自分たちとは異なる世界の住人として説明し続けてきた。
地獄の底。
闇の次元。
神の国から追放された堕天者。
人類は数え切れないほどの物語を生み出し、悪魔の出自を語り続けてきた。
その語りのすべてには、ある共通した願いが込められている。
悪は自分たちの外側に存在してほしい。
悪は理解できない異物であってほしい。
もし悪が人間の内側にあるのだとすれば、人間という種族そのものが、あまりにも危うい存在になってしまうからだ。
しかし歴史の裏側には、神話や宗教とは異なる記録が存在していた。
公に語られることのない文書、異端として封印された研究、国家の機密として保存された観測資料。そうした断片的な証言は、時代や文化を越えて、驚くほど似通った結論へと収束していく。
悪魔とは、外界から訪れる存在ではない。
悪魔とは、人間という生き物の内部で生成される現象である。
人間が他者を憎み、奪い、裏切り、破壊し、あるいは理不尽な悪意に身を委ねたとき、その魂には微細な歪みが刻まれる。最初は誰にも気づかれないほどの小さな歪みであり、罪を犯した当人ですら自覚しないことが多い。だがその歪みは時間とともに濃度を増し、人間の精神の奥深くに潜む衝動と結びつきながら、ゆっくりと拡張していく。
怒り。
嫉妬。
憎悪。
欲望。
人間という存在を形作る感情の中には、理性によって抑え込まれているだけの衝動が無数に潜んでいる。魂に刻まれた歪みは、それらの衝動を増幅させる触媒となり、精神と肉体の境界を侵食しながら宿主の存在そのものを書き換えていく。
やがて臨界点を超えたとき、変化は不可逆的な段階へと進む。
理性は崩れ落ち、肉体は異常な変異を始め、魂の構造そのものが変質する。
人間という存在は、そこで終わる。
残されるのは、人間だった何か。
罪と欲望によって再構成された新しい生命体。
それが、悪魔である。
この現象は後に「悪魔化」と呼ばれるようになった。
悪魔化には段階が存在する。最初の段階では精神の均衡が崩れ、人格の変質が始まる。次の段階では肉体に変異が現れ、人間としての生理機能が徐々に変質していく。そして最終段階に至ったとき、魂の構造は完全に書き換えられ、人間としての存在は完全に消滅する。
この段階に到達した存在は、もはや人間ではない。
世界はそれらを総称して、ヴィランズと呼んだ。
ヴィランズは単なる怪物ではない。かつて人間だった魂が、罪によって別の存在へと変質した結果である。理性の残骸をわずかに保つ個体もいれば、完全に本能のまま暴走する個体も存在する。中には高度な知性を維持したまま、人間社会の裏側に潜み続ける者もいた。
人類が都市を築き、文明を拡張すればするほど、悪魔化の発生は増えていく。
社会が複雑になればなるほど、人間の罪もまた複雑になっていくからだ。
戦争。
虐殺。
犯罪。
権力闘争。
人間社会が生み出す闇は、静かに悪魔を育てていく。
世界はやがて理解することになる。
悪魔とは災厄ではない。
悪魔とは、人類という種族の副産物である。
影を完全に消すことができないように、悪魔もまた消滅することはない。
ならば人類が取れる手段は一つしかない。
管理すること。
監視すること。
そして必要とあれば、排除すること。
古代の王たちは、悪魔を封じる術を求めた。
神秘学者たちは魂の構造を研究し、悪魔を拘束する理論を構築した。
宗教家たちは祈りと呪文によって、悪魔の活動を抑え込もうと試みた。
長い研究の末、人類は一つの体系に辿り着く。
七十二の名を持つ悪魔の封印術。
それは古代イスラエルの王の名を冠し、後にソロモン七十二柱と呼ばれる対悪魔機構として体系化された。彼らは歴史の表舞台に立つことはない。世界各地の影の中で悪魔の発生を観測し、封印し、必要とあれば抹殺する役割を担う秘密組織である。
何世紀ものあいだ、彼らは人類の文明の裏側で静かに戦い続けてきた。
だが時代が進むにつれ、状況は変化していく。
都市は巨大化し、人口は爆発的に増加し、人間の欲望はかつてない規模で膨張した。世界規模の犯罪組織が誕生し、国家を越えた闇のネットワークが形成され、悪魔化の発生はもはや秘密裏に処理できる規模を超え始める。
国家はついに決断を下す。
悪魔を神秘の問題として扱う時代は終わった。
これは現実の犯罪である。
そうして設立された機関が、Devil Enforcement Administration。
通称、DEA。
連邦政府直属の悪魔犯罪取締機関。
その任務は明確だった。
悪魔化事件の調査。
ヴィランズの討伐。
悪魔犯罪組織の壊滅。
警察の捜査権と軍事的戦闘能力の両方を持つ、世界初の対悪魔司法機関である。
だが悪魔という存在は、通常の犯罪者とは決定的に異なる。
銃弾で倒れる個体もいれば、肉体を破壊されても再生する個体も存在する。
人間の姿を完全に維持したまま都市に潜伏する個体もいれば、巨大な怪物へ変異する個体もいる。
彼らを確実に狩るためには、特別な知識と技術が必要だった。
そこでDEAは、組織の内部に一つの専門職を設ける。
ソウルシーカー。
魂を追跡する者。
悪魔の本質は肉体ではない。
魂の歪みこそが、その正体である。
ソウルシーカーは人間の魂の振動を読み取り、悪魔化の兆候を察知し、都市の闇に潜むヴィランズを追跡する。彼らは刑事であり、狩人であり、同時に魂の観測者でもあった。
悪魔を殺すためには、肉体を破壊するだけでは不十分である。
魂の核を撃ち抜かなければならない。
その技術を持つ者だけが、特別な称号と資格を得られる。
人間の罪が尽きない限り、悪魔は生まれ続ける。
悪魔が生まれ続ける限り、狩人は必要になる。
都市の灯りが眠らない夜の向こうで、今日もまた一つの魂が歪み、静かに悪魔へと変わっていく。
その瞬間、どこかで一人の狩人が銃を構える。
魂を撃ち抜く者。
世界の闇を狩る者。
それが――
ソウルシーカーと呼ばれる者たちだった。
世界には、悪魔が生まれやすい土地が存在する。
それは単なる迷信でも、宗教的な比喩でもない。長い年月をかけて積み重ねられた人間の罪と欲望は、土地そのものに目に見えない濃度を形成し、その場所に生きる人々の精神へ微細な影響を与え続ける。戦争が繰り返された都市、宗教的狂信が人々を狂わせた聖地、暴力と裏切りが日常となった犯罪都市。そうした場所では、人間の魂に刻まれる歪みがより深く、より早く成長する傾向が観測されている。罪が濃密に蓄積した土地ほど、悪魔化の発生率は高くなる。
二十一世紀の現在、その傾向が最も顕著に現れている都市の一つが、アメリカ合衆国西海岸に広がる巨大都市圏、ロサンゼルスである。
天使の都という名を持ちながら、その実態は世界でも有数の欲望の交差点であり、富と貧困、成功と破滅、理想と腐敗が複雑に絡み合う巨大な人間社会の縮図でもあった。映画産業が生み出す莫大な富と名声、国際的な金融資本が流れ込むビジネス地区、世界各地から集まる移民社会、地下経済として膨張し続ける麻薬取引や武器密売、そして国家を越えて活動する犯罪組織のネットワーク。ロサンゼルスは人間の欲望が最も華やかに、そして最も露骨に表面化する都市だった。
欲望が集まる場所には、必ず罪が生まれる。
罪が生まれる場所には、必ず悪魔が生まれる。
DEAの統計によれば、ロサンゼルス都市圏における悪魔化事件の発生率は、世界平均の三倍を超えている。公式記録に残るものだけでも年間数百件に及び、その多くは通常の警察機構では処理不可能な異常犯罪としてDEAへと引き渡される。警察の捜査記録には、説明不能な殺人事件や失踪事件として処理されているものが少なくない。犯人の肉体が異常な変異を起こしていた、あるいは常識ではあり得ない再生能力を持っていたという証言は、公式の報告書からはすべて削除される。一般市民が知ることのない場所で、都市の闇は確実に広がり続けていた。
夜の高速道路を走る無数の車列の中に、すでに人間ではない存在が混じっている可能性は決して低くない。歓楽街のネオンの下で笑い合う人々の中にも、罪によって魂を歪められた存在が潜んでいるかもしれない。ロサンゼルスという都市は、すでに人間だけの社会ではなくなっていた。
この状況に対応するため、連邦政府はロサンゼルスにDEAの西海岸最大拠点を設置している。
ロサンゼルス支部の施設は、一般的な警察署やDEA支部とはまったく異なる構造を持っていた。外壁は対爆仕様の特殊合金で補強され、内部には悪魔の再生能力を抑制する拘束装置や魂の振動を測定する観測装置が設置されている。地下区画には捕獲されたヴィランズを収容する隔離施設が存在し、そこでは常時複数の研究班が悪魔化現象の解析を行っている。DEAの施設は警察署というよりも、軍事基地と研究施設を組み合わせたような場所だった。
その巨大な施設の内部では、昼夜を問わず数百人規模の職員が活動している。捜査官、分析官、技術者、研究者、戦術顧問、医療班、そして現場で悪魔と対峙する討伐部隊。彼らの仕事は通常の犯罪捜査とは根本的に異なり、目に見える証拠や物理的な痕跡だけではなく、人間の精神や魂の変質という極めて不確定な現象を相手にしなければならない。そのためロサンゼルス支部では、通常の法科学に加えて、魂の振動解析、精神汚染の測定、悪魔化兆候の統計観測など、世界でも限られた研究領域が日常的に扱われている。都市のどこかで起きた異常事件の報告が入ると、分析班がその内容を即座に精査し、通常犯罪の範囲を超える兆候が確認された場合には、現場へ向かう部隊が編成される。
ロサンゼルス支部には、数多くのソウルシーカーが所属している。
悪魔化事件の増加によってDEAの任務は年々増え続けており、都市の規模に比例するように狩人の数もまた必要とされていた。だがその中でも、特に高い戦闘能力と実戦経験を持つ者だけで編成された部隊が存在している。
LAタイムズ。
その名称は、この都市の闇を長年追い続けてきた新聞社の名から取られている。犯罪、腐敗、権力の裏側に潜む真実を暴き続けた記者たちへの敬意を込め、DEA内部でも最も危険な任務を担う部隊にその名が与えられた。都市の深層に潜む悪を暴き出す者たちという意味が込められている。
LAタイムズに所属する捜査官は、通常のDEA職員とは明確に区別される。配属の条件は極めて厳格であり、数百件に及ぶ対悪魔戦闘の経験、複数のヴィランズ討伐実績、魂の観測能力の高精度な測定値、さらに精神的耐久力の審査をすべて通過した者のみが候補となる。
それでも選ばれる人数は限られている。
理由は単純だった。
この部隊が担当する任務は、DEAの中でも最も生存率が低いからである。
ヴィランズの群れが発生した都市封鎖区域への突入、国家規模の悪魔犯罪組織の壊滅作戦、さらには通常兵器では討伐が困難とされるナンバーズ級悪魔の追跡。人間社会の常識を逸脱した脅威に対処する任務が優先的に割り当てられる。
銃撃戦で終わる事件は稀であり、多くの場合、戦闘は人間の理解を越えた領域へと踏み込む。肉体が再生する敵、影のように形を変える敵、精神を侵食する能力を持つ敵。戦場は常に不確定要素に満ちている。
そのためLAタイムズの任務記録には、しばしば「帰還者なし」という報告が残る。
それでもこの部隊には志願者が後を絶たない。
世界の闇の最深部に踏み込み、悪魔と真正面から戦うことを望む者たちが存在するからである。
その部隊の一員として働く女がいる。
ニッキー・キャット。
肩まで伸びた髪は赤と青のツートンカラーで染められており、暗い照明の下では燃え上がる炎と凍りつく氷が同時に揺れているかのような奇妙な印象を与える。鋭く細められた瞳は常に周囲の環境を観察しており、人間の会話、建物の反響、遠くの足音、空気の流れの変化までも感覚の中に取り込んでいる。
その外見だけを見れば、二十代の女性にしか見えない。
整った顔立ち、引き締まった体格、しなやかな動き。街中で見かけてもDEAの捜査官とは気付かない者がほとんどだろう。
その印象は、彼女の正体を知る者ほど強く違和感を覚える。
ニッキーの年齢を正確に把握している者は、DEAの上層部にもほとんど存在しない。
人間ではないからだ。
彼女は鬼と呼ばれる種族の出身だった。
鬼の一族は、人類史の遥か以前から地上に存在している。文明が形成される以前、神話と歴史の境界が曖昧だった時代から、彼らは悪魔と戦い続けてきた種族である。人間よりもはるかに長い寿命を持ち、筋肉密度は人間の数倍に達し、骨格は衝撃に耐えるよう強化されている。傷は通常の人間よりも早く再生し、毒や病にも極めて強い耐性を持つ。
その身体構造は、長い年月の中で「戦うため」に最適化されてきた。
鬼の一族は戦士として生まれ、戦士として生き、戦いの中で命を終える。
彼らの社会では、子供が武器を手にする年齢は早い。歩き始めた頃には基礎的な体術を教え込まれ、十歳を迎える頃には実戦訓練が始まる。武器の扱い、格闘術、戦術、敵の観察、そして悪魔の生態に関する知識。
鬼の一族にとって、悪魔狩りは仕事ではない。
血の中に刻まれた役割である。
人間社会の歴史の裏側には、必ず鬼の一族の影が存在していた。王の暗殺を防いだ戦士、都市を襲う悪魔を討伐した狩人、国家を脅かす怪物を葬った無名の守護者。
その多くは歴史書に記録されない。
彼らは常に影の中で戦ってきた。
ニッキーもまた、その血を受け継ぐ者だった。
幼い頃から戦闘技術を叩き込まれ、武器の扱いを覚え、悪魔を殺す方法を学びながら育った。剣術、格闘術、銃火器、戦場での状況判断、魂の観測技術、悪魔の弱点の分析。鬼の一族が数百年かけて蓄積してきた知識と戦闘技術をすべて身につけながら、彼女は長い歳月を戦いの中で生きてきた。
数百年という時間は、人間の感覚では想像できない。
王朝が滅び、国家が消え、都市の形が変わり、文明が姿を変えるほどの年月である。
そのすべての時代の中で、ニッキーは戦い続けてきた。
その過程で、彼女は裏社会でも知られる存在となった。
イレイザー。
その呼び名は単なる暗殺者を意味するものではない。
標的の存在そのものを消し去る者。
裏社会で囁かれるその称号は、恐怖とともに語られる。依頼された標的は例外なく消滅し、証拠も痕跡も残らない。監視カメラの記録、通信履歴、目撃証言、すべてが消える。まるで最初から存在していなかったかのように、標的は世界から抹消される。
ニッキーはその世界で、凄腕のガンナーとして知られていた。
彼女の武器は二丁拳銃。
左右の手に握られた銃は単なる火器ではない。魂の構造を破壊するために設計された特殊弾が装填されており、弾丸は悪魔の再生能力を無効化するよう調整されている。
ニッキーが引き金を引く瞬間、すでに弾道計算は完了している。
距離、角度、敵の重心の移動、周囲の障害物、風の流れ、弾丸の反射。すべての要素が瞬時に分析され、銃口は魂の核へと向けられる。
引き金が引かれた時点で、戦闘の結果は決まっている。
ソウルシーカーとしての能力は、DEAの中でも最高水準に位置していた。
それでもニッキーがDEAに所属している理由は、正義感でも義務感でもない。
彼女をこの都市へ導いたのは、たった一つの感情だった。
復讐。
ニッキーにはかつて、一人の友人がいた。
リズ。
ナポリで出会った人間の女性だった。
数百年という長い時間を生きてきたニッキーにとって、人間と深く関わることは珍しい。人間の寿命は短く、関係はすぐに終わりを迎える。
リズはその例外だった。
彼女は明るく、好奇心が強く、恐れを知らない女性だった。ニッキーの正体を知った後も態度を変えず、友人として接し続けた。
その存在は、長い時間を戦いの中で生きてきたニッキーにとって、静かな安らぎだった。
ある日、そのリズが殺された。
犯人は人間ではない。
巨大犯罪組織、アンダーテール。
その幹部の一人。
十二人の番人、ナンバーズの一人。
懸賞金六百万ドル。
緑の戒律を与えられた男。
ノラ・ネクロフィリア。
通称――
ネロ。
ニッキーはその男を追っている。
ネロの足跡が最後に確認された都市。
ロサンゼルス。
天使の名を持つこの都市で、復讐の狩人は静かに銃を構えている。
魂を狩る者。
ソウルシーカー。
その名を持つ女。
ニッキー・キャットが。




