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もう誰も追いつけない!

作者: 櫻井
掲載日:2026/03/02

よろしくお願いします。

 深夜1時を回った第三会議室。

 連日、作戦本部として占拠しているタコ部屋は、戦場というよりゾンビに襲撃された後の不自然な廃墟に近かった。


 飲みかけのペットボトル、脱ぎ捨てられた上着、乱雑に積み上げられた資料の山。

 無意味にタワーに積まれたエナジードリンクの空き缶は一番上にサグラダ・ファミリアと走り書きがされたポストイットが貼られている。雑に広げられたピザの空き箱から漂う冷え固まった油の匂い。空焚きされた加湿器のコトコトという音が虚しく響いている。


 本来は整然とした場所なのに、今は見る影もない。どれもが、追い詰められた者たちの何かが壊れてしまった現場を象徴していた。


 ホワイトボードに書かれた文字は、呪詛のようにびっしりと。途中からフォルムが崩れ、模様のようになっている。


 文字から模様へ。


 象形文字って文字だったんだな。と、逆に辿れる具合だ。


 ・エモいとは?

 ・若者=タピオカ(※古い)

 ・メタバース感って何?

 ・サステナブルなエモ

 ・タイパ至上主義(倍速視聴)

 ・チルい=ぬるま湯?

 ・エモの過剰摂取に注意

 ・多様性と不変性のパラドックス

 ・AI(愛)の具現化

 ・多様性の押し売りはNG

 ・レトロフューチャー(2周回って新しい)

 ・Z世代の心臓を掴む


 どれもが会議の迷走を物語り、端の方に誰かの魂の叫びが赤いマーカーで記されていた。


 美味しいだけで良くない?


 その一文は、大きく付けられた×印によって、無残にも否定されている。


 椅子の背もたれに体を預け、死んだ魚のような目で虚空を見つめていた吉岡斗真は、うわ言のようにポツリと呟く。


「……あー、もう全部明朝体でいいかな」


 隣でプランナーの比嘉文が、画面をスクロールしながら半泣きになっていた。


「師匠! 修正版のファイル名が、最終_最終_2_コピー.pptxに加えて、【閲覧禁止】部長チェック前_修正_本当の最終.pptxとかもあって、もうどれが最新か分からないんですけどぉ!」


 彼女の言う師匠とは、クリエイティブディレクターで課長である吉岡のことである。


「しかも、さっき保存したはずなのに、なぜか一時間前のファイルの方が更新日時が新しいんです! そして、そっちの方がファイルサイズが小さいんですけど、これスライド半分くらい消滅してませんかーっ?!」


 騒ぎをよそに、デザイナーの成田は無言のまま、重い.pptxファイルに抗うようにマウスを高速でクリックし続け、時折「チッ」と小さく舌打ちを漏らす。言葉を発する気力すら残っていないようだ。そして部長の渡辺は、会議室の隅で椅子を3つ並べて即席ベッドを作り、夢の国へと旅立っていた。ひとときの魂の救済を求めた行為は、目覚めた時にその代償として首と腰の平安を持ち去るだろう。


「グコー……俺の若い頃は……グー……メタバースなんて……スピー……なかった……ンガッ」


 そんな惨状の中、会議室のドアが音もなく開く。

 見回りの守衛以外来ることはない時間なのに、突然の来訪者に眠る渡辺以外の視線が集まった。


 後れ毛ひとつない完璧な造形の夜会巻き。纏うスーツは、今仕上がってきたばかりのような無機質な美しさを放つ。

 現れたのは、一人の女性。コピーライターの矢島瑶子だった。


 深夜の地獄絵図に登場した彼女の存在に、比嘉は呆然とし、成田は訝しげに見上げる中、吉岡の目が、ゆっくりと焦点を結んだ。


「……は? 矢島さん? なんで、ここに……」


 瑶子は軽く会釈をし、淡々とした声で答えた。


「本日付で中途採用されました、矢島です。人事に、即戦力が必要な現場はここだ。と言われたので。こんな時間からですが、社畜として皆さんに合流いたします」


 吉岡の顔から血の気が引いていく。封印されし三年前の記憶が、冷や汗とともに一気に蘇った。


「いや、でも君、体調不良で辞めたんじゃ……」

「それ、どこ情報ですか。あ、それと吉岡さん」


 無表情に近いのに、瑶子からは得体の知れない凄みを感じる。


「あのスローガン、三年前に私が作ったやつですよね? 句読点の位置まで寸分たがわず同じというのは、偶然で片付けるにはあまりに無理がありませんか」


 チラリと瑶子が壁に貼られたポスターに視線を向けたことで吉岡の体が硬直した。


「……あ、いや、これは、その、伝統というか……」


 挙動不審となる吉岡の姿を、どう勘違いしたのか文が目を輝かせ話題に飛びつく。


「もしかして、この方が師匠が言ってた俺が育てた伝説の右腕ですか!?」


 文の言葉に、瑶子の目がM3GAN(ミーガン)並みに見開かれた。何も映していないような瞳の中心にいるのは吉岡だ。You should probably run.


「……へぇ。育てられた覚えはありませんが」

「ヒィッ」


((ヤバい、ヤられる!))

 なぜか吉岡と共に、文も一緒に震え上がった。


「とりあえず、皆さんを悩ませているそのゴミみたいな資料を整理しましょう」


 成田が、初めて言葉を発さずに親指を立てる。無言のナイスだ。


 兎にも角にも、瑶子の登場で会議室の空気が変わり好転する。そう思えた矢先、吉岡のスマホが鳴り響いた。


 Slack連投と思われる通知音の嵐。このプロジェクトが始まり幾度となく経験してきたそれは、アイコンを見なくても誰からかわかる。クライアントの小手。この地獄を作り出している長だ。


 それでも、見なければならなかった。

 吉岡が震える手で画面を開く。


「小手さんからだ。『上の意向で、やっぱりターゲットをZ世代からシルバー層まで広げたい。でも、デザインは最新のメタバース感を出して。あと、今からサ活で3セット回すから二時間後にラフを見せて』って……!」


 吉岡の悲鳴に、渡辺がいびきをかきながら夢うつつで応えた。


「……俺の若い頃は……メタバースなんて……セカンド……ライフ……ンゴッ」


 瑶子は除菌シートで会議用机(デスク)の一角を拭き清めると、そこに持参したノートPCを据えた。


「ターゲットを広げるってことは、デザインの焦点を絞るなってことだろ? なのにメタバース感って……」


 アワアワとし、頭を抱える吉岡の横で文がグネグネと体を揺らす。


「出たよ……シルバー層までって、それはもうターゲットじゃなくて、日本人全員って意味じゃないですかー」


 吉岡と文の嘆きを他所に、起ちあがった液晶の光が瑶子の横顔を青白く浮かび上がらせる。M3GANみが増した。


「……いいですよ。やりましょう」


 瑶子のタイピング音は全てを跳ね除けるようにして突き進む。



 ◇



 深夜2時。

 会議室の空気は、吐き出された二酸化炭素と、誰かがこぼしたエナジードリンクの甘ったるい匂いで飽和していた。ホワイトボードの文字はさらに増殖し、プリントアウトされた参考資料が無造作に広がる。

 理性の防壁が崩壊し、全員の脳が深夜特有の狂気に侵食され始める時間帯。


「……よし、まずは方向性を決めよう。レトロだ」


 吉岡が、充血した目で一同を見渡した。


「小手さんのオーダーは、レトロとメタバース。あの人は感覚で言ってるんだろうが、これを成立させなきゃ終わらない。こっちはロジックが必要だ。誰か、今どきの若者に刺さってるレトロを言語化してくれ」


 その言葉に、渡辺部長がガバッと起き上がった。


「昭和だよ! 太陽にほえろ的な!」


 ホワイトボードを指差して叫ぶ。


「刑事ドラマのエンディングみたいな、目に沁みる夕陽。差し色はオレンジ。フォントは泥臭い筆文字だ。これが日本人の魂だろうが!」

「古すぎます、化石です!」


 文が即座に噛みついた。


「今は、平成レトロ一択ですよ! 90年代の原宿! デコラ! プリクラ! ギャル! 背景は目がチカチカするビビットピンクにラメを飛ばして、フォントは丸ゴシック! 令和の若者は、この一周回ったダサかわにエモさを感じるんです。Y2Kですよ、Y2K!」


 成田は無言で、誰かが間違ってフルスクリーンにしたまま放置されていたプロジェクターに自分の画面を共有で映し出した。


 そこに現れたのは、懐かしいWindows95のデスクトップ背景に、3Dで回転する太いゴシック体の「WELCOME TO THE INTERNET」と言う文字。


「……これが、僕の思う、インターネット老人会のレトロです。……もう帰っていいですか?」


 吉岡は頭を抱えた。


「いや、待て待て。全部違うだろ……」


 しかし、止まらなかった。各々が勝手に作業を始め、共有画面はみるみるうちにこの世の地獄……いや、煮凝りのような凝縮されたナニか(・・・)。が、悪魔合体を繰り返し錬成されていく。


 昭和のオレンジ夕陽を背景に、平成のギャルがピンクのラメをまき散らしながら初期インターネットの粗いポリゴンに乗って踊っている。

 その上に、なぜか筆文字で「メタバースへようこそ!」と浮かんでいた。


 止まらない、止められない。深夜二時三十分の狂気急行。


「いいぞ、全部盛りだ! これなら全世代に刺さる!」


 判断力を失った吉岡が、興奮気味に拳を握り笑顔で叫ぶ。


「……」


 深い溜め息とともに、キーボードを叩く瑶子の指が止まった。


「……全世代が胃もたれするの間違いじゃないですか? これ、コンセプトのゴミ屋敷ですよ」

「矢島さん、厳しい……! でも、バズるには毒も必要です!」


 文が必死に食い下がる中、再び震えたスマホに吉岡が通知を確認する。


「あ、小手さんから追伸」


 すべてが脳チョクになりつつある吉岡は、何も考えずに目に入った文字を読み上げ始めた。


「『個人的には、山とか里みたいな、ほっこりする要素も欲しい』って。……山? 山といえば、やっぱりきのこの山的なフォルムをアイコンに……」


 その瞬間、成田がマウスをデスクに叩きつけた。ガシャンという鈍い音が響く。耐久に定評のあるロジクールでも、故障を心配する衝撃音だった。


「……吉岡さん。今の発言は、デザイナーとして聞き捨てなりません」

「えっ、成田くん?」

「僕は、……熱狂的なたけのこ派です。チョコとクッキーの比率、口どけ、すべてにおいて、(たけのこ)が勝っています。資料に(きのこ)を置くなら、僕は今すぐ全データを消去して帰ります」

「えぇっ!? デザインの好みで職務放棄!?」

「私はどっちも好きですけど、今はグミの時代ですよ。忍者めしとか」

「文、今は菓子の好みの話をしてるんじゃないんだ」


 会議室は一瞬にして、きのこ・たけのこの代理戦争の場と化した。

 渡辺は再び椅子に沈み込み、「俺の若い頃は、どっちも食ってた……いや、覇権はポッキーだった……」と呟きながら目を閉じる。

 会議室は混沌(カオス)の極致に達した。


 その時だ。

 瑶子がスッと立ち上がり、ホワイトボードに一本の線を引いた。


 キュキキキキキキキキキキィキィキィィィ。


 耳を刺すようなマーカーの音が、一瞬で場を静まり返らせ、ついでに渡辺の目を覚させる。


「……いいですか。昭和か平成か、きのこかたけのこか。そんな低次元な争いをしているから、日本の広告は死ぬんです」

「……低次元って、君。じゃあ何が正解だって言うんだよ。この地獄を止める正解は」


 吉岡の問いに、瑶子は小さく息を吐き、ホワイトボードに『すぎのこ村』と丁寧に書き加えた。


「私のマイレジェンドは、すぎのこ村です」

「「「「(…………すぎのこ?)」」」」


 全員の思考が停止した。

 かつて存在し、そして歴史の闇に消えた第三の勢力。

 その名を口にした瑶子の横顔は、真下にルクスが集まるLED照明の白い光の中で、まるで聖母か、あるいは死神のように神々しく凛と立つ。


 深夜の会議室を静止させたすぎのこ村という名の劇薬。

 数秒前まで、きのこ・たけのこ戦争に血道を上げていた吉岡と成田が、糸の切れた人形のように動きを止めている。渡辺部長に至っては、なぜか会議用テーブルの上でスッと正座をし、遠い目で呟いた。


「……あったな。1988年に発売されて、いつの間にか消えた、あの細長いチョコがけの棒が……」


 沈黙。それは、現代の消費社会が置き去りにした敗者の歴史に全員が敬意を表した、追悼の時間だった。


「……矢島さん、君は……」


 吉岡が、震える声で瑶子を見上げる。


「君は、そんなロスト・テクノロジーみたいな菓子を、今この数億円のプレゼンの中心に据えようってのか?」

「いいえ。私が言いたいのは、選択肢は二つじゃない。ということです」


 瑶子は冷徹に、しかし流れるような手つきでキーボードを叩き始めた。


「昭和か平成か、右か左か、きのこかたけのこか。……そんな選ばされている二択を押し付けるから、消費者は疲れるんです。この新商品に必要なのは、第三の道……すなわち光栄ある孤立。Splendid(スプレンディッド) Isolation(アイソレーション)です」

「スプレンディッド……アイソレーション……」

「光栄ある孤立、っと」


 文が、教祖の言葉を聞く信者のように、その言葉をメモした。

 運命は、彼らに我に返る暇を許さない。


 プルルルルッ!


 突如、静まり返った室内で、吉岡のMacからZoomの着信音が爆音で鳴り響いた。


「小手さんだ! 予定より30分早い!」

「ちょ、待ってください! まだ画面はさっきの昭和夕陽×平成ギャル×初期CGのフランケンシュタイン資料のままです!」

「成田くん、消して! 早く真っ白に!」

「……フリーズしました。……もう、死んでいいですか?」


 パニックが再点火する。吉岡は泡を食ってマウスを動かしたが、焦りすぎてビデオ会議の画面共有ボタンを連打してしまった。


「あ……」


 巨大なプロジェクターに、制作途中の恐怖の煮凝り地獄のカンプ仕立てが映し出される。

 そして画面の隅には、サ活でととのったのか小手の顔が赤い(あまみがでた)姿が映し出された。


「……あ、あの、吉岡さん? 今、共有されているのは……何ですか? 非常に……その、前衛的というか……」


 小手の声が、恐怖で小刻みに震えている。


「あ、いや、小手さん! これは、その、ええと……!」


 吉岡が言い淀んだその時、瑶子がスッと画面の前に割り込んだ。


「小手さん。これは、情報過多による現代人の脳内パニックを視覚化したデモンストレーションです」

「……えっ?」


 小手の動きが止まる。


「私たちはあえて、あなたの支離滅裂なオーダーを全て忠実に再現してみました。その結果、生まれたのがこのゴミ(・・)です。……どうですか? 吐き気がしませんか?」


 会議室に、死の静寂が訪れた。

 渡辺部長は気絶したように目を見開き、文は口を突き出したまま固まっている。吉岡にいたっては、あまりの恐怖に自分のネクタイを締め上げていた。

 画面越しの小手が、プルプルと震え出す。


「……わ、分かります。……実は、私もこれを見て……自分の指示が、いかに愚かだったか……死にたいほどに、痛感しました……」

「(……ええっ!? 通った!?)」


 吉岡の心の叫びが、無音で室内に響き渡った。


「小手さん、安心してください。……ここから、本物の仕事を始めます」


 瑶子の指が、最終兵器を起動させるようにエンターキーを叩いた。



 ◇



 午前10時。業界最大手である某飲料メーカーの最終プレゼン会場。

 数億円の予算と部署の命運を背負ったその場で、矢島瑶子がクライアントの前に置いたのは、一冊の分厚い企画書……ではなく、中身が空のペットボトルだった。


「……矢島さん。これは?」


 小手が、引き攣った笑顔で問いかける。


「ラベルも剥がされていますが……」

「余計な情報(ノイズ)をすべて削ぎ落とした結果です」


 瑶子は、数千人の聴衆を前にしているかのような堂々たる態度で、冷徹に言い放った。


「ターゲットを広げ、レトロを盛り、メタバースで飾り立てる。……そんな『雑音』を詰め込むから、中身が濁るんです。見てください、この(から)の透明度を。これこそが、消費者が求めている究極の沈黙です。……あ、ラベルを剥がす手間も省けるので、SDGs的にも満点ですよ」


 小手の瞳が、サウナの熱気とは違う、純粋な狂信の光で潤んだ。


「……見える。ラベルのない、空のボトルの中に、僕たちの魂が見える……! これだ、これですよ! 採用!!」


(((いや、ただのゴミだろ……!?)))


 後ろに控える吉岡たちの、魂の絶叫がシンクロした。


 午後1時。第三会議室。


 勝利の報を受け、オフィスは祝祭のムード……というより、宇宙の真理に触れてしまった後のような、奇妙な静寂に包まれていた。吉岡が、震える手で瑶子の肩に手を置こうとする。


「矢島さん……ありがとう。君が三年前に、この会社は良い案を殺す。と言って去った理由、今ならわかる。君は、高みを目指しすぎて、この凡俗な世界に絶望して病んでしまったんだな。……すまなかった、俺が不甲斐ないばかりに」

「……何言ってるんですか?」


 瑶子は、吉岡の手を埃を払うように払い除けた。


「体調不良? ああ、あれ嘘です。私、フランス人のアランを追いかけて渡仏しただけなので」

「……えっ?」


 吉岡の動きが止まり、彼の背に文と成田の視線が突き刺さる。


「アランが『君の言葉は、シャンゼリゼの風より美しい』って、あまりに使い古されたコピーで口説いてくるから、全部捨てて飛んだんです。そしたらあいつ、バリバリの既婚者で子供が三人もいたんですよ。私、パレ・ロワイヤルの前で『プリテンダー!!』って叫びながら、一晩中マカロンを自棄食いして、己を見失ってただけです。あ、フランス語で『嘘つき(Menteur(マントゥール))』って意味のコピー、100案くらいストックありますけど、使います?」


「「「(…………えぇぇ……)」」」


 会議室に、失恋の黒歴史という名の冷気が吹き抜けた。


「せ、精力的すぎる……!」

「……アランに勝ったんですね、すぎのこ村が……」


 文が戦慄し、成田がボソリと呟く。


「あ、それと吉岡さん」


 瑶子は淡々と続けながら、一枚の書類を吉岡の前に置いた。


「あなたが三年間使い回してたあのコピーの著作権料、延滞利息込みで経理に請求しといたんで。承認、よろしくお願いしますね」

「(……がふっ!)」


 吉岡が、物理的なダメージを受けたように机に伏した。

 そこへ、文がキラキラした目で瑶子に歩み寄る。


「真・師匠……私、今回のプロジェクトで分かりました! 広告に大事なのは、中身じゃなくて勢いなんですね!!」


 瑶子は、冴え冴えとしたチベットスナギツネ気味の視線を文に向けた。


「比嘉さん、心外ですね。あなたはまだ何も分かっていない。あれは勢いではありません。受け手の思考を最短距離で強制終了させるためだけに三千通りのシミュレーションを経て導き出した、ただの暴力です」

「……」


 その時、渡辺部長がやたらド太いストローが刺さったクリアカップを手に、片付けが進む会議室へ入って来た。


「大変だ! 小手さんからメールだ! 『ラベルを無くす案、最高です! その代わり、ボトルの底にマイクロチップを埋め込んで、スマホをかざすとメタバース上で昭和レトロなギャルが踊り出すAR機能を三日で作って!』欲しいそうだ。それと『今、巷で大ブームのハンドスピナーをボトルのキャップにするっていうアイディアを24時間以内に形にしてください』だってよ」


 一瞬の静寂。


「……部長」


 吉岡が、震える声で問いかける。


「ハンドスピナー……って、あの、ベアリングの玩具のことですか? 指で弾いて回すだけの」

「何を言ってるんだ。ナウいだろうが! くるくる回ってメタバース感もあるし、エモいし、バズるぞ。小手さんも『これぞ最新トレンドだ。2017年の再来だ!』って大興奮してたんだからな」

「再来っていうか、ただのリバイバルにもなってない遺物ですよ……」


 吉岡は天を仰いだ。クライアントの小手も、寝不足とプレッシャーの果てに、脳内のトレンド時計が止まるどころか逆走を始めたらしい。


 瑶子は一切動じず、ドラムロールのような速度でタイピングを開始した。画面には既に、物理演算で高速回転するハンドスピナーの図面が並んでいる。

 ふと吉岡が目を向けると、彼女のPC本体には、何かにぶつけたような深い凹みがあった。そして、ベゼルの隙間に挟まる数本の、金色の人毛のような……。M3gan, answer me, what did you do?


(アラン……これは……どっちだ……)


 吉岡が本能的な恐怖を覚える中、瑶子はキーボードを叩く手を止めずに言い放つ。


「……いいじゃないですか。十年経って一回転して、すぐに飽きて、ゴミ箱に戻るだけです。ハンドスピナーも、男も」

「……矢島さん。やるのか? ハンドスピナーを。今さら、十年前の化石を」

「……失恋の傷を埋めるには、こういう無意味な修羅場が一番なんですよ。フフフフフ……」


 瑶子の口角が吊り上がり、タイピングの打鍵音と混じって「フフ……フフフ……」と不気味な笑いが漏れ出す。

 ガン決まった目で彼女は呟いた。


「……あ、次に誰かを呪い殺すコピーとか書く時、参考にクライアント名にしましょうか。なんだかスッキリしたいいもの書けそう」


 完全にスピードの向こう側へ行っている彼女の背中に、吉岡はただ戦慄するしかない。


「……(もう、誰も追いつけない……!)」


 吉岡が遠い目で空のエナジードリンクを見つめる中、渡辺が拳を突き上げた。


「時代は、グローバル! 自分軸なパリの女にタピオカを流行らせるぞ!」


 瑶子の「……チッ、周回遅れ共が……」という舌打ちに応えるように、第三会議室の照明が激しく明滅した。









きちんと寝たほうが、作業効率は上がると思います。(小並


お時間頂き、有難うございました。


勢いだけで書いたので、所々怪しいかも……。

広告業界はミリしらです。昨日公開になった話の主人公がコンサルだった為、色々調べて勿体なかったので流用。にも関わらず、後半になればなるほど調べることが多くてなんでや…。

私は、きのこ派です。

気軽にポチッと感想スタンプでお気持ち表明なさってもよろしくてよ。

是非、お待ちしております┏○ペコッ

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― 新着の感想 ―
公式企画から伺いました。 むっちゃ面白かったです……!(*´ω`*) 深夜の混沌とする会議室の空気感がこちらにまで伝わってくるようでした。 広告業界ミリしらの状態でこの作品を書けるのがすごいです。 仕…
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