当て馬にされた騎士があまりにも生真面目な件
王太子と子爵令嬢との結婚式の日、ミュルデルス伯爵家三男のロンバウトに縁談が持ち込まれた。相手はコールハース侯爵家のマリエッテ。幼少の頃から王太子の婚約者候補の筆頭に挙げられており、美貌も能力も秀でている彼女がそのまま王太子妃になると誰もが思っていた。しかし、王太子が妃に選んだのは可愛いだけが取り柄の平凡な女性だった。
近衛騎士として王太子の護衛に就いているロンバウトは、もちろんマリエッテのことを知っている。しかし、ほとんど話もしたことがなく、なぜ結婚相手として自分が選ばれたのか分からず、戸惑うばかりだった。
数日後、ロンバウトはコールハース侯爵家を訪れ、マリエッテと面談することになった。
「この度は、わたくしの想いに応えていただき有難う存じます」
マリエッテは自分が望んだ縁談だと言ったが、ロンバウトにはとてもそう思えなかった。絶望、悲観、自暴自棄。彼女の態度からはそんな感情が読み取れる。おそらく、マリエッテはまだ王太子のことを忘れられずにいるのだろう。ロンバウトはぼんやりとそう感じていた。
「結婚することになったら、お互い想い合う夫婦になりたいですね」
そんな想いが叶うかわからないが、ロンバウトは自分だけはできる限り彼女を愛したいと思っていた。
「ロンバウト君、娘のことをよろしくお願いする。どうか幸せにしてやってくれ」
この国の宰相を務めるコールハース侯爵が頭を下げる。
「はい。マリエッタ嬢を幸せにするために精一杯の努力をいたします」
ロンバウトの言葉に嘘はない。迷いもなかった。彼にとって妻を幸せにするのは当然のことだ。ただ、どれほどの努力をしてもマリエッタが幸せと感じることはないのではないかと、そんな不安を覚えていた。
普段は王宮の官舎で生活しているロンバウトだったが、マリエッタとの婚約のことを父に報告するため、王都のミュルデルス邸にやってきた。しかし、二人の兄は領地へ行っており、父は官僚として王宮に勤めているのでまだ戻ってなかった。
「あんな美人さんと婚約することになって浮かれていると思ったけれど、何だか憂い顔ね。何かあったの?」
父久しぶりに会った母親が心配そうにロンバウトに尋ねた。幼少の頃から元気が良く、くよくよと悩むような性格ではなかった。このような落ち込んだ様子の息子を母親は初めて見たかもしれない。
「他の男を想っている女性と結婚することになるかもしれない。彼女を愛し幸せにしたいとは思う。でも、できるか不安なんだ」
実家に帰って気が緩んだのか、ロンバウトは思わず母に弱音を吐いた。
「それなら大丈夫だと思うわよ。私と一緒だもの。お父さんと結婚する前にね、私にも愛する人がいたの」
怪訝な顔をするロンバウト。母は微笑みながら話を続けた。
「三十年ほど昔、私が十七歳の頃、貧乏男爵の娘だった私は王宮で下級侍女として働いていた。ある日、王女殿下の外交に同行する侍女の募集があったの。お給金もかなり良かった。下級の私が受かるはずないと思ったけれど応募してみたら、なんと選ばれたのよ。嬉しかったわ。でも、何かがおかしかった。当時十五歳だったソフィア様の初めての外交だというのに、侍女は私のみ。護衛も若手の騎士が七人だけだった。ソフィア様の母親は王妃様ではなく愛妾で、ソフィア様を出産後すくに亡くなった。それで、ソフィア様は随分と冷遇されているようだった」
当時を思い出し、母親は悔しそうに唇を噛んだ。
「ソフィア様の外交先は当時関係が良くなかった隣国。しかも、好戦的な新王の戴冠式に招待されていた。新王は目出度い席に愛妾の娘を寄越した我が国に怒り、ソフィア様の命と引き換えに辺境伯領を寄越せと無理難題を言ったわ。もちろん、国は拒否した」
「辺境伯領がなければ我が国は孤立してしまう」
深い森と高い山に囲まれた国は辺境伯領以外他国と接していない。それに、国内唯一の港も辺境伯領にある。それでも、たった十五歳の少女を犠牲にすることにロンバウトは納得しかねた。
「護衛騎士たちは早々に国へと逃げ帰った。でも私はソフィア様の傍にいることを選んだの。だって、十五歳の女の子を見捨てるなんてできないでしょう? 私には何の力もないけれど、励ますぐらいはしたかった。隣国の新王は本当に残虐な性格で、国に見捨てられたソフィア様を公開処刑にすることに決めたのよ。もう、無事に国には帰ることができないと諦めたわ」
母親は穏やかでのんびりとした性格だとロンバウトは感じていた。たった十七歳の時にそのような壮絶な経験をしたとは思いもしなかった。
「隣国の民衆が見守る中、ソフィア様と私は処刑場まで連れてこられた。十五歳の少女の首が落ちるのを望む隣国に人々の騒めきが聞こえてくる。悔しくて泣きそうになったけれど、涙なんて見せたくなかった。だから、民衆を睨みつけてやったわ。すると、悲鳴が聞こえてきた。そして、たくさんの蹄の音も。なんと辺境伯家の次男ハルト様が率いる部隊が助けにきてくれたの。その中に、槍に斧と鉤をくっつけたような独特の武器を持った男性がいたのよ」
「それはハルバードですね。辺境伯領のハルバード使いといえば救国の英雄ブレフト殿ですか?」
ブレフトのことは若い騎士でも知っていた。隣国からの侵略があったとき、獅子奮迅の活躍をしたハルバード使いで、ボンネフェルトの狂犬との二つ名を持っている。
「まあ、ブレフト様のことを知っているのね。そうよ、とても格好良くて、すぐに心奪われたわ。でも、彼には既に愛する女性がいたの。ソフィア様がハルト様と結婚したときは、本当に羨ましくて、世を儚んだものよ。でも、十八歳の時に旦那様がプロポーズしてくれて結婚したの。自分で言うのも恥ずかしいけれど、今はいい夫婦だと思う。旦那様のことをちゃんと愛しているわよ。だから、貴方も大丈夫。誠実に向き合えば愛してもらえるわよ」
そう母親は言うが、ロンバウトは母親とマリエッテは違うと感じていた。母親の場合は一瞬で落ちた恋なので冷めるのも早かった。しかし、マリエッテの想いは長年に渡って積み重ねられたもの。そう簡単に王太子のことを忘れるなどできないと思った。
ロンバウトとマリエッタとの仲が特に進展することもなく、時は過ぎていく。
かなりの予算をかけて豪華な結婚式を挙げたにもかかわらず、半年もすると、王太子夫妻の仲は険悪になっていた。我儘で贅沢好き。しかも、必要なことを学ぶこともせず親しい友人だけを呼んで茶会を開く毎日。気に入らない侍女は虐げ、気に入った者を優遇する。そんな王太子妃を庇うことに疲れていく王太子。
『なぜ自分を慕う優秀なマリエッタ嬢ではなく、そんな女を選んだ? 癒されたいとか言っていたが、その女のどこに癒しがあるというんだ?』
口にこそ出さなかったが、ロンバウトは内心で王太子に向かってそんなことを思っていた。彼はマリエッタとの関係に悩んでいて、少し荒んでいたのかもしれない。
そして、決定的なことが起こった。
王太子妃が若い侍女を故意に転倒させた。不幸なことにその侍女は頭を机の角にぶつけて意識不明となっている。侍女は行儀見習いに来ていた伯爵家の娘。その親をはじめ、多くの貴族や出入り業者からの苦情が相次いでいた。
そのことに苦言を呈した王妃に向かって、王太子妃は扇を投げつけ暴言を吐いた。
もう、王太子にも庇いきれない。結婚を続ける気力もなく、こんな女を王妃にはできないと王太子も感じていた。
そして、結婚後たった半年余りで王太子の離婚が成立した。
しばらくして、ロンバウトは宰相であるコールハース侯爵から執務室に呼び出された。
「前の王太子妃のせいで王家の求心力が落ちている。それで、王太子殿下はマリエッテと再婚して立てなおしたいとのお考えだ。私は宰相として、また親として、そのお話を受けたいと思っている。ロンバウト君、こちらから願った縁談なのに本当に申し訳ないが、マリエッテとの婚約を解消してもらえないだろうか?」
侯爵にそう頼まれて、ロンバウトは安堵していた。婚約して半年経っても、マリエッテの想いを変えられないことに悩んでいたので、これでようやく解放されたと思えた。
婚約解消に不服はない。しかし、ロンバウトは王太子の護衛騎士を続けることに抵抗があった。マリエッテに未練はないが、彼女に選ばれなかったことを突き付けられ続けるのは辛い。それに、マリエッテも気まずいに違いない。
ロンバウトは王立騎士団を退団して辺境騎士団に行くことを決めた。母親の命の恩人だという英雄ハルトやブレフトに会ってみたかったし、騎士として国を護りたいと思った。
王都を出て十日後、ロンバウトは辺境伯領の最初の町ボンネフェルトに着いた。ハルトはこの町で騎士団長をしている。ロンバウトは彼にボンネフェルト騎士団に入団したいとの手紙を出して、受け入れるとの返事をもらっていた。
騎士団駐屯地に着いたロンバウトは団長室へと通された。ハルトはロンバウトが王都の近衛騎士だと聞いていたので、もっと線の細い男だと思っていたが、かなり鍛えているようなので満足していた。ここまで案内してきた平民の騎士にも礼を尽くしている。これなら大丈夫だと、ハルトはロンバウトを独身寮に住まわせることに決めた。
「独身寮の寮長はブレフトなんだ。聞いたことあるか? ハルバート使いの狂犬だった男だぞ」
「はい。王宮騎士団でも有名ですし、母からも聞かされていました」
「ミュルデルス伯爵夫人? まさか、ソフィアの侍女だった女性か?」
ロンバウトはハルトが母を覚えていたことに驚き、そして、嬉しく思った。
「はい。母がとても感謝していました。母を救っていただき本当にありがとうございました」
「感謝するのは俺の方だな。ソフィアは君の母上が傍にいてくれたから、正気を保っていることができたといつも言っていた」
ロンバウトは母の行動を誇らしく思った。しかし、命の危険があったことを考えると、王女を見捨ててでも国に逃げ帰ってほしかったとも感じてしまう。
「ちょうど昼食の時間になったな。独身寮へ行くぞ。ブレフトの料理は旨いからな。たっぷり食って、嫌なことは全部忘れてしまえ」
ハルトはロンバウトの婚約解消のことを知っていた。しかし、この長閑な町に住んでいると、そんなことなどすぐに忘れてしまえるだろうとも感じていた。
「はい」
ロンバウトが元気に返事をすると、ハルトが立ち上がり部屋を出ていく。ロンバウトも後に続いた。
「今日からボンネフェルト騎士団に所属することになったロンバウトだ。当面は独身寮に住む。以前は王宮の近衛騎士だったが、ここでは新人だからな。仲間として仲良くしてやってくれ」
独身寮の食堂でそうハルトがロンバウトを紹介すると、独身寮に住む若い騎士に動揺が走る。王宮の近衛騎士は皆貴族だ。継ぐ爵位のない者も騎士爵を持っている。貴族に気を使わなければならないのかと心配したのだ。
「ロンバウトと申します。どうぞよろしくお願いします」
家名も名乗らず、丁寧に挨拶するロンバウトに、騎士たちは傲慢な男ではなさそうだと安心する。
「さあ、昼食だ。皆並べ」
ハルトに応えて騎士の野太い声が響き渡る。そして、昼食を受け取る列が出来上がった。
ロンバウトの番が来た。美味しそうな肉のいい匂いがロンバウトの鼻孔をくすぐる。
「今日は豚肉のソテーなの。たくさん食べてね」
かなりの量の料理が載ったトレーをロンバウトに手渡した少女がにっこりと笑った。
ロンバウトは癒しとはこういうことかもしれないと感じていた。