4話 先輩が化粧を覚えた
鈴木華子へ学校を案内中、階段を降り切り、部室棟に繋がる渡り廊下を進めばちょっとした人だかりと知った顔が二つあった。
巳月と吹雪だ。金と銀のトランペットを手にしており新一年生たちもちらほらと見える。巳月の方もこちらに気付いて軽く手を振ってきた。
「陽馬、なにしてんの? 帰るとこ?」
「いや、なにっていうか……むしろ巳月の方がなにしてんの?」
「新入生の勧誘。吹雪に頼まれてさ。……一人頭三〇〇円のインセンティブあり……」
昨今の部活勧誘も成果報酬制度の導入がされているとは世知辛い世の中だ。
吹奏楽部が、というよりは悪友と密約をかわしたのだろう。
内緒ね、と吹雪がウィンクを飛ばしてきたのが回答だった。
「おまえ吹部じゃないだろ。いいのか? 仮にお前目当てで入部したやつが居たら詐欺だぞ」
吹雪に睨まれるので耳打ちで伝えた。巳月は陽馬と同じで帰宅部だ。
「だいじょぶダイジョブ。勧誘する人がその部の人じゃないとダメなんてルールないっしょ」
「お前にモラルはないのか」と言えば軽く肘打ちが返ってきた。
見たところ男子部員の獲得に張り切っているようだが、太平が言うところの雪月風花コンビで上手くいくだろうか。
巳月と吹雪は絵になる二人だが、だからこそと言うべきか、新一年生から見れば美人の先輩二人にグイグイ来られるのはかなりの緊張、もっと言えば萎縮してしまうのではないだろうか。気恥ずかしさが勝ってしまい入部してくれなさそうな想像もつく。
「てかさ、陽馬も勧誘てつだっ……えっ?」
言葉に詰まった巳月の視線を追えば、陽馬の後ろに居た鈴木に注がれていた。ちょうど陽馬の背にすっぽり隠れており今の今でようやく気付いたらしい。
「……朝の人だよね?」
「あーそうそう、転入生の鈴木華子さん。いま学校を案内中」
「はぁ? なんで陽馬が? え、仲良くなったの?」
「いや、案内役をご指名して頂いただけ」
「は?」と、
どこか威圧感のあるキョトン顔を披露する巳月。
陽馬を知る身なので彼にしては珍しい行動に違和感があるのだろう。あまり突っ込まれても説明が面倒なので、陽馬はこの辺で部活勧誘の輪から外れる。
離れ際にチラと確認した巳月の顔が見るからに何か言いたげだった。
「いまのが竜崎くんの双子の妹さんね?」
「そうだよ。誰から聞いたの?」
「有名人だから知ってるわよ」
いくら有名でも初日から耳に入るものだろうか、疑問だ。
「ほんとに、見事なまでに同じ顔をしてるのね。兄妹そろって驚くくらい美人」
「その言われ方だと美人姉妹みたいで、俺としてはちょっと複雑だけどな」
「あら、もしかして竜崎くん、女顔なの気にしてた?」
「まあ多少ね。そこまで気にしてるわけじゃないし、別にいい」
陽馬は言うまでもなく男なのだが、よく冗談交じりに美人姉妹だね、と茶化される。中学くらいの言われ始めの時はうっとうしいと思うこともあったが、別に悪口の意を含まないと気付いてからはあまり気にしなくなった。
ぽつぽつと喋るうちに科学部の部室前まで到着した。陽馬がここに来たのはだいたい二週間ぶりだ。
科学部の部員であることは確かだが、月に一・二度しか部活には参加していない。教室のドアを開ければ科学部部長が作り上げたわくわくサイエンス空間が広がっている。
地球儀、天体模型、世界地図、人体模型、アポロ十三号のミニチュアフィギュア、黒板にでかでかとアインシュタインの言葉『神はサイコロを振らない』が書かれている。
ちなみに字はたまに変更される。確かこの前は『地球は青かった』と書かれていたはずだ。
「やー竜崎クン。新二年生おめでとう」
「先輩も新三年生おめでとうございます」
新名亜里沙。
部員総数二名がうちの一名、科学部部長だ。当然もう一名は陽馬で一応の肩書は副部長である。
新名との出会いはちょうど一年前、入学してから二週間ほどは部活の勧誘・体験期間なのだがその時だった。
中庭で行われる一年生へ向けた勧誘レクリエーションのうち科学部のデモンストレーションが悪目立ちしていた事がきっかけだった。
「ちょうど一年前ですか、懐かしいですね」
陽馬は芝居がかった調子で目を閉じる。瞼の裏に映るのは中庭で焚かれた火柱、炎色反応によって七色に変化するキャンプファイヤ―である。
「こらこら、君いらんこと思い出してるだろ!」
「何を言いますか、僕と先輩の美しいファーストコンタクトじゃありませんか。あっ、ほら、見てください。炎が緑色に変わりましたよ。綺麗ですねぇ」
「回想シーンの共有とかしてないから! そんなリアタイ風に言われても困るよ」
陽馬は茶化して言っているが今でも目に焼き付いているのは本当だった。
ちなみに部活のデモンストレーションで火を使うことを事前に申請もしておらず、おそらく申請していたとしても許可の下りないレベルの大きな代物で、その後、先生数人に囲まれながらしっかり怒られていたのを陽馬は覚えている。そのぶっ飛んだ光景を見て科学部に入部することを決めたのだった。
「というかね、ワタシのことを散々そうやって小馬鹿にするけどね、結局きみもそうやって入部してんだから、あれで良かったんだよ、うん」
「入部した僕がいうのも何ですが、どう考えても失敗だったと思いますけどね。あの後一か月くらいは一年生の間で科学部ってヤバいらしいぜって噂になってましたしね」
言い添えておくと炎色反応で起こした七色のキャンプファイヤーは『ニーナレインボーファイヤー事件』と太平が命名し、語感が面白かったのか今でも学校内で浸透しているのだった。
「ま、こんな入り口で立ち話もなんだから入りなよ。コーヒー淹れるよ」
「ありがとうございます。あ、そうだ。遅れましたけど、こちら鈴木華子さんです。転入生で、なんでか知りませんが科学部に興味があるそうで」
陽馬がつい、後ろに控えていた鈴木を置き去りに新名と話し込んでしまったなと反省したが「ああ、知っているよ。いま鈴木クンは私の家に住んでるからね」と、予想外な返事が来て驚いた。
「え? そう、だったんですか。……親戚とかですか?」
「まあそんなところだね」
珍しいこともあるもんだな。とそう簡単に流せそうにはなかったが、何となく聞けない雰囲気もあって、陽馬はひとまず「そうですか」と簡素に納得した声を出す。
鈴木に何かあるのは間違いないはずだが、それはまぁおいおい探っていけばいい。
コーヒー用の湯が沸くのを待つ間、見るともなしに部室を見ていた。
新名は春休み中もちょこちょこ部室に来ていたようだ。初めて見る図鑑や特大サイズの床に広げられた方眼紙など、前に来た時と変化がある。
「はい、お待たせ」
ビーカーに入れられたコーヒーを受け取る。
新名いわく「アルコールランプとビーカーで作るコーヒーを飲めるのは科学部の特権」だそうだ。
陽馬としても分からんでもない。純度の高い青春の味なような気がする。
湯で粉を溶かしただけのインスタントなコーヒーだが、陽馬は学校内にカフェがあるようで気に入っていた。
気が向いた時に足を運び、新名と喋って、好きな時に帰る。話す内容は大抵、科学のワクワクする話だった。
例えば、ビックバンの前には何があったのか?
ブラックホールの中には何があるのか?
頭を真っ二つに切られたプラナリアはどちらが元のプラナリアなのか? 等々。
陽馬がコーヒーを半分ほど減らし、そう言えばと鈴木に水を向ける。
「鈴木って科学部に何か用があったんだろ? 新名先輩に話でもあったの?」
「いいえ、私の目的はひとまず達成よ。だからちょっとお手洗いに行ってくるわね」
唐突。
何の目的?
陽馬が口を開く前に立ち上がったかと思えばキビキビした様子でさっと部室から姿を消したのだった。
「……ますます謎めいたやつだな」
新名が、鈴木の閉めたドアを見つめていた。その横顔に陽馬が聞く。
「何者なんですか? 鈴木って」
「んぇ?」と、見るからに挙動不審になって新名が固まる。
「かなり謎なんですよね。どうも僕に対して何か考えてるみたいで、先輩、鈴木と一緒に住んでるんですよね? それもめちゃくちゃ謎なんですけど、どういう関係性なんですか?」
「んぁ~、まー色々ね、そのまぁ、色々なんだよ、うん」
「あれ? ……先輩、髪切りましたね」
詰め寄るように陽馬がにじり寄ったおかげで変化に気付く。
前はもっと野暮ったかった。今もまぁ、あか抜けていないところはあるが。
「そっちの方が似合って……あれ、よく見たら化粧もしてますね」
唇に妙な潤いときらめきがある。凝視された新名は反射的にさっと手で唇を隠した。
「あーこれはね! まあワタシも年頃なのさ! あの……そんなにまじまじ見ないでくれ」
顔は手で隠してあるが耳までは覆えない。肌が白いので赤くなるのも分かりやすかった。
新名亜里沙と言えば元は悪くないが、伸ばし放題の髪と寝不足による目元のクマ、身なりについて無頓着で惜しい、というのが陽馬ならず彼女を知る者からの評価だったが、今はどうだろう。
やたら広がっていた毛量は適切に抑えられ、自然な範囲のお化粧によって飾られている。
目をほとんど隠す長い前髪は今も健在だが、そこは本人のミステリアスな感じと合っていた。
「先輩、可愛くなりましたね。フツーに」
言った後で少しハッとする陽馬。どちらか言えばズケズケと物を言う彼だが、高校生男子にとって女子に面と向かって「可愛くなったね」と言うのはそれなりに勇気のいることだ。
幸い「やめてくれ、そういうタイプの褒められ方って慣れてない……」と手で顔を隠し続ける新名の方がダメージを負っているようで、陽馬に矢印が向けられることはなかった。
その後、いつもなら面白科学話でもして盛り上がるところだが、今日は妙に雰囲気が違い、新名は終 始そっぽを向いてそわそわしているので、陽馬も落ち着かず「また来ます」とぎこちなく言って、部室後にした。
「先輩め、急に化粧なんぞ覚えやがって……」
鈴木の影響だろうか、陽馬の思う新名亜里沙と言えば、良く言えば素朴で悪く言えば野暮ったい、その自然体っぽさが親しみやすくて好んでいたのだ。
何だか春休みを挟んで少し遠くに行ってしまったような気分になった。
来た道を戻って昇降口を目指す。渡り廊下でまだ勧誘をしているなら冷やかしていこうと思っていたのだが既に場所を移したらしい。女子二人が窓辺で雑談をしているだけだった。
昇降口で上履きからスニーカーに履き替える。他の人が下駄箱を開いて靴を取り出す一連の動作だが、陽馬にとっては変更点があった。
靴を取り出すのは手に持っている手提げのついたシューズボックスからだ。校内でいつもスニーカーを持ち歩いている変な奴が居ると噂になることもあったが、かと言ってセキュリティレベルゼロに等しい下駄箱なんぞにお気に入りのスニーカーを預けておく気にもなれず、結局、陽馬=シューズボックスの人というトレードマークが出来た。
売るところで売れば7~8万円の値がつく代物だけに陽馬の用心振りを擁護する被服研究部なる一派が存在したりもする。
シューズボックスの中身がスニーカーから上履きに変わりバックパックにしまって昇降口から外に出た。
こういったわけなので陽馬の下駄箱というのは数えるくらいしか開けられないのだった。
なので「俺が見てない間に下駄箱の中にどんだけラブレターが詰まっているか楽しみ」と太平に言ってみせたら「四組の内木さんが何か陽馬の下駄箱のとこに入れてたよ」と言われ勇み足で確認しに行ったら「嘘だよ」と書かれたメモ用紙が入っていたことがある。
校門までの下校道は生徒が疎らだった。下校時間のラッシュはちょうど科学部に居たからだろう。
始業式の日なので部が始動していないところもあるのかも知れず、学校の賑わいもまだ冬眠から覚め切っていないのかも知れない。
中庭の方を見れば吹奏楽部がけっこうな新入生を集めていたので巳月の釣果が良いことを祈っておく。
ママチャリに乗って校門を抜ける手前、妙な視線を感じて一瞥すれば金銀の転入生こと山田花子が居た。
いかにも意味深に校門に背を預け、ツインテールの片方を指でくるくると巻いている。
仕草だけを言えばいじらしいのかも知れないが生憎と顔は斜め上に傾き、威圧的な見下ろし方をしている。おそらく決闘に向けて気を高めているのだろう。邪魔をしてはいけない。
「こわや、こわや」
陽馬は念仏を唱え校門を駆け抜けるその時だった。
まるで朝のリプレイかのように山田花子が立ちはだかったのだった。