21話 モンブランサイズのモンブラン
目にうるさい光景の極致を味わった後、この何も見えない真っ白な世界がまた寒々しくて、どこかに突き落とされたような悪寒を覚えた。このままじっとして居ていいものか、とはいえ指示もなく勝手なことをしていいのかも分からず立ちすくんだままいると背後から声が聞こえてきた。遠くからの声はやま子の物だ。
おーい、と呼んでいるようだった。かなり遠くからだと思ったが、振り向けば驚くほどすぐ近くに居る。仏壇に置かれるような燭台を手に、蝋燭の火を灯すやま子の姿は案内人といった様子だ。
「お、早い。さすがは未来のハル様だねぇ」
「……なんか、凄いもの見させられた……目がチカチカする」
「いま桃花さんと他の二人も呼んでるからちょっと待ってて。でも、まさか桃花さんより早く振り向けるとは思わなかった。やっぱ素質あんだね」
よく知らぬ間に魔術適正を褒められ、何となく良い気分になっていると霧の中から桃花が歩いてやってきた。やま子と同じように先に声に気付いた陽馬へ心底から驚く顔を見せている。
程なくして全員が集まり、やま子が歩き出すのに着いて行く。
「離れないでね。アタシとはぐれたら面倒になるから」
「もしはぐれたらどうなるの?」と、新名が興味深そうに聞く。それは陽馬としても気になるところだ。
「死にはしないけど、精神がおかしくなる程度のことはあるかもね。そうそう起きないけど、夢に入る者と入られた者、双方が廃人になった事例もあるから」
勝手に動かなくて良かった、と陽馬が胸を撫でおろしたが、緊張がほぐれることはない。新名もすず子も似たような表情で顔を強張らせている。
白い霧の中、燭台の明かりで先導するやま子に続いて歩いていると、次第に霧が晴れていく。
「繋がった。これが妹さんの心の中だよ」
巳月の内なる世界、その全容が見えてきた。
印象を先に言うと、トゲがあり、キャッチーで、美しく整っているが退廃的な風景だ。
「……人の心や夢の中っていうのは、こんな感じなのか……濃縮した現代アートの美術館に放り込まれた感じだ」
「そこそこの人数の深層心理を見てきたけど、かなり小ざっぱりしてる。妹さんはシンプルな考えで生きてるタイプの人っぽいね。取りあえず歩こっか、歩きながら説明するよ。浮いてるものには触っていいけど、天井と床から直に生えてるものは極力触らないほうがいいよ。強い感情が無理やり流れ込んできて、悪い場合はゲロ吐きそうなほど気持ち悪くなるから」
後から後から危うい情報を聞かされると不安になる。そういったことは先に言え、と魔術に馴染みのない三人は思ったが緊張感から取りあえず了解だけを返事した。
心の中の風景は常に変化していた。やま子いわく「小ざっぱり」だそうだが、初めての世界を体験する陽馬からしてみればまとまりがなくてごちゃごちゃした印象を受けた。
見上げれば絵で描かれた空があり、右が青空、左が夜空、地面はアスファルトや砂浜、大理石や絨毯とごく短い間隔で様々な踏み心地の床が入り乱れている。息を吸いこめば柑橘系の香り、おそらく巳月の使っているお気に入りのシャンプーの匂いだろう。
床から赤いイバラが生えている。作り物のように鮮やかな赤色の、魔女の森にでも生えていそうな極太のイバラだ。禍々しくも美しい。パッと見て危なそうなイメージの物には特に触れない方がいいらしい、大抵は負の感情が詰め込まれており碌なことにならないのだとか。
大量のマネキンが高そうなコートやバッグを身につけ、さながらランウェイのように配置されている場所があった。
「お洒落に興味がある人はこういう光景になったりする。でも、こんだけハイブランドが並ぶのは高校生ってことを考えると珍しいかも」
やま子の解説に、陽馬が知る情報を補足する。
「巳月の好きな映画の影響だな。触る気はないけど、たぶんタグを確認したらプラダって書かれてると思う」
さすがは深層心理、夢の中だけあって巳月の好むもの、ちなむ物が多い。
ふよふよと、大きなシャボン玉が流れてきた。中にはプラスチック製でキャラクターが書かれた小さなコップがあり、オレンジジュースらしき物が注がれている。
その横のシャボン玉には自販機でよく見る無糖のレモンティーが入っていた。小さなコップの方は巳月が幼い時に愛用していたコップで間違いない。
「こんな世界で幼児退行を起こした原因って、どうやって探すんだ……?」
巳月の趣味嗜好が溢れているのは分かったが、問題の核はどんな方法を使って判明させればいいのか分からなかった。先導するやま子はさっきからキョロキョロと何かを探している。
「本人に聞くのが早い」
「本人って、心の中に巳月が居るってことか?」
「その通り、無意識下の自分ってやつね。深層心理の人格って言うのかな。この世界の妹さんを見つけられれば何でも答えてくれるからそれが一番早いわけよ」
「ちょっと、それってもしかして……山田さんがいつも行ってる洗脳の手順よね?」
「言っとくけど! アタシは洗脳まではしたことないから。あんま突っかかって来んなよ」
ちなみにこの時、洗脳の手順を後で教えて貰おう、と桃花は密かに思っていたのだった。
「ねえ、なんか裸の女の子いるけど……」
「どこ⁉」
新名が見つけた裸の女について、やま子が鋭い声を上げるので全員が警戒信号を覚えたが、その裸になっている人間こそが深層心理の世界にいる巳月だそうだ。
「えーと、あっ、あの大きいケーキが山盛りになってるとこ入っていった!」
新名が指差す方向を見れば確かに人間サイズのケーキが天高く積み上がっている。この異様な風景に何故いままで気付けなかったのか謎だ。見落とすわけがない距離にあるそれは、新名が見つけたからこそ姿を現したように感じる。
肩の高さくらいあるシュークリームとミルクレープの間を抜けて後を追うと、行き止まりのように山、もといモンブランが道を塞いでいる。まさか本当にモンブランサイズのモンブランを見る日が来るとは夢にも思わず、いや夢の中なのだが、思わず首を反らす程に見上げていると「居た!」と、やま子が発見を報告した。
裸の巳月は映画に出てくるような猫足バスタブの泡風呂に浸かり、無造作に付近のケーキを手でわしづかみにして食らいついている。お風呂とケーキが好きなので夢の世界では豪勢にやっているようだ。顔にも体にも生クリームをあちこちつけて満足気な表情だ。
「さて、と。ようやく見つかった。これで本人に聞けば何でも答えてくれるよ」
どうぞ、と質問役は陽馬に促される。自分なのかと思ったが、そりゃそうだとも思った。
いざとなると何と切り出せばいいものか少し困る。