18話 え~? 別にいいじゃん。兄妹なのに
夢を見た。
陽馬が小学生の時の夢だった。
夢といったら突拍子のない取っ散らかった内容の物も多いが、この夢はそうではなかった。まるで過去にあった出来事をなぞるような代物だった。
とある日を境に、小学四年生の陽馬は上級生から謂れのない嫌がらせを受けるようになった。上履きを隠されたり、悪口を言われたり、子供が考えつく範囲のイジメだったが、今ほどは図太くなかった彼にとって上級生から一方的に意地悪をされるのは耐え難い苦痛だった。
何か月かイジメ被害に耐えた陽馬が、とある日の朝、登校前の時間で両親にこう言った。
「学校いきたくない、修行したい」
いや、なんのこっちゃ、と両親は思ったが、よくよく話を聞けばイジメに遭っていることが分かった。
陽馬いわく「負けたくない」とのこと。両親は悩んだ末、自宅学習と近所にあった鷹司流古武術の道場へ通わせることを許したのだった。
小学四年生の七月頭頃から不登校となり、夏休みの終わりまでみっちり道場へ通い、新学期と共に颯爽と登校し、一時間目の授業前、朝の会に殴り込みのお礼参りを決行したのだった。もちろん陽馬の独断である。
勢いよく開け放たれる教室のドア、鼻息荒く躍り出た陽馬は、震える声を張り上げる。
「失礼します! 四年二組の竜崎陽馬です! 山田くんと鈴木くんにイジメられてました!」
担任の先生もクラスの一同も全員があっ気にとられていた。
誰に何の相談をしたでもなかった。
ただ、この頃から「主人公ならどうするか?」といった陽馬の核となる考え方が出来上がったのだった。主人公なら必ずやり返す。主人公なら負けっぱなしで終わらない。主人公ならきっと戦う。
そのために震える足で上級生の居るクラスにやって来た。
先生が何か言う前に走り出す。
前列にあった某くんの机を踏み台にして跳びあがり、教室の中ほどに居た山田くんの顔を目掛けドロップキックを放つ。
吹っ飛ぶ山田くんと着地をミスして転げまわる陽馬。
近くに居た関係のない生徒が逃げ出して椅子と机が倒れ回った。
クラスは騒然、その後も陽馬は鈴木くんに飛び掛かったり何だりで大騒ぎになったのだった。
両親の呼び出しと、反省文やカウンセリング等を受けながら「考えなしに行動した時の面倒臭さ」について学んだことを記憶している。
これを機に、学年どころか学校中で陽馬の噂が絶えなくなる。
イジメ犯の二人はそれっきりすっかり大人しくなったのだった。
――徐々に覚醒していく頭が、記憶の整理なのか、そんな夢を見せてきた。
そう言えば道場通いはそこから始まったのだった、と自分のルーツを思い出しながら体を伸ばす。
布団の中で軽いストレッチをして体を起こそうとしたが、いやにベッドが狭いことに気付いた。
「巳月……。おまえ、そのまま寝落ちしやがって」
「おはよ!」
陽馬より先に起きているのは珍しい。妙に機嫌が良さそうだ。
「おはよーじゃなくて、いつまで俺のベッド居んだ」
「え~? 別にいいじゃん。兄妹なのに」
驚いた。「兄妹」といつもの巳月なら絶対に言わないワードが飛び出してきたのだ。
「……兄妹だからだろ。高校生にもなって一緒のベッドで寝ないだろ」
「……一緒に寝るの嫌だった?」
上目遣いで瞳を潤ませながら聞いてくる巳月、どういう風の吹き回しか、こんな可愛らしい仕草を見せるなんて滅多にないことだ。
「お前まだ寝ぼけてんだろ。……もう起きるぞ、朝メシ作んないといけないし」
ベッドから抜け出して一階に降りるとその後をちゃんとついてくる。
歯磨き、洗顔、朝食の支度、と気持ち悪いくらい素直に従ってくれるのだ。
目玉焼きトーストとカップスープが出来上がり、なんて事のないいつもの食事に「美味しいね」とニコニコ笑顔の感想付きだ。
「おまえ、なんか今日ヘンなんだけど……」
「なにが~?」
「いや、なんつーか……。おかしいだろ? いつもそんな感じじゃないよな?」
「お兄ちゃん変なこと言うね? 別に巳月はいつも通りだと思うけど」
お兄ちゃんって、と絶句する陽馬。まともに兄と呼ばれたのはいつ振りだろうか。
いや正確には昨日振りなのだが、陽馬は寝入る直前であり記憶が定かではないのだった。
訝しみながらも登校する。
その間も巳月は妙に明るく楽し気に、聞き分けが良く素直で、それからいつも以上に陽馬へベッタリだった。
駐輪場に着いて自転車を停め、ふとした拍子に左手に思わぬ感触を得た。手だ。巳月の柔らかい手がじゃれる子供のような仕草で絡みついてくる。
あまりの衝撃に、思わず思考と活動を停止させていた。
「珍しいね、手なんて繋いじゃって」
横合いから千賀吹雪に声をかけられハッとして我に帰る。
「あー……うん。なんか巳月が朝からこの調子なんだよ」
顎でクイと隣を指すと「フキちゃん、おはよ~!」と巳月がするにしては幼い顔をして挨拶をする。
「か、かわい……。ツキちゃんどうしちゃったの? 私、フキちゃんて久々に呼ばれたよ」
「……分かんね、昨日ちょっと喧嘩? になったんだけど、今は何かすごい機嫌いい」
「機嫌いいならそれで良くない?」
「機嫌がいいだけなら、俺も別に気にしないんだけどさぁ」
機嫌の良し悪しに関わらない線引きはある。
昨日までは確かにあったはずだ。
巳月は陽馬のことを兄と呼ばないし妹とも呼ばせない。ましてや兄妹だと自分から言い出すことは明確に避けていた。
その事実を伝えたところで事態の異常さが吹雪に伝わるかは疑問だ。
「まあ、とりあえず今日の巳月はどっか変だから、よく見といてやってよ。どうせコイツと友達やってくれてる奴なんて吹雪くらいだし、頼んだ」
「それは別に全然だいじょうぶ。ツキちゃんと一緒に居るって、それフツーに毎日だし」
それなら一安心、と吹雪にじゃれる巳月を見て思う。
気にし過ぎだろうか。いつもと様子が違うから注意してくれ、なんて過保護すぎたかも知れない。
だが、まるで小学生の時の天真爛漫だった頃の巳月に戻ったみたいで、この無垢な笑顔を振りまく姿がどれだけ異常であるのか、陽馬にだけは分かっていた。
「あ~……ヤバい、ヤバいヤバい、これちょっと凄すぎ……」
巳月に片腕を抱きとめられ、天を仰ぐ吹雪。
「ごめん、引きはがすわ」
「大丈夫。そのままで大丈夫」
「……? え、なんで?」
「大丈夫。私はいま凄く喜んでいるから大丈夫。あーヤバ、今日のツキちゃん可愛すぎ」
静かに滔々と喋る様子がまた奇妙だった。アクションは少なめだが、よく見れば紅潮した頬と細かく震える唇が吹雪の恍惚さを教えてくれる。
「え、いや逆に大丈夫じゃなさそうなんだけど、何ならちょっと気持ち悪いまであるんだけど」
「いやー大丈夫、大丈夫。弁えてるから、そういうタイプだから私。勝手にチューとかしないから安心してよ」
「本当に大丈夫なやつはチューとか言い出さないと思うけど」
「大丈夫まかせて」と「信用できねえ」の押し問答をしながら昇降口を抜けていく。
口ではあれこれ言う吹雪だったが、実際のところ巳月を任せられる人は彼女しか居ないのだ。
友達というよりは最も身近な信奉者じみたところがあるので、つべこべ言ってもそんな大それたことはしないだろうと陽馬も分かっている。
上履きに履き替え、階段を上がってそれぞれのクラスへ散ろうとしたところ巳月がいつもの進路と違ってそのまま陽馬へついていく。
いわく「お兄ちゃんと一緒に居たい」とのこと。
ああ、いよいよヤバイかも知れないな、と陽馬は天を仰ぐのだった。