15話 わたしはもっと直にじゃれつきたいです
「食うよ。もう腹減って死にそう」
陽馬が手を差し出す。
もう、と困り顔で笑ってから遠慮がちに桃花が差し出した。
中身はおにぎりとウィンナーと卵焼きのささやかなお弁当だった。味は普通に普通だった。可もなく不可もなし。ただ当然、陽馬は「美味い」と言って食べた。
「……ありがとうございます。次は、もっと上手に作ってみせますから、期待して下さい」
今日一番の笑顔だったような気がする。陽馬は簡単に「楽しみ」と答えて、それから特に会話もなく海を見ていた。しばらくして陽馬がレジャーシートに横になって聞いた。
「桃花ちゃんはさ、なんで俺が好きなの?」
気になっていたのだ。六人でファミレスに行った時に聞かされた未来の話。
半ば強制的に陽馬のことを好きになろうと努力しているのか、そう思わないこともない。桃花は大抵の場合うっすらと笑んだ顔を作っているが、問われ、考える素振りを見せ、凛とした顔つきに変わった。
「ハルくんは、夜の闇の中で、不意に目の前に現れた星なんです」
ひとつ答えた後、また言葉を選ぶために黙り、再び口を開く。
「わたしの家は、ハルくんも知っての通り、古い魔道の家です。生きていく上で必要なしがらみはとても多かった。
鷹司の家はまだ緩やかな方らしいのですが、それでも恋愛をすることは難しいことのひとつでした。
わたしも、そもそも、そんな事は諦めていました。好きな人をみつけて、恋に落ちて、こうやって二人で海に出かけるなんて、そんなことは起こり得なかった」
途中で区切って、シートに寝転ぶ陽馬へ沿うように、桃花も横になる。
「いつから? と聞かれたら、ある日、やま子ちゃんが家にやってきて、未来のことを教えてくれた時からでしょうか。
私が唯一、自由に人を好きなっていい、そんなただひとりが居る、それを知った瞬間かも知れません。もしくは、ハルくんと初めてちゃんと会って話した時かも知れませんね。
結局、本当に一目惚れなのかも」
横になったまま、桃花は陽馬の胴に腕を回して続きを話した。
「いつから好きなのか、好きになっていい人が急に現れたから、だから好きになったのか、わたし自身、よく分からないんです。恋をしたのは初めてですし、恋をして良い事になったのも、つい最近で、そもそも今のわたしの感情は恋なのかも分かりません……でも」
回された腕の力が強まる。少し痛いくらいに力が籠められている。
「何だか、嘘じゃないような気がするんです。この気持ちの、気持ちの奥の、ハルくんを考えている時の、お腹の奥がギュッとする感じ。
どうしようもないような、この感じ。いま、今も、ずっとそうです。
たぶん体がくっついてるせいだと思います。もしかしたら性欲なのかも……。もっと、もっともっとお互い一緒になっちゃうくらい近づきたいんです。
……あの、えっちな意味じゃないですからね? その……でも、たぶん。ハルくんが思ってるより、わたし、ずっとハルくんが好きだと思います」
陽馬の胴に回された腕からゆっくりと力が抜かれていく。触れられているところが熱い。
いつどこから何を持ってすれば恋となるか、好きと呼べるのか。その定義は本当に曖昧で難しい。
親切にされたから好きになる人も居るだろう。
隣の席でよく話すからいつの間にか好きになることもあるだろう。
桃花にとって、それは、つい最近まで預かり知らぬところにあった。
俗世から外れていた彼女にとって「なぜ好き」という問いに数学のような答えは出せないだろう。だが、「よく分からないけど好き」という回答は、本質を得ているかも知れない。
世間様にある恋物語も、よくよく紐解けば原因不明にして好きである、という解に落ち着く物は多い。
「今日はいつもの調子じゃないなって思ってたけど、ようやくエンジンかかってきたな」
「いつも? いつものわたしって、どんな感じですか?」
「そうだなぁ。どんどん来るっていうか、自信たっぷりな感じかな」
「あぁ」と桃花が合点のいった声を出す。
「料理なんて初めてしましたから、変じゃないかなって心配だったんです。渡していいのか、いつ渡すのがいいのかな? とか色々考えちゃって。でも、ハルくんが優しくてよかったです」
「いいえ、こちらこそ、ご馳走様。……じゃあ普段は自分に自信があるから、あんな感じってこと?」
「自信……と言いますか、自覚でしょうか? わたしってカワイイじゃないですか? 世間常識的なお料理の事とかは学んできませんでしたけど、容姿に関してだったら自分でもよく知っています。
魔道の家と言ってもさすがにずっと山に籠っていたわけでもないですので、なのでカワイイわたしが好きな男の子に好き好きするのは、きっと可愛いと思うんです」
「……まあ桃花ちゃんが可愛いっていうのは認めるけども、たぶん、世の中の自分が可愛いことを自覚してる女の子でも、そこまで明け透けには言わないと思うなあ……」
この辺りが世間とズレている所だろう。
自負があるにしてもひけらかし方が尋常ではない。
桃花がもぞもぞと身じろぎする。陽馬の背にぴったり重なるように桃花は体の前側を当てているのだが、そのまま少しづつ上に移動しているらしかった。
様子と雰囲気で分かったが、どうやら陽馬の頭を目掛けてきているようだ。
「……なにしてんの?」
「耳、噛んでみようかなって」
「……な、なんで?」
「ハルくんの耳、小さくてかわいいなーと思いまして」
「……桃花ちゃんの耳の方が小さいとおも――こらコラおい、急に噛もうとすんな」
「噛もうとしてませんよ。耳に舌いれてみようかなって」
「いや、まずは舐めるところからだろ! いやでも舐めろってことじゃないからな!」
「冗談ですよ、ジョーダン」
頭の後ろから吐息混じりにクスクス笑う声が聞こえる。
距離が近いせいかいつもよりなまめかしい。
冗談じゃなかったんだろうなと陽馬は思う。
あのまま抵抗せずに居たら噛まれた後で舌を入れられていたような気がする。
「ハルくんはいつ許してくれるんですか? わたしはもっと直にじゃれつきたいです」
いつと言われれば、はたと困るものだ。陽馬とて興味がないわけではない。
「いつか、だよ」
「来月の五日ですね」
「somedayの意味だ。一休さんかお前は」
「も~けちんぼですね。減るもんじゃない、って言いますよ?」
「目に見えないだけで減るんだよ。いま俺が吸って吐いた空気も、酸素が減って二酸化炭素が増えたみたいに、減ったり増えたり必ず変化するもんだ」
抗議のつもりか、背中にぎゅっと頭を押しつけてくる。
「まあそう焦らないでよ。いや、桃花ちゃんからしたら焦ってるわけでもないのかも知れないけど。
俺だって今みたいのとか、それにその先が気にならないわけじゃないけど、何事も時宜にかなうタイミングはある。
海だって初めて二人で来たんだから。知らないこと、行きたいところ、話してないこと、そういうのをもっと楽しんでからでも遅くないと思ってる」
その言葉が桃花にどう響いたか、陽馬の体勢では表情が分からない。
再び回されてきた腕を見れば、そう悪くはない反応なのかも知れない。
「……今日のところは、背中で我慢してあげます」
シートの上でごろごろして、砂浜を歩いて、シーグラスを探したりして時間が流れていった。
いつかやって来るものは、一体いつやって来るのだろうか。
その時が来たら、然るべき事を然るべく対応できる物なのか。遠くない未来、二つに一つの決断をするのかも知れない。
それで未来がどう変わってしまうのか、周りは何を思うのか。
陽馬は自分に主人公足れと言い聞かせる反面で、今日のように、ただ心地いいだけの日常が一日でも多くやってくることを願わずにはいられなかった。
覚めない夢はないと知るからこそ、かも知れない。