10話 五人の女に囲まれて
早めに寝て早めに起き、早めに家を出る。基本的な約束事は守る方だ。
新名とは駅で集合してから映画館に行く運びとなっている。
少し早めについて駅前をぶらつき五分前には改札に戻ると、彼女の方も待ち合わせ前にしっかりと着いていた。
改札を出たところでソワソワしながら待っている。休みの日だというのに制服姿だ。
陽馬が手を振れば遠目でも気付いてトコトコと寄って来た。
「新名先輩は休みの日でも制服なんですね」
「まあ、その、悩んだ末にな。学生は学生らしくだよ。……それにしても君はシャレてるな」
「ありがとうございます。良ければ今度は先輩の服でも見に行きましょうよ。女の子の服はあんまり知らないんで、そんなにアドバイスは出来ないと思いますけど」
「い、いいの? 助かるよ……。今までこういうのは無縁だと思ってたからなぁ……」
「こういうの、とは?」
「えっと、つまりその、二人で休みの日に映画を見にいくような……ことだよ」
「あぁ、デートってことですね」
新名が言わないようにしていたその単語をあえて口にすると反応は上々だった。
「まーその、そうとも言う、ね。……なんか竜崎クン、最近ちょっと意地悪じゃないかな⁉」
「そうですかね? 二人きりでデートだから僕も緊張しちゃってるのかも知れないですね」
無駄な爽やかさで言い放つその台詞がいかにリラックスしているかよく分かった。
「なんだよ僕もって、まあワタシはぜんぜん緊張していないが? ん全然まったく!」
「そうですかぁ。やっぱり先輩って大人っスねー。んじゃ行きましょっか。映画までちょい時間ありますし、僕がリサーチしといたバチクソ雰囲気いいカフェでわけわからんくらいお洒落なモン頼みましょ!」
「やっぱり君ちょっと意地悪だよね⁉」
とは言いつつも事前に下調べをしてくれていたことに内心かなり喜んでいる新名であったが、オシャレ空間への耐性があまりに低かったため立ち食い蕎麦屋のような速さで飲み物と小さなケーキを平らげ早々に退店することになったのだった。
程なくして映画館に着く。
先にグッズでも見ようかと話していれば声のボリュームのおかしい奴らが騒いでいることに気付いた。
「いくらなんでもこれはマナー違反でしょ!」
「ハァ? 争奪戦にマナーもクソもないと思うんですけどぉ⁉」
「ま、わたしは偶然で居るだけなんだけどね」
「いえ、無理がありますよ」
どこの誰がと思っていたら声の主は陽馬の知る四人だった。
目が合う。その時、争いはなくなり瞬時に取り繕われたのだった。
「あ、ハルくん! こんなところで奇遇ですね。映画ですか? 一緒に見ませんか?」
桃花の面の皮の厚さは他の面々の中でも抜きん出ていそうだ。
「陽馬、なんか昼から雪降るって言ってたよ。冷蔵庫のプリンあげるから帰ろ?」
四月に雪が降ってたまるか。そして冷蔵庫のプリンはもともと俺のだ、と妹の主張を否定する陽馬。
「すみません亜里沙さん! いますぐこの人たち排除しますのでお構いなく!」
何となく、すず子はどこかで見ているかも知れないなと思っていたが本当に居るとは。
「排除ぉ? へ~? できるモンならやってみればいいじゃーん」
やま子のその一言で一瞬だけ収まっていた諍いがまた勃発する。
やますずの争いだ。
もはや映画どころではない。入口で溜まって騒いでいれば人目もひくし迷惑にもなる。何が起きているんだと思考停止しそうになりながらも陽馬が自分のモットーを思い出し、声を張って切り出した。
「とりあえずファミレスに行く。ちょっとそこで話そう」
どこか有無を言わさぬ雰囲気があって一同が首を縦に振る。
土曜の昼といえば込み合いは必至な時間だと言うのに六名でなだれ込んだ店は異様なほどガランとしていた。
付近はだいたい何でも揃うような繁華街で、入るのに少し勇気がいる個人店でもない全国チェーンのファミリーレストランだというのにおかしなことだ。
陽馬としては落ち着いて話しやすそうで良かった。
六名が掛けられるボックス席に通され、巳月がいちはやく陽馬の手を引いて誘導する。
巳月、陽馬、抜け目ない桃花が隣を勝ち取り、向かい側は、やま子、新名、すず子といった配置となった。
各々がドリンクバーで飲み物を用意したところで陽馬が口火を切る。
「さて、と。とりあえず色々きくけど、なんで居る? 巳月」
右隣を見て問い詰めた。巳月は面倒くさそうに髪をいじりながら答えた。
「なんでって、たまたまだよ」
陽馬が返したのは沈黙だけだった。そんなわけがないだろ、と彼の目が言外に示している。
「……陽馬のアカウント、シネマのIDとパス知ってるから、履歴みた」
以前に巳月が映画を見たがった時、会員割引があるからと陽馬のアカウントからチケットを発券したことがある。それを覚えていたのだろう。
「おまえ……」ブラコン過ぎるだろ、と言いかけてどうにか飲み込んだが事情を知らない者はいる。巳月は妹扱いされることを途轍もなく嫌うのだ。
だから、やま子が「えーブラコン過ぎ~」と言った時は心臓が跳ねた。
「山田花子さん、だったよね? 悪いけど、それあんまり言われたくなくってさ。今回は別にいいけど、今後は二度と言わないでくれる?」
場が凍り付きそうな険のある声。この付近だけ急激に温度が下がったような気さえする。見開かれた目の迫力はいかほどか、様子を伺いたくともさすがに真横は向きづらい。
幸い、すぐ反発するかに思われたやま子が「分かった」と大人しく引いてくれたため、この場が崩壊せずに済んだ。
気を取り直して「次、桃花ちゃん。なんで居たの?」
シリアスな空気が重苦しくテーブルに乗っかっている。さすがの桃花も正直に口を開いた。
「ハルくんが新名さんと映画に行くことを知ったので、その……我慢できませんでした。二人きりで映画なんて、すみません」
徹頭徹尾、自分の気持ちは隠さない、あくまで押していく姿は清々しい。
「……そっか。ちなみにどうやって知ったの?」
「……ごめんなさい。それは……どうしても教えられないんです」
申し訳なさそうに、だが頑なな意思を感じさせられる。
気になることは気になるがひとまずは置いておく。
「それで、やま子とすず子はそれぞれの付き添いみたいな感じ?」
二人ともコクンと頷いて返した。陽馬が深い溜息をつく。
どうしたものか。
言うか言わまいかうっすらと、だがずっと感じていたことを少しずつ言語化して吐き出す。
「ちょっと長く話すけど、いい?」全員に目で確認をとってからつらつらと話し始める。
「まあ、はっきり言ってこの状況は異常だと思う。新名先輩と映画に出かけたら巳月と桃花ちゃんと、やま子もすず子も居るってのは、ちょっとどころじゃなくて普通じゃない。桃花ちゃんからしたら気が気じゃないってのも分かるけどまあ今は置いておこう。一番の異常は……」
一旦ここで言葉を切る。
「作為的すぎるところだ」
言葉が全員に浸透するまで待つ。
「事の始めは始業式の日、曲がり角でパンを咥えた二人が俺の前に飛び出してきた。
後で確認したんだけど、あそこのミラー、壁にはりついてると向こう側からギリギリ見えない角度になる。つまりそこには、どうにか俺にぶつかってやる、という目論見があったはず。
あの時はたしか、どっちが先に俺に当たったか、強く当たったか、そんなことで軽く揉めてた。おそらくは後々に責任を感じさせて俺に何らのかの要求を飲ませようとするためだ。
その要求とは、たぶん、やま子は桃花ちゃんを、すず子は新名先輩と親密になれ、という風な方向性の要求だ。そこについてもかなり謎、というか違和感が強い。
やま子すず子は以前から二人と知り合いだった? 親戚? そうだったとしても二人の転入生が同じような目的、同じ日に同じクラスに入るか?
そして二人ともそれぞれの家に居候している。何がどうなればそうなって、そして最後に、どうして好意の矢印が急に俺に向かっているのかが最も分からない」
ゆっくりだったが一気に喋り終え、陽馬がひとつ息をつく。
喉を潤すためにドリンクバーの薄いコーラを一口飲んでから続きを話す。
「今まで何となく、変だなとは思ってた。あんまり普通のことじゃないよな、と。だけど今こうして自分で話してみて異常な状況だと再確認できた。……何かあるなら話してほしい。正直、いまは不信感が強い」
しん、と陽馬の長台詞が終わり、昼のファミリーレストランの異様な静けさが際立つ。
おずおずと、すず子が手を上げる。
「あの、竜崎くん。……少し話して来てもいいかしら?」
「もちろん、どうぞ」
「山田さん、ちょっとよく話さない? ここは、もう間違えられないところまできてるわよ」
「ああもう! なんでアタシが異教徒なんかと……」舌打ちしつつも席を立ったやま子。
四人の中ではある程度の共通認識があるのだろう。誰が誰を呼ぶことなくテーブルから離れ、六人が掛けていたボックス席は陽馬と巳月だけになった。
陽馬たち以外に客のいない店内は距離をとるには好都合だった。やま子とすず子が言い合っている風景は見えるが何を話しているかまでは分からない。なんとも言えないじっとりとした緊張感がついて回る待ち時間だ。
沈黙に負けてか、巳月が「怒ってる?」と聞いてきた。
怒っていないことはないのだが、今の長い台詞回しに気力をだいぶ持っていかれていた。
「ま、いいよ。お前、俺のこと大好きだもんな~」とおどければ「バカ! 死ね!」と、まあまあの速度で裏拳が飛んでくる。
こういう時、陽馬は武道を習っていて良かったと感じる。
物の見事に受けきると「防御すんな! 気を付けしてよ気を付け! 直立不動!」言われた通りにピーンと気を付けするが直前でやっぱり防御するので更なる怒りを買うのだった。
そのままじゃれ合うこと数分、話がまとまったらしい四人がテーブルに帰ってきた。
先ほどと同じ配置で座り直し、まずは、すず子が口を開く。
「話し合った結果、全て伝えることにしたけど……。たぶん物凄く信じられない話をすることになる。質問は受け付けるけど、一旦は話を聞いてくれるかしら?」
「わかった」
陽馬が静かに了承した。