雨宮先輩別れたらしいよ。
「雨宮先輩彼氏と別れたみたい」
クラスで話題になっている噂を耳にしたとき、アタシはチャンスだと思った。
半年前からずっと憧れていて、大好きな雨宮ありす先輩。
アタシの通っているのは女子高で、雨宮先輩は男の子が好きで。
それもつい最近まで付き合っていたことは知っていたけれど。
恋心を諦められない。
アタシは誰がなんと言おうと先輩が好きだ。
両想いにはならないかもしれないけれど、せめて想いは伝えたい。
そんなことを考えながら、でも中々実行に移すことができなくて悶々としていたけれど、今ならできる。
卑怯かもしれないという気持ちは心の奥底にはあるけれど、このチャンスを逃したら二度と告白できないかもしれないから。
階段を上がって二年生の教室に行って、先輩を呼び出した。
「初めまして。私に何か用かしら?」
綺麗に手入れされた長い黒髪に透き通るような白い肌。
手足の長い先輩はチビのアタシと比べるとやっぱり長身だ。
それでも浮かべている微笑みはとても優しくて。突然の呼び出しなのに、怒っている素振りは全然ない。
アタシは意を決して先輩と顔を合わせて想いを口にした。
「一年の二階堂なつです! ずっと前から先輩のことが好きです! あの、もし良かったらアタシと――」
途中まで言ったところで先輩は「ふふっ」と笑ってから、アタシの耳元に顔を近づけて、鈴のような声でささやいた。
「二階堂さん。よろしければでいいのだけれど、明日私と付き合ってくれない?」
これってもしかして、デートの誘い?
「はい、大丈夫です!」
「ありがとう。それじゃあ、明日の朝10時に、ドーナツ屋さんの前で待ち合わせ、ね」
先輩は完ぺきなウィンクを見せて、軽く手を振ってから教室に入っていく。
さりげない動作ひとつとっても優雅で、ますます憧れちゃう。
教室に戻ってから頬をつねってみたけれど、痛みを感じるから、やっぱりこれって現実? 夢じゃない、よね。
ずっと大好きだった先輩とデート(?)ができる。
これだけで、アタシは世界一の幸せ者だと確信できた。
翌日。先輩のデートに備えてばっちり気合を入れてメイクしてから、待ち合わせ場所に向かう。
予定より少し早めについてしまったけれど、そこはスマホで時間を潰せるから問題ない。
しばらくの間スマホを操作していると、集合時間ぴったりに先輩の声が聞こえた。
「二階堂さん。お待たせ」
先輩は来てくれた。昨日の約束は先輩なりの冗談で、何時間待っても来なかったらどうしようと思ったこともあったけど、先輩は本当に約束を守ってくれた。
疑ってごめんなさい。心の中で謝りながら声のした方向を見て、息を飲んだ。
つばの広い白い帽子に同じ色のワンピース、大きなポニーテールが風に揺れて、まるでザ・お嬢様って雰囲気の先輩に、やっぱり育ちが違うのかなと思った。
普段学校で見る制服姿も素敵だけれど、こうして私服でいる姿を見るのはやっぱり新鮮で、雪のように白い肌と服装の相性は抜群で、西洋のお人形さんみたいだ。
「それじゃあ、行きましょうか」
「は、はいっ!」
先輩に促されて、思わず手を取ってしまう。
指が長くて綺麗で、ほんの少し冷たい。体温が低いのかな、なんて思っていると優しくエスコートしてもらって、気づいたらふたりでドーナツ屋さんに入っていた。
このドーナツ屋さんは学校の近くにあって値段も手ごろで味も良いので、アタシもよく利用させてもらっている。いや、よくというレベルではなく、ほぼ毎日といった方が正確なのかもしれない。
店内に入ると漂ってくる焼きたての香りに思わずうっとりとなる。
やっぱりドーナツっていいなぁ。名前が二階堂なつのせいなのかはわからないけれど、アタシは小さいころからドーナツが好きだ。
こんがりきつね色に焼けた丸い形を見ているだけで1日が元気になる。
ましてや今日は憧れの先輩と一緒に来られたのだから、それだけで天国にいるような気分だ。
アタシは王道のプレーンドーナツにストロベリードーナツ、シロップがけドーナツとコーラを先輩はチョコレートドーナツ、ビターチョコレートドーナツとお冷を注文してから席につく。
ふたり用の席で向かい合って座っているだけでも緊張と興奮で心臓が口から飛び出してしまいそう。
先輩は背筋を真っすぐに伸ばした行儀のよい姿勢で座り、癖で猫背になってしまうアタシの座り方を気にすることなく、口を開いた。
「今日は付き合ってくれてありがとう。急な誘いで迷惑じゃなかった?」
「いいえ。最高です! 先輩と一緒にいるだけで!」
「フフッ、ありがとう。あと、上級生だからってそんなに気を使わないでも大丈夫よ。タメ口でOKだから。敬語、疲れるでしょう?」
「めっちゃ疲れる!」
正直、先輩と一緒だからってのもあるけど、慣れない敬語を使うのは疲れる。
アタシは誰に対してもタメ口で話すけど、先輩の言葉遣いを聞いていたら、それなりにお行儀よくしていないといけないのかなって気を張っていたけど、助かった。
部活とかをしていると学年が違うってだけでやたら敬語を強要して威圧してくる先輩とかいるけれど、ああいうのはマジで無理。何様のつもりかっての。
「わかるわ。権力を振りかざす人は自分に自信がないからそうするの。覚えておいて損はないわ」
「役に立つ知識ってやつだね。勉強になる!」
「ところで……二階堂さんは私のどこが好きになったのかしら?」
少し試すような表情と口ぶりから一瞬だけ怯んじゃったけど、好きな人に好きなところを聞かれて答えられないようじゃ、あんまりその人のことを好きじゃないってことにもなるから、アタシは遠慮なく言った。
「やっぱり動作がスゲーお嬢様って感じで洗練されているし、外見もめっちゃ綺麗だし、誰に対しても優しくて……頭のてっぺんから足の先まで全部好き、みたいな」
言ってから後悔する。
いきなりこんな気持ち悪い発言したら誰だってドン引きするよね。
ああ、までお店について10分も経っていないのに早くもデート終わりそう。
両肩から力が抜けていって、今のアタシは空気が外から出ていく風船みたいにしぼんじゃいそう。
「お待たせいたしました~!」
気が利いているのかいないのか店員さんがドーナツを運んできた。
重い空気が少しだけ払拭されたような感じがするのは嬉しいけど、正直もう先輩と何を話してもすれ違いが起きそうな気がする……
「ねえ、二階堂さん」
「ひゃ、ひゃいっ⁉」
突然声をかけられて舌を噛む。
「口を開けてくれないかしら?」
先輩はチョコレートドーナツをちぎって、欠片をつまむと私の口元へ差し出す。
「はい、あーん」
「あーんっ」
反射的に食べてしまったけれど、先輩、こんなことしちゃっていいの⁉
なんだかすごく積極的に見えるんだけど。
どうしよう、すごく幸せ……
えっと、先輩の好意に答えるにはどうすればいいのか。
アタシのちょっとだけしわが少ないだろう脳みそを使って導き出された回答は。
「先輩、あーん」
「あーんっ」
はむって音と同時に指先がちょっとだけ痛む。
「ちょっと先輩、指嚙んでる!」
「あらごめんなさい。あんまりドーナツが美味しいものだから、つい」
いや、ついってレベルじゃないと思うけど。
白い歯先が指に当たった瞬間、ちょっとだけイケナイ感じがしたけれど。
これはこれで嬉しい。
お互いのドーナツを分け合いっこして、飲み物を飲んだら。
お腹も心も満たされて超幸せ。
会計を済ませて外に出ると、黒い雲がかかっていた――と思ったら。
いきなり土砂降りになった。今日は降水確率20%のはずなのに。
どうしよう、傘持ってきていなかったのに。
隣に並んで立っている先輩は雨のせいなのか、少し沈んでいるようにも見えて。
深いため息を吐き出した。
「……二階堂さん。今日は本当にありがとう。そして、あなたに謝らないといけないわ」
「どうして? 楽しかったのに」
「せっかくの気持ちに水を差すようで申し訳ないのだけど、言わせて。
私、あなたを利用してた。
ちょっと前に付き合っていた男の子と喧嘩して別れてしまってね。落ち込んでいたの。
それで、あなたの誘いが来たから、一緒に遊べたら気分転換になるだろうなって思って、誘ったの。
あなたは私を好きでいて、勇気を振り絞って告白したのに、付き合う勇気もない癖に、あなたの純粋な気持ちを自分の気晴らしにするなんて、最低よね、私……」
雨に濡れる先輩の大きな瞳からは涙がこぼれて、嗚咽していた。
アタシはなんて言葉をかけたらいいのかわからなかったったから、先輩をギュって抱きしめた。
そんなことない。短い時間だったけれど、最高に楽しかったよって思いを込めて。
それが伝わったのかはわからないけど、頭を撫でる先輩の手つきはすごく優しかった。
おしまい。