とある男の半生
小説を書き始めて一か月たったので自分なりの課題をもって短い話を書く練習をすることにしました。
ストーリーを出来るだけ手短に語り切ることを目標に書いていきます。
ここへ来てもう10年になる。
見渡す農地には強烈な日差しのもと、そのエネルギーを吸い上げ力強く育った作物の緑色が地平線の向こうまで続いている。
地べたに腰を下ろし、昼食のサンドイッチを齧りながら俺は自分の半生を振り返っていた。
習慣のようなものだ。
思い出すようなことなど殆ど無い、これを食べきる頃には語り終えられるほど薄く長い人生を続けてきた俺にもたった一つだけ、他人の興味を引けるような不思議な体験がある。
それでさえドラマチックだとはとても言えないものだが、体を動かさずにぼうっとしているといつも判を押したように同じ場面が頭に思い浮かぶ。
それは10年前の奇跡体験だ。
その日、開店直後のコーヒーショップで朝食をとった俺は二杯目のアメリカンを受け取ってすぐに会社へ向かって車を走らせた。
カップから消毒液の臭いがしたことにイラつきながらも、これから始まる憂鬱な一日を思えば些末なことだ。
手違いによって発生した納期遅れ、その謝罪と期日のすり合わせのために取引先へ向かわねばならない。
いつもより早く出社し、余計な時間を使う分帰宅時間も遅くなる。
毎日のルーティーンに差し挟まれるトラブルへの対応は生きる気力を削り取っていく。
何もなくたって日々心をすり減らしているというのに、暗闇の中わずかに差し込む光まで奪われてしまえばそこに残るのは絶望しかない。
何も無くなるまで容赦なく奪われていく、そんな風に感じていた。
不眠が続いていた。
原因は分かりきっている。
例えばそれは上司の存在だ。
ソイツは誰かが成し得たことは誰にでも簡単に再現可能だと考えているようだった。
それが優れた知性や適切な投資、そうして育まれたモチベーションによって達成された事業だなどという分析には全く興味がないという素振りを見せていた。
何故出来ないのか。
何かを考えているようで全く何も考えていない馬鹿げた思考を恥ずかしげもなく口にする。
出来損ないのAIでさえもう少しマシな回答をするだろう、まるでSF映画だ。
ロボットが同じ言葉を繰り返すことで壊れてしまったのだということを示すように、上司もまたそうして壊れてしまったのだということを表現しているように思えた。
その異常さに辟易した同僚や先輩は時が経つほどにその数を減らしていった。
減っていく人員を補うために多くの後輩が入社してきた。
最初こそ人間らしく振舞っていた彼等は他の者がそうであるように、やがて自分の考えを言葉にすることをやめた。
堅苦しく、時にフランクだった語彙は次第に同じようなものばかりに定着していき、見飽きてしまったシーンを延々繰り返す演劇ロボットのようになった。
そうした後輩は三年もすればいなくなり、また新たに入社して来ては同じことを繰り返した。
俺が彼らと違っていたのは、そうしたバカバカしさへの耐性が強くあったことだろう。
彼らの心が数年で削り切られてしまうのに対して、10年を経ても俺にはまだ出社する気力があった。
それは決して宝石に例えられるような心の強さではなかったが、純然たる事実として病に心を冒されることなく過ごしてきた。
だが、それにも限界が見え始めている。
不眠を訴え医者にかかったところ、強いストレスが原因であるとの診断を受けた。
病名こそなかったものの、それは今の生活を続けていくことを肯定することは出来ないという専門家の判断だ。
軽度であれば誰も彼もに同じような診断をしているのだろうが、自分の持つ耐性が完全なものではなかったという事実を告げられると残念なような、反面ホッとするかのような複雑な心境だったことを覚えている。
近年は健康診断の結果も数値が異常を示し始めていたが、改善しようという強い意思はない。
壊れたらそこまでの人生だったと思えばいいのではないか、そんな風にさえ考えたものだ。
話を戻そう。
出社するとそこにはすでに上司の姿があった。
事の次第は前日から伝わっているのでこれから向かうと伝えて会社を出る。
付近のインターから高速道路に乗り、すっかりぬるくなってしまったコーヒーを啜りながら道を急ぐ。
走っているのはトラックばかり、追走していては遅すぎる。
眠れず、疲れを癒す術を失った体を心地よい走りに委ねるのは危険だ。
適度な緊張感を維持するためにも飛ばす必要があった。
眠気というものは適切に解消できないと不適切な場面にばかりやってくる。
気を付けなければならないし、その管理には自信がある。
だからそこで事故を起こしたのは居眠りが原因などではない。
急な車線変更を行ったトラックを避けようとして、ハンドルを切りすぎてしまった。
急ブレーキで制御を失った車体はトラックに衝突し、回転して空を舞い、上下逆さまに着地した。
薄れていく意識の中で、腹部に突き刺さった何かとそこから染み出す血液の赤さだけが強烈に記憶された。
そしてここで終わるのだと、何の感情もなく受け入れた。
ベッドの上で目を覚ました。
救助されたのかと周りを見渡してみると、古びた木造の建物の中だということが分かる。
同じようなベッドが並んではいるが、そこが病室だとは思えなかった。
それらしく感じられはするものの、清潔さにおいて完全に前時代的だったからだ。
室内は白か緑、あるいは薄いピンク色であるべきなのだ、病院は。
それを茶色一色の木造とは、現存しているのか怪しいほどレトロなのだ。
そんな現代においてあり得ざる様相を呈する病室に寝かされていたのには理由がある。
体を起こし、腹部にあるはずだった傷跡がないことに驚く俺の前に一人の男が現れた。
タッカーと名乗った男はこの辺りの広大な農園を取り仕切る地主のようなものだと自身の身分を説明した。
そして俺が転生者、あるいは転移者と呼ばれるものであり、これまで生きてきた世界とは全く異なる世界に生まれ変わってしまったということも。
驚きが無かったと言えば嘘になる。
だが自分の死ですらあっさりと受け入れてしまえたのだ、その時の精神状態は男の言葉を諾々と聞き入れることも容易だった。
俺はタッカーの農場に労働者として引き取られることになった。
生活基盤もなくいきなり異世界に放り込まれた転生者は特に事情が無い限り、最初に現れた土地の権力者が面倒を見るものらしい。
どうやら人権云々といったものが通じない文明の低い世界のようだったが、果たしてそれは元の世界でも大した違いはなかったように思う。
そればかりかこの世界に準じた倫理観を正しく守って生きようとするタッカーの行いは現代を生きていた頃の自分よりも優れたものであるようにすら感じられる。
新たに産み落とされた地を当たりハズレで評価するのならば間違いなく大当たりと言えるだろう。
科学的な発展がほとんど見られない貧しい世界で、俺は現代の価値観においても十二分に人道的と言える支援を受けて新たな生活をスタートさせた。
農園の仕事は楽なものだった。
それは俺が転生者であるからだ。
木の股から生まれたような、この世界にルーツをもたない生物である転生者はその特異性から来るものなのか、肉体的な強靭さが元とは段違いに上がっている。
もっともそれは人間離れした怪物のような力ではなく、感覚的な言い方をすると子供の集団に一人だけ成人男性が混ざっているようなもので、超人的と言えなくもないが素手で鉄を曲げるようなことは出来ない程度。
あらゆるものが軽く、脆く感じる。
妙な感覚だったが数か月もすれば慣れた。
そんなことだから仕事では重用され、周りの人間からも頼りにされた。
出世というものが無く、しかし給金はしっかり差を付けているようで、正確な額は明かされないまでも『お前には他より多く支払っている』というようなことは聞かされた。
それが必ずしも真実とは言えないのは現代社会でもこの世界でも同様である。
タッカーが人格者であるということに疑いはないが、権力者の言葉が眉唾であることは不変の真理だ。
他の労働者の暮らしぶりを見てみればすぐに分かる事だ。
俺の給金は他と比べて同程度かやや少ないくらいなのだと。
それでも順風満帆と言えた。
日々の暮らしに困るようなことも無く、僅かながらも蓄えが出来ていっている。
俺はこの世界で真っ当に生き、真っ当に死ぬことが出来るだろう。
たった一つだけ問題があるとすれば、それはこちらの世界に来ても依然続いている不眠くらいのものだろう。
楽な仕事、平凡ながら穏やかな暮らし、これといったストレスの要因は見当たらない。
生活が楽な事が逆に症状を悪化させたのかもしれない。
昼間は肉体労働に従事しているというのに体の疲れを全く感じることなく、以前は体が疲れ切ったら気絶するような形で眠ることも出来ていたのだがそれもなくなった。
そのせいか平時の意識レベルが一段階落ちてしまったような状態になることもあり、誰かに話しかけられても肩を叩かれるまで気づけないといったようなことが何度もあった。
さほど深刻ではないとはいえ、出来ることなら夜は眠っていたかった。
目を閉じ横になって、眠ったのかどうか曖昧にまどろんでいるうちに朝日が昇り始める。
それで体は休まっていても、きっと脳が休んだことを認識していないのだろうと思った。
長い一日がいつまでも終わらないような錯覚を起こしているのではないだろうかと。
しかし改善しようにもこちらの世界には精神医療という概念は無いから薬でどうにかすることも出来ない。
悩んだ末に思いついたのはこの世界にもあるもので代用すること、百薬の長と言われる酒の力を借りることだ。
しばらくはそれで効果があった。
だがそれも長くは続けられそうにない。
眠るためには酔いつぶれるほどの無必要があり、それには随分と金がかかる。
話によるとここらで手に入る酒は街へ出て売りに行くような上等なものであり、寝酒にするのは贅沢すぎるのだそうだ。
街へ出て酒場にでも行けば酔っぱらうことだけを考えて作ったような酒が飲めるだろう。
もっとキツイ仕事を言いつけてもらって構わないから給金を上げてもらえないかと頼みに行った俺に、タッカーはそんな代案を示した。
それからの俺は週に一度、街に繰り出して朝から晩まで酒を浴びぐっすりと眠る夜を楽しみに生きている。
僅かに上がった給金でそのような生活をしていては蓄えなど出来はしないが、それでもよかった。
生きていく上での全ての問題が片付いたような安堵が、いつか必ず破滅する生き方を肯定した。
それでいいのだ。
そうやって10年の月日を生きてきた。
サンドイッチを食べ終えた。
こうして過去を振り返っているのは、酒場で隣り合う誰ともつかない酔っ払いに聞かせる時の練習のようなものだ。
自分の身の上話を面白可笑しく語って楽しませられれば時折奢ってもらえる。
酒の飲みっぷりが良ければそれだけで気を良くする奴だっている。
これは今の生活を出来るだけ長く維持するための努力なのだ。
壊れたらそこまでの人生だったと思えばいいのではないか。
今また、かつての人生と同じような考えが頭の中にある。
どうしたって俺はそういう生き方になるものなのだろう。
仕事に戻るために立ち上がり、足元をふらつかせながら馬小屋に向かう。
荷物を馬車に乗せ終えればあとは街へ向かうだけだ。
ぐっすりと眠れる夜がやってくる。
それだけが希望の光だった。
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