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第44話 おまけ(後日談2)


「おかしいな?」


 僕がいくらジェシカさんの部屋のドアを叩いても、ぜんぜん反応がなかった。こんな遅い時刻に彼女が外出しているはずがないし、僕はすこし心配になってドアのノブに手をかけた。


「開いてる!?」


 僕は勝手に誰かの部屋に入るのはよくないとは思ったけど、気がつくと中にすべりこんでドアを閉めていた。

 灯りをつけて内鍵をかけてから、僕は部屋を見まわした。ここは彼女にあてがわれた2階の洋室だった。やっぱり室内は完全に無人で、あの華やかなジェシカさんの部屋とは思えないくらい質素かつ乱雑なのは相変わらずだった。


 それほど広くはない部屋で、僕は彼女のベッドに近づいた。そんなところに彼女がいるわけがないけど、僕はふとんをめくってみた。ふんわりと良い香りがしたけど、やはり彼女はいなくてベッドは冷たかった。


 僕は自分でも驚くくらいに落胆していた。ベッドの端に腰かけて、僕は肩を落とした。うすく残る彼女の香りをいくら吸いこんだって、なんだかむなしくなるだけだった。


「ジェシカさん、どこに行っちゃったんだろう?」


 僕はふと、なぜかもう彼女には会えないかもしれないような気がしてひどく不安になった。その不安はどんどん僕のおなかの中で大きくなって、黒いかたまりが内臓を沈めるような感覚に僕は襲われた。

 ひどく悲しくて涙が出そうになり、僕はうつむいてしまった。


 その時、僕はベッドの上に封筒があることに気がついた。慌ててそれを拾いあげると、それは手紙のようだった。


「店主殿へ…って、ジェシカさんからだ!」


 僕は焦りながら封をきり、便箋を広げた。まるで小さな子どもが書いたようなひらがなばかりの文章は読みにくかったけど、僕は食いいるようにして手紙を読みはじめた。



『愛する店主殿へ…。ぷふっ。いや、すまない。書いていて自分でおかしくなってしまった。私も店主殿もこういうのは苦手だったな。だから、簡潔に書こう。私はここを出ていく。行き先は書かないし、探さないでほしい。出ていく理由も書かないが、それをいちばんよくわかっているのは店主殿だろう。


 私は店主殿にとって特別な存在になりたかった。ただそれだけのことがどんなに難しいことなのか、この100年で初めて私は思い知った。店主殿もご存知のとおり、私はありとあらゆる手段で店主殿を誘惑した。


 だがそれは、店主殿の心の核心には触れることさえかなわず、かえって私から遠ざかるばかりだった。考えても考えても、私にはわからなかった。なぜ私のように誰よりも美しく、誰よりも優しく、誰よりも強い者が店主殿ひとりを手に入れられないのかという理由を。


 既に店主殿の心にはあのキリニワカリンという下品な者がいたからか?

 いや、私はそうは思いたくないし、あの者に負けたとは決して思わない。原因が全てにおいて素晴らしいこの私ではなく、あのキリニワカリンでもないとすれば答えはひとつだ。

 

 そう、原因は店主殿だ。


 店主殿に意気地がなくて優柔不断で、優しいようで思いやりなど全くなくて、私の身も心も受け入れる勇気もないのに優しくなどして、ユリ殿の胸ばかり見おって、それならば最初から私に優しくなどしてほしくはなかった。

 

 だから、私は店主殿のことなど大嫌いだ。


 もう顔も見たくない。


 私はもう2度と店主殿と会うことはないだろう。言っておくが、追いかけてもムダだ。たとえキリニワカリンでも追跡は不可能だ。もっとも、私がいなくなっていちばん喜ぶのはあの下品な人間の女だろうがな。


 …と、ここまで書いてきて、私は無性に腹がたってきたし、なんだか泣きたくなってきた。おかしなことだ、ここ100年の間、本気で泣く事などなかった私なのだが。


 思えばあの時、私が店主殿に出会い、声をかけられた時から私の心は店主殿にとらわれていたのだろうな。あの時の店主殿の優しい微笑みと言葉を私は一生忘れることはない。


 では、このあたりで筆を置こう。これ以上は涙で手紙も書けぬからな。


 元気でな、店主殿。



 追伸


 忘れていた。ユリ殿のことをよろしく頼む。くれぐれもあの胸に惑わされぬように。人の価値は胸の大きさだけで決まるものではないぞ。

 

 では、本当にここで筆をおく。


 さらばだ。

 店主殿。



 …アオイ、私は貴方が大好きだったぞ。』




 手紙を読みすすめるほどに、僕の手は自然にぶるぶると震えた。読み終えてからの僕はもう完全に放心状態で、何が起きたのかすぐには理解できなかった。内容が変わるはずもないのに、手紙を何度も何度も読み返してから立ちあがろうとして、足腰に力が入らず僕はそのままベッドに倒れこんでしまった。

 また僕の鼻腔に、ジェシカさんのほのかな残り香がふんわりと入ってきた。



「そんな…ジェシカさん…。」



 人は悲しすぎると、涙なんか出ないということを僕はいま初めて知った。もう2度と彼女に会えないという事実だけが僕に重くのしかかり、戸惑いや怒りや悲しみやあらゆる感情がいっぺんに押し寄せてきた。



「いやだ…。そんなの、いやだ…。」



 会いたい。


 ジェシカさんに会いたい。



 僕は彼女に会って謝りたかった。

 そして伝えたかった。



「ジェシカさん…。」


 僕のために命がけで戦ってくれたようなジェシカさんの優しさに僕は甘えすぎていたのだ。そして彼女の真心気づかないふりをして、ずっと僕は彼女を傷つけていたのだ。

 ようやくこのとき、僕の目から大量の涙があふれ出し、とどまることを知らなかった。


「ジェシカさん…ごめんなさい。会いたいよ…。すごく会いたい。会って、伝えたい。僕は…僕はジェシカさんを…。」


 僕は立ちあがり、大声で天井に向かって叫んだ。


「愛していました! 大好きでした!」




 空間がゆれた。



 次の瞬間、僕は何者かにものすごい力でベッドにうつ伏せに押さえつけられていた。全力で抵抗しても、まるで熊にでも踏まれているみたいにびくともしなかった。


「強盗!?」


 僕は戸締りをしたはずだったけど、誰かに背後から襲撃されていたのだった。じんわりと全身から冷や汗が吹き出してきたけど、僕の汗のにおいに混じってなにやら別の香りがした。


「…ジェシカさん?」


「店主殿。ぷふっ、あいかわらず隙だらけだな。」


 信じられないことに、僕をおさえこんでいる相手の声はジェシカさんに間違いなかった。僕は訳がわからなかったけど、なんとか頭の中を整理してから声をしぼりだした。


「ジェシカさん…あの手紙は…?」


「ああ、あれか。ヒマだから文字の練習にと思って書いてみたのだ。よく書けているだろう。」


「ジェシカさん…ひどいよ…。」


 僕の抗議に、ジェシカさんはさらに強く締めつけることで返してきた。


「あいたたたた、いたい! いたいよ、ジェシカさん! いたいってば!」


「ひどいのは店主殿であろう。私の部屋に勝手に入り、しかも手紙を盗み読むとはな。これはきつい制裁が必要だな。」


「罠じゃないか、こんなの!」


 背後から舌なめずりの音がして、おじけ付いた僕は2回目の抗議をしたが、彼女は力をゆるめるどころか冷たい手を僕の服の中にいれてきた。


「や、やめてってば! ジェシカさん! あはは、くすぐったい! あはは!」


「制裁が必要と申したであろう。さわぐな。」


 うつ伏せだからわからないけど、おそらくジェシカさんは何も衣服を身につけていない感触だった。彼女の手はどんどん下に下がっていって、ついには危険領域にまで肉薄してきた。


「や、やめて! お願いだからそれだけはやめてほしい…。」


「ほう。それとはなんのことだ? 言ってみよ、店主殿。はっきりと言えばやめてやろう。」


 僕は恥ずかしさでいっぱいになり、息も絶えだえだったけど力を振り絞って抗議を続けた。


「…僕、今日は忙しくてまだお風呂に入っていないんだ。だから…。」


「だからなんだ? それはそれでよいではないか。」


 どうやらもう、ジェシカさんは常軌を逸している様子だった。その原因は他ならぬ僕だったのだ。そう、僕がさっき絶叫したから…。



 ジェシカさんの手はとまる気配はなく、僕は(ムダだけど)全力で抵抗するか、もう彼女に身を委ねるかの選択に迫られていた。

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