初めてのシャワーと食事
イザーク様の体や髪からは、ポタポタと水滴が垂れている。
シャワーで暖まった身体は、ほんのりと赤みが差して、濡れて乱れた髪からもフェロモンがダダもれている。
「マキ、こんなに素晴らしい経験は初めてだよ!」
ガタッと音がした後ろを見ると、優斗が目を見開いて後ずさりしている。
「真紀は......もうこんな男と同棲して......浮気者!」
「優斗にだけは言われたくないわ! さあ、もう帰って! もう二度と会わないから!」
私はバタンとドアを閉めて、カギをかける。
足早に廊下を遠ざかる足音が聞こえる。
私は、ふうっとため息をつく。
優斗は、イザーク様が私の恋人だと誤解したに違いない。
打ちのめされた顔をしていた。
私は、ふふふ、と笑ってしまう。
「マキ、いつまでも暖かい水が出続けるなんて、マキは偉大な魔法使いに違いない。しかもとろっとした石鹸がとても良い匂いだ」
「魔法とは違いますけど......それよりも早くバスローブを着てください! 目の毒ですから!」
私は、イザーク様にバスローブを押し付ける。
私のバスローブでは、イザーク様の腰辺りまでの丈しかないけれど、バスタオル一枚よりはましだ。
ドライヤーを持ってきて、私はイザーク様の髪を乾かす。
「この熱い風はマキが作り出しているの? やっぱりマキは魔法使いだ」
「違います!」
説明は後だ。
イザーク様の洗濯物はまだ乾いていないから、服を買ってこなければならないだろう。
実は、洗濯した服を広げてみたら、色落ちして、少し縮んでしまったようだ。
袖がたっぷりとしたブカブカのシャツと、長いスカートのような服なので、少々縮んでも着られそうだけれど、色落ちして黒ではなく、グレーになってしまった。
「洗濯したイザーク様の服が乾いていないので、この世界の服を買ってきます。色とか形とか、ご希望はありますか?」
イザーク様は、私を上から下まで見回す。
そんなにじっと見ないでほしい。
「千年も経つと、服の形はだいぶ違っているようだな。マキが良いと思う服を注文しなさい」
「わかりました。後で買いに行きます」
「費用がかかるだろう? これを使うのだ」
イザーク様は、首にかけていた重そうな首飾りを取り外す。
一目で高そうな宝石が付いていて、鎖は金に違いない。
「いいえ、そんな高価な物はいただけません......安い普段着を買いますから」
「そうか、迷惑をかけて済まないな......迷惑ついでに言うのだが、何か食べるものも買ってきてくれないか」
「あ、お腹がすいているのですね、それじゃ、あるもので何か作ります」
私は冷蔵庫を開けて、ハムとマヨネーズを使った簡単なサンドイッチを作る。
一応洋風を意識したのだ。
お湯を沸かして、粉末のコーンスープをマグカップに入れる。
イザーク様は、興味深そうに私の手元を見ている。
私は聞かれる前に答える。
「魔法とは関係ありませんから」
イザーク様はサンドイッチを一口頬張ると、驚いたように固まった。
そして、あっという間に一個を食べ切る。
「マキ、こんなに美味しい食べ物は初めてだ! 何を使った? やっぱり」
「魔法使いではありません」
イザーク様は、コーンスープも目を細めてゆっくりと飲む。
「マキ、これも旨いな......」
こんな食事で喜んでもらえて、何だか申し訳ない。
イザーク様がもっと食べたそうにしているので、砂糖と牛乳と塩を少し入れた半熟のスクランブルエッグを作って、マヨネーズを塗ったパンに挟む。
イザーク様の目が、期待にキラキラと輝いている。
卵サンドイッチを渡すと、イザーク様は大きく口を開けてサンドイッチに噛み付く。
そして、目を閉じて咀嚼する。
「マキ......マキ......素晴らしいね!」
「お気に召していただけて、なによりでございます」
「これを食べただけで、千年も封印されたかいがあった」
私はデザートに、バナナと冷凍庫に入っていた百円のアイスクリームを出す。
「マキ、今までこんなに旨いものは食べたことがなかった......マキは毎日こんな食事をしているのか?」
「はい、そうですね......でも、これは普通の食事です」
普通よりも質素なと、言っても良いだろう。
イザーク様は、砂糖をたっぷり入れた紅茶を味わって飲んでいる。
十個で三百円の、ティーバッグの紅茶ですが、それは。
私はテレビをつけて、イザーク様にリモコンの使い方を教える。
イザーク様がテレビを見ている間に、私はイザーク様の服と今夜からの食材を買いに出かける。
市の中心部にある衣類の量販店で、イザーク様の服を選ぶ。
ごく一般的なTシャツとトランクスと靴下、生地の伸びる綿パンツと綿のシャツを買う。
今は暑い時期なので、靴は大きめのサンダルだ。
靴だけは、イザーク様に履かせてみないと買えない。
全部合わせても、一万円以内に収まった。
本当に安い服なので、イザーク様は気に入らないかもしれないが、仕方ない。
駅前のスーパーで食材も買う。
輸入牛肉が特売になっていて、更に三割引きのシールが付いている。
大蒜と玉ねぎで風味をつけて焼けば、和牛じゃなくても大丈夫だろう。
私は、あれこれとメニューを考えて食材を選ぶ。
イザーク様の千年の封印がやっと解けたのだから、今夜はお祝いだ。
そして私は、安い赤ワインも一本買った。
本場のワインを飲み慣れている人にとっては、物足りない味かもしれない。
たくさんの荷物を両手に抱えて、私は部屋に帰る。
そっとドアを開けると、テレビの音はしない。
玄関のすぐ隣の台所に荷物をおいて、奥の部屋に入ると、イザーク様は私のベッドで眠っていた。
薄暗くなった部屋の中で、電気もつけず、すうすうと寝息を立てて気持ち良さそうに目を閉じている。
私はベッドの横に座って、イザーク様のお顔を眺める。
なんて美しいのだろう!
目を閉じているので、特徴的なオッドアイが見えず、神秘的で怖いほどの美しさではないけれど、絵に描いたように整った顔だ。
私が惚れ惚れと眺めていると、イザーク様がパチッと目を開けた。
「マキ、おはようのキスは?」
私は赤くなって、いつもの『残念ながら』が言えなかった。