イザーク様とマキシミリア様
私とアラルカン大魔王様の、奇妙な同居生活が始まった。
最初は戸惑ったものの、数日経つと慣れてしまうのが我ながら恐ろしい。
箱にはハンドタオルを被せているので、床にティッシュの箱が置いてあるようにしか見えない。
私が声掛けすると箱のスイッチが入って、大魔王様と会話ができる仕組みらしい。
これも私に好都合だ。
話したくない時は黙っていれば良い。
「おはようございます、大魔王様」
朝起きると、私は魔王様に挨拶をする。
「おはよう、朝になったのだな。おはようのキスはしないのか?」
「残念ながら」
「そうか......残念だ」
魔王様のがっかりした声を聞くと、つい同情してしまいそうだ。
いかん、いかん。
「それでは、仕事に出かけてきます。今夜は友達と会食するので遅くなります」
「あぁ、夜会に出かけるのだな、できるだけ早く帰ってくるのだぞ」
私の教育が効いたのか、魔王様は最初のころの無礼な命令がなくなって、紳士的にしゃべるようになってきた。
怒鳴られなくなると、私も平静な気持ちでいられる。
仕事が終わると、仕事仲間の綾香とイタリアンのお店に出かける。
「おつかれさま〜」
「おつかれで~す」
二人でワインで乾杯する。
私も綾香もあまりお酒は強くないので、最初のワイン一杯でいい気分になれるのだ。
「最近、真紀は元気そうだけど、何か良いことでもあった? 新しい彼でも見つかった?」
綾香は私と同じ歳で、私が優斗と別れた事情も知っている。
綾香も去年、長く付き合っていた彼と別れている。
「いや、見つかるわけないよ、コールセンターじゃ出会いも無いもの」
「まあ、そうだよね、今日も酷いクレーマーと当たってさぁ、グチグチと三十分も文句言われっ放しだったんだ」
「お疲れさまです! ほんとクレームは辛いよね!」
私はつい、魔王様を思い出す。
いやいや、あれは『出会い』とは言わないから。
むしろ『キスをせがむクレーマー』に近いかもしれない。
「三十までは、『まだ一年もある』と考えることにしたんだ。とにかく前向きに、出会いを探すことにした」
「だったら、女子会なんかしてないで、コンパにすれば良かったね」
「お互い縁遠いのは、言ってるだけで行動しない所かなぁ」
「でも、真紀が、すっかり気持ちを切り替えられたみたいで良かったわ〜」
「うん、もう全然思い出しもしなくなった!」
部屋で暇になると、魔王様とおしゃべりをするせいか、最近は優斗を思い出さなくなった。
魔王様は聞けばなんでも教えてくれるので、魔王様の国の王様と王妃様の力関係とか、妙な部分に詳しくなってしまった。
綾香と楽しく食事をして、家に戻る。
私は、そのままの気分で魔王様に話しかける。
「ただいま~、ああ、楽しかった!」
「『ただいま戻りました』と言いなさい。でも、楽しい夜会だったようだな」
たぶん、魔王様が想像する夜会とは全然違っていると思いますが。
「仲の良い友達と、あれこれおしゃべりをするのが楽しいんです」
「俺との会話も楽しいのか?」
あれ? 『俺様』から『俺』になりましたね?
「ええ、楽しいです。話題が現実離れしているから、気分転換になります」
「気分転換、か。俺は千年も話し相手がいなかったから、話せるだけで良いぞ......最初はようやく封印が解けると喜んで、焦って怒鳴ってしまって悪かったな」
魔王様が初めて謝罪した!
「千年も話し相手がいなかったら、孤独過ぎますよね......でも、どうして自分で封印を破らなかったのでしょうか?」
「そうだな......もう千年も経って、国もすっかり変わってしまったのだから、正直に話しても良いか......実は、俺は世界一の大魔王などではないのだ」
やっぱり。そうだと思ったんだよね。
「大魔王というのは、俺の容貌を見たものが勝手につけた『二つ名』なのだ。まぁ、その方が都合が良かったから俺もそれに乗ったのだが」
魔王のような容貌とは、恐ろしい悪魔のような外見なのだろうか。
やはり簡単に封印を解いてはダメだ。
「本当に強い魔法使いは、マキシミリアだけだったのだ。俺はマキシミリアを甘く見て、徹底的に仕返しをされたのだ」
「他の女性を口説いただけで、千年も封印するのはやり過ぎな気もしますね」
「マキシミリアは嫉妬深くて、私が女性に言い寄られるのも嫌っていたのだ」
あれ?『俺』から更に『私』に変わりましたね。
それに、悪魔の容貌の人が女性に言い寄られるのでしょうか?
「魔王様、なんだか、自分の呼び方が変わっていませんか? 私はなんとお呼びすれば良いのでしょうか?」
「そうだな......では、マキシミリアが呼んでいたように『イザーク様』と呼ぶが良い」
「イザーク様?......」
「なんだ?......マキ......」
イザーク様と呼ぶと、魔王様の声が低く、甘くなる。そして、優しく私の名前を呼んだ。
「私はマキシミリア様ではありませんからね! 間違えないで下さいね!」
「わかっている......ただ、マキシミリアの血筋はマキにしか残っていないのだ......」
「イザーク様は、マキシミリア様を愛していたのですね......」
「マキシミリアは、子供のころからの許婚だったのだ。いつも側にいたから、何を言わなくてもわかってもらえると勘違いをしていた」
「それでイザーク様は、リザベラ様に言い寄ったのですか?」
「私が言い寄ったのではない。リザベラが私に抱きついたとき、すぐに払いのけなかったのは私の間違いだった」
「それをマキシミリア様に見られたと?」
「そうだ」
「イザーク様が口説いたのではないのですね?」
「マキシミリアは、私がいくら説明してもわかってくれず、私を封印してしまったのだ」
「そして千年ですか......」
「千年......長かった......封印の理由がわかっただろう? キスしてくれるね?」
「それは、また別問題です!」