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雪哉の手を取って一曲踊った彼女に、数人が近づこうとした。椿でなくともいいのなら、と。
しかし、雪哉の一睨みで身体を竦ませた。12歳になったばかりの少年から皇帝と呼ばれるプレッシャーが滲み出ている。
当の本人はそれに気づかず、藤花と並んでほわほわケーキを頬張っている。
「クリーム付いてるぞ」
そっと口元をハンカチで拭う。
世話され慣れた薫子に藤花は危機感を募らせる。
「薫子、あまり異性に隙を見せるものではないよ」
「隙、ですか?」
「そうだ。君が思っているよりも、欲というものは人を狂わせる。危ない目にあうと、君の幼馴染や婚約者は酷く心配するよ」
藤花の言葉に、お友達でもダメなのか、と察した薫子は「わかりましたわ」と頷いた。
藤花は本当かなぁ、と心配そうに見つめる。気分はすぐに人に懐いて着いていってしまう幼児の姉である。異性に世話をされ慣れているあたりは椿のせいだろうけれど、こんな姿を見せられる周囲はたまったものではないだろう。自分が美少女だという自覚を持ってほしい、と切実に思う。
一方で薫子は「なら、お願いをするときはもっと周囲に気を配ってバレないようにしないといけないわね」と斜め上の事を考えていた。なお、お願いと書いて脅しと読むこともある。その辺りの扱いは椿や諾子に何かあるかどうかで決まる。
「俺はいいだろう?」
甘い声で、優しい瞳で薫子にそう尋ね、雪哉は少しだけ首を傾げて見せた。あざとい。
身内にとても甘い薫子は一瞬頷きそうになったが、椿に嫉妬させたいわけではないので「ダメよ」と苦笑した。その返答に不服そうな顔を見せる彼が何だか愛らしくって笑いが溢れる。
「冬河にこんな顔させるの、薫子くらいだろうなぁ」
薫子に見せないように睨まれながら藤花はそう呟いた。器用だなぁと思っている。
「ダメか」
「椿さんが嫌がることはしたくないわ」
頬に手を当てて、困ったように彼女は言う。どこまでも幼馴染を大切にしている薫子らしい。
鈍い薫子だけれど、椿を引き合いに出したなら行動に気をつけるんだな、と妙な学びを得た。
薫子は椿のことをただの幼馴染として見ていると思われているが、椿に溺愛されていることは何となく感じていて、それを心地よく思っていることは目に見えてわかる。藤花の目線で言うと、他の男たちにチャンスがあるとは思えない。
可哀想だからさっさと諦めたほうがいいぞと言ってやりたいが、雪哉は認めようとはしないだろう。
(それこそ、椿が薫子のことを完全に嫌いになる…というようなあり得ないことがない限り二人は離れんだろうな)
椿が薫子に執着しているのと同じように、薫子が幼馴染に向ける感情は大きい。諾子のことも同じように愛していると見えるから、恋情が全く分からない少女に見えている部分もある。
「余計なこと言いやがって」
薫子が後輩に引っ張られていくと、直接そう言ってくる雪哉の表情は険しい。
「そうかな?薫子は結構あの少年とうまくいきそうだよ」
「それならそれで仕方ない」
その言葉に「おや?」と思いながら続きを待つ。
「それでも、薫子が好きだ」
そんな当て馬のようなセリフを吐くんじゃないと笑って言いたいところだが、焦がれるようにたった一人を見つめる視線を見てしまうとそうも言えない。
(魅了し、堕落させる女が悪女だとしたら薫子は十分それだね)
興味がないという素振りをしながら、いざというときは全てを利用する。そんな少女を見る藤花の視線にだって、熱が籠っていた。あの数々の人間を魅了する少女が自分に見せる憧れを滲ませたきらきらした瞳。
欲しくない、なんて言えば嘘になる。
その翌日、写真を見せられた椿は、当日隣に居られなかったことを大いに嘆いた。




