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うまくいかないものだなぁ、と円は報告書を見ながら眉間を揉んだ。
欲しいものは驚くほど警戒心が強いらしい。
椿が必死に動いていたようだがそちらだけならまだ付け入る隙はあった。けれど、薫子の梃入れで攫うような真似はできなくなった。必死に抵抗する姿もまた愛らしいけれど、手足を捥げるようになるまではもう少し時間がかかりそうだ。
喧嘩をする兄達の声を聞いてそっと溜息を吐く。
「兄上も、そんなに束縛したいのなら枷をつけるか足を切り落としてしまえばいいのに」
不思議そうにそう呟く彼の声には呆れも混ざっている。悪びれることなくそう言ってしまえる彼はそっと隠し撮りであろう薫子の写真を撫でた。
年々、彼女は美しくなっていく。汚れのない美しさだなんて周囲は言うが、とんでもない。彼女は清濁合わせ飲んで、それでもなお可憐に微笑むことができる傾国だ。うっとりと写真を眺めながら彼はそう考える。
「僕なら、ちゃんと日も当たらない場所に閉じ込めて、僕だけの彼女にしてしまうのに」
歩ける足など必要ないし、手も別に要らないだろう。世話は全て自分が行えばいい。
独占するためなら子供も要らないし、彼女が自分を見つめる瞳と自分の名だけ呼ぶ声があればいい。
くすくすと笑って、それから彼女の隣に映る少年の顔を切り刻んだ。
「本当に不快だな」
その声は一気に感情が抜け落ちたようだった。
薫子に大切なものなんて必要がなかった。全員死んでくれないかと思っているくらいである。
一方、桜子と環の夫婦喧嘩は激しさを増していた。
「ちょっと絵と画集が欲しいと言っただけじゃない!!」
「描いたのがあの男だというのに認められると思うのか!?」
「別に私の資産で買うのならばあなたの許可なんて要らないでしょう!?」
桜子は有栖川郁人の絵が好きだった。
郁人というよりはその絵に対して恋をしていた部分が大きい。
個展も行かせてもらえず、絵は買えず、画集も買えないなんてあんまりだとガチギレしていた。こうなった桜子はただの推しに狂う過激派のオタクだった。
結局、部屋に閉じ込められて不貞腐れた。
部屋にいて全然買えないうちに絵は売れて画集もSOLDOUT。
環は口をきいてすらもらえなくなった。
なお、絵の一部は薫子の物になっている。
好きとか嫌いとかではなく、郁人が「何かあった時に売れれば、まぁ少しくらい娘の役に立つかも……?」と出来の良い幾つかを鑑に預けた。
「別れてから大切な物に気がついても遅い」
「え?大切なら別れていた方が互いのためじゃない?」
相変わらずの兄を鑑が殴りたそうな顔で見ていたのは仕方のない話だろう。というかちょっと苛立って拳骨は落とした。いつまで子供のつもりだこの男、と溜息を吐いた。




