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薫子たちの泊まる旅館は班ごとに部屋を分けられていた。夕食も各々の部屋で取ることになっている。
広い机の上に並べられる料理の数々は色鮮やかで豪勢だ。一般のブラック企業社会人としての記憶も持つ薫子はぱあっと表情を明るくした。温泉宿で気の置けない友人と泊まりで豪華な食事付き、なんてかつての彼女ではなかなか叶えられなかったことである。
嬉しそうに座る薫子にカメラを向けた葉月はシャッターをきった。その音で気が付いた薫子は微かに頬を染めて恥じらった。
「浮かれている表情だったでしょう?恥ずかしいわ」
「そういうのも旅行の醍醐味でしょう?」
ほわほわと話す彼女たちは少し遠くからあかりに撮られていた。
「椿様への賄賂をこの調子で増やしましょう」
「これなら夏目様への賄賂にも使えるわね」
「友人の写真の扱いが酷い」
梓はそう言うけれど止めなかった。世の中には保険が必要な場合もあるのだ。
そう、恋するヤバい男に対しては特に。
自分が意図して何かやらかした場合は仕方がない、自業自得だろう。けれど、不用意にうっかり何か薫子にやらかした場合に保険はあったほうが良い。薫子は基本的には優しいが、椿は本当にそのあたりがシビアだ。
諒太も最近では結構露骨に好意を見せている。一人見せしめのように没落して以降は以前のように彼を侮る人間は居なくなった。本人は徐々に葉月と距離を詰めてホクホクしているが、薫子がけしかけたとはいえ、幼馴染の恐るべき成長の仕方に朔夜は「この学年の白桜会って僕以外ヤバいのしかいないな」と真顔で言っている。
「僕だってやり過ぎない限りあそこまでは動かないさ」
そう言う幼馴染が少しだけ怖かったのは内緒である。
黒崎家は愛娘への縁談をとりあえず「まだ小学生ですし、もう少し大きくなってからもう一度話し合いませんか」と返している。だが、外堀は確実に埋められつつあった。諒太には無理矢理どうこうはするつもりはない。だが、周囲の人間の悪意をなんとかできるくらいには後継者としての立ち位置を確固たるものとした。
そんなわけで、恋する男たちへの賄賂を用意しておくのは無駄にならないと三人娘は顔を見合わせ頷いた。生き残るには多少の打算は必要不可欠である。
諾子のご友人(という名の薫子の仕込み)とも協調して動いているので今は前年よりやりやすいくらいだ。
(薫子様を穏やかなだけだと侮る人間の気が知れないわ)
梓はそう思いながら三人を呼ぶ薫子と葉月の声に応えた。
いつも椿があれこれ気を回しているから気が付きにくいだけで、彼女自身も得体の知れないところがある。“ご友人”の切り捨て方なんてつい先日まで情をかけていたとは思えないようなものだ。
裏切り、諾子や椿に手を出そうとした瞬間に剥き出しになる牙。それを知ってから「こんなはずじゃなかったのに」と後悔をしても遅いのだ。
小さな社交場で子供だからと許されるのは今年度一杯だろう。中等部に上がってまで同じように振る舞う人間がいるとすれば相応の報復が待っている。四季神が手を引いて掻き回す可能性は十分にあるが、それを考慮してもこれ以上を許すことはないだろう。
彼女たちは内心で色々留め置きながら、料理に手をつけた。