6
冬河家のパーティーは薫子と攻略対象であり、薫子の婚約者予定だった冬河雪哉との出会いの場である。
薫子はここで雪哉に一目惚れをしてから、春宮家の令嬢として相応しい完璧少女を目指した。春宮家では我が儘なままだった彼女だが、外では誰もが尊敬する女の子だった、というのが設定だった。
(その恋心は本物で、雪哉さえ薫子に寄り添ってあげていればあそこまで転落する事もなかったのでしょうけど)
断罪されたということはそうはならなかったという証明だ。
現薫子としても、自分の肩を持たない婚約者なんて要らないので婚約なんて絶対に嫌である。
祖父母に買ってもらった着物を着て、会場に着くと椿もいた。諾子は「お前は大人しくしていられないからダメだ!」と両親に言われてしまったらしい。小学校の受験に受かっているのだからできるはずなのだが、普段から木に登ったり走り回ったりしていることが裏目に出た。
椿とは挨拶回りが終わった頃に合流した。桜子案件で稀に冷たい目で見られる事もあったが、大体の人は子供も被害者であるという認識なのか薫子に優しくしてくれた。
「やっぱり、着物が似合いますね。かわいいですよ」
「椿さんもスーツが良く似合っているわ。格好いいよ」
そう言って褒めあっていると、椿の両親が微笑ましげに二人を見ていた。
椿の父は昔、桜子に大層振り回された。椿を通じて関わるうちに薫子に対してはすっかり苦手意識が消えて、もう一人娘ができたような感覚になっている。椿の母も、桜子とは社交界を通じてしか関わり合いがないが、明確に彼女とは違う薫子を今は可愛がっている。
二人が手を繋いで一緒に過ごしていると、「楽しんでいる?」と黒のドレスを見事に着こなした美女と、その女性に引き連れられた少年が二人の元へやってきた。
女性は冬河菊乃、少年は雪哉である。
突然の攻略対象とその母に話しかけられて少し驚きながらも、薫子はふわりと笑って「はい。とても楽しく過ごさせていただいております」と告げた。
「そう、よかったわ。こちらは息子の雪哉よ。白桜会でも一緒になると思うからよろしくね」
「冬河雪哉だ。よろしく」
名乗られたので二人はしっかりと自己紹介を返すと、雪哉は機嫌悪そうに自身の母親の顔を見上げた。
少しだけ原作のように雪哉に一目惚れしてしまうのでは、と危惧していた薫子だったが、その様子を見てこれはないな、とホッとした。
白桜会という名が出た事に椿は驚いたが、薫子と雪哉が当然のように入る事を受け入れているので何も言わない事にした。
白桜会というのは、薫子たちが入る白峰学園の中でも「初等部から白峰学園に入って」おり、「家柄」が良く、「財力」も兼ね備えた特権階級の子息が所属する組織である。
椿は誤解をしているが、入れるだけで人生勝ち組のそれに薫子自身は入れると思っていない。原作薫子も入れていなかったし、これは無茶でしょうと思いながらも曖昧に笑っているだけだ。それだけで大抵のことはクリアできてきてしまっている。
少し話して冬河母子と別れた薫子は、「白桜会は発表もまだなのにね」と小さな声でつぶやく。
「薫さんが入れなかったら誰も入れませんよ」
そう言う椿にも曖昧に微笑んで見せた。別にそこまで入りたいとも思っていない。後、桜子も入れなかったらしいところを鑑みるに、おそらく性格なども加味されている。桜子より性格が悪いとは思わないが、必ず入れると思うほど自信もない。
そうやって話していると、突然椿に腕を引かれて、その背に追いやられた。
途端、パシャンと水がぶつかるような音が聞こえて椿を見ると、顔に紫色の液体がかかっている。
「椿さん!?」
「大丈夫、ぶどうジュースみたいです」
薫子が慌ててハンカチを差し出すと、優しく微笑んだ。それを見た薫子は「本当に6歳なの?」という気持ちになったが。
「なんでそんな子を庇うの?」
顔を真っ赤にした女の子が薫子を睨みつけている。会ったこともないその少女にそんな子呼ばわりされる筋合いもない、と口を開こうとしたら、薫子の実父が駆け寄ってきていた。
「舞香!」
「パパ!」
ウワァ、と薫子はドン引きしながら椿の顔を拭う。注意もせずに一応娘である薫子をキッと睨む郁人に周囲も引いている。
「薫子、舞香を虐めるとはどういう了見だ」
「お父様、ジュースを椿さんにかけてきたのはそちらの方です。それと、まいかさん?を私は知りません」
「有栖川、周囲をもう少しよく見てみればよかろう」
なんだコイツ、という目で父親を見ながら抗議をした薫子に続いて、元正が郁人に声をかけた。
桃子が手招きして薫子を呼ぶので、薫子は元正に「おばあさまのところへ行ってきます」と告げて椿の手を引いた。
「おばあさま、椿さんが私を庇ってジュースをかぶってしまったの。シャワーと着替えの準備はできないかしら」
悲しそうに訴える孫娘に、桃子は「すぐに準備させるわ」と笑みを見せる。
「椿さん、薫子さんを守ってくれてありがとう」
「は、はい…!」
祖母に手を引かれた薫子と両親が駆けつけてきた椿が退場すると、有栖川家はそそくさと娘を連れて逃げた。
「なんで私たちとパパをあわせてくれなかったあの子に仕返ししちゃダメなの!?」
「あの子は関係ないよ。意地悪な子かもしれないけど、本当に悪いのはあの子のママなんだ」
本来、このパーティーで薫子に頭からジュースをかけられて泣きながら家に帰る予定だった少女は納得できていなさそうに父親の腕にしがみつく。
舞香は白峰学園への入試も春宮薫子への配慮から落とされている。春宮は名家である。たとえ悪名高い女がいようが、桜子一人の悪評で落ちるほどその名は軽くはなかった。有栖川なんて今の薫子が祖父母に泣いて怖いと訴えるだけで酷い目にあう。そんな家の子どもを預かるのなんて学園側としては真っ平ごめんだし、配慮を行うのなら吹けば飛ぶ有栖川よりも春宮を選ぶ。
(私はヒロインなのに……!)
舞香は親指の爪を噛む。
舞香もまた、前世の記憶を思い出していた。それは父親が母娘を迎えにきた時のことだった。
せっかくだから白桜会に入って最初から好感度を上げていきたかった彼女だったが、薫子の存在がここにきて邪魔をした。
おまけに、このパーティーでの薫子の意地悪が後々攻略対象の記憶に残って、学園内で気にかけてもらえるはずだったのに、彼女は誰かわからない少年と仲良く談笑していて舞香に見向きもしない。
幸い、糾弾する理由はあったので薫子の性格の悪さを出させて知らしめてやろうとすれば邪魔をされた。
舞香は気付いていなかったが、誰かわからないとした少年は攻略対象の春宮椿である。攻略対象の一人である椿は無表情クールキャラから穏和な優男キャラに変わっていた。そんな彼に気付かずやらかした結果、好感度は上がるどころか底である。
それでも、(本番はやっぱり高校編からなのかしら)となんとか機嫌を直した。
(それにしても、どんな手を使って春宮様を籠絡したのか。忌々しい娘だ)
桜子によって振り回され、愛されたかった薫子の我儘に付き合ってきたせいで郁人も桜子だけではなく、薫子も忌々しく思う。
愛する女性に似た舞香は可愛い。
できることならば赤子の時から成長を見守っていたかった。
(改心しているのならまぁ構わないが…。いや、あの女の娘が改心などするはずもないか)
改心も何も、親からの愛情への期待をごっそり諦めてゴミ箱に入れた薫子は普通に祖父母からの愛情を受けて、割合精神的に安定して育ちつつある。
関わらない方が真っ当に育つので、有栖川にも関わるなと元正も郁人へ念押しした。桜子にも念押ししてある。
こうして親子と姉妹はすれ違っていくのだった。