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「椿様をそろそろ自由にして差し上げてはいかが?」
薫子を思い切り見下しながら勝ち気にそう言う少女に首を傾げる。正直、薫子は他人に期待しない分、興味が薄い。誰だっただろう、と考えていると後ろで「我妻紗也様ですよ」と椿が囁く。
「まぁ。あの?」
同じく小声で返すと、椿はそっと頷いた。
その様子を彼女は苛立たしげに見つめている。
「ところで、椿さんは私から離れたいの?」
「いいえ。もっと束縛して頂きたいくらいです」
「束縛…は特にするつもりはないけれど。ごめんなさいね、そういう事らしいからあなたの希望には沿えないわ」
そう言って頬に左手を添えて「仕方のない方ね」と言うように微笑んだ。顔を真っ赤にして「アンタの意見なんて聞いてないのよ!」と言う紗也に薫子は「私の意見ではなくってよ」とおっとりと、しかし言い聞かせるように告げた。
「私は椿さんの意思を曲げる都合の良い事は言わないわ」
そして、現実を思い出させてやろうだなんて思ったわけではないけれど彼女は「そういえば」と口に出す。
「我妻さん。知っていらっしゃる?あなたのお家の旅館、春宮の一部企業の慰安旅行に使われているのよ。今年からそれがなくなったら、あなたはご両親に顔向けできて?」
走ってきた女生徒が紗也の頭を無理矢理、思い切り下げた。「申し訳ございませんっ!」と土下座でもしそうな勢いに「床に這いつくばれなんて言ってはいないけれど」と溜息を吐く。
「何卒、御慈悲を頂きたく!」
「姉さん、何すんのよ!!」
「アンタは黙ってな!!」
その剣幕に驚いたのか文句を止めた紗也の代わりにペコペコと頭を下げる姉。
薫子も唖然としている。「もういっかなぁ」と思っていると、椿が「別に、温泉宿は一つではありませんしね」とにこにこしている。真っ青な顔の姉に何か思うところがあったのか、紗也もおずおずと頭を下げた。そっと目配せする椿。
(椿さんの思う通りにしてくれても構わないのだけれど、そうすると潰しちゃいそうね)
少し考えて、良いことを考えたとばかりに表情を明るくさせた。
「そうね。面倒なことばかりする方々を、しっかりと黙らせてくれるのであれば、私もおじいさまたちに告げ口するのをやめて差し上げてよ」
薫子が放置した結果でもあるのだが、少しやり過ぎな生徒も出てきて鬱陶しさを感じていた。椿や諾子自身に離れてと言われるのならばともかくとして、彼らがそう思っていないのに解放しろとか言われるのにも疲れてきていた。
薫子は「どうかしら」と椿の顔を見ると、「薫さんがそれで良いのでしたら」と穏やかな笑みを見せる。その姿を見て周囲はゾッとする。椿は薫子と一緒の時以外には表情がなくなるのだ。
「紗也、死ぬ気でやるのよ。じゃないと私たちここでの立場どころか家がなくなるわ」
姉の言葉だけでは信じられず、紗也は帰宅後母親に尋ねると、そのまま父親や祖父母のいるところまで連れて行かれて真っ青な顔の全員にお説教されるし、母親には泣かれた。
一方、薫子は「これで煩わされることが減るわ」と言って椿と諾子に困った顔をさせていた。




