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兎月は舞香から離れられることになった。一回熱中症で倒れたくらいで、と有栖川の現当主は言ったけれど、兎月の父はその瞬間、舞香だけではなく有栖川に見切りをつけた。
「今、僕たちが有栖川から離れるか、兄さん達が出て行くかだ」
「郁人は外部ではもう雇ってはもらえまいて」
「では、結構。礼香の御両親とは話がついている。僕は有栖川を捨てる。何があってももう関わらないでくれ」
「鑑」
我が儘を言うんじゃない、というような顔で有栖川の当主は鑑を見た。それに揺るがず、「僕には家族を守る義務がある」と言ってその目をスッと細めた。
「兄さんと一緒にしないでくれないか」
静かに扉を閉めると、礼香が兎月と共に本家の玄関に立っていた。そっと首を左右に振ると深く溜息を吐いた。
「ここは暑いだろう。体調はもう大丈夫か?」
「うん。平気」
「無理は禁物よ。薫子さんが偶然見つけてくれたからあれで済んだけれど、あれからそこまで経ってないのだから」
「うん。お礼言わなきゃ」
数日入院することにはなったが、兎月はなんとか無事に帰ってくることができた。母、礼香の怒りっぷりは相当で「あの馬鹿娘、絶対に後悔させてやるわ」なんて言っていたけれど、父も母に負けず劣らず怒りを溜めていたようだ。
舞香にされたことに関してはドジを踏んだなぁ、とは思う兎月ではあったが、この件で両親が解放されたのならそれはそれで構わないと思う。舞香には痛い目にあって欲しいが。
そして、彼はそのまま両親に連れられてもう一人の従姉妹だという少女と初めてまともに顔を合わせることになる。
深すぎないラウンドネックのアンティーク風の白いワンピース。花柄のレースをふんだんに使用し、ふんわりとしたフォルムのそれは愛らしく清楚だ。ハーフアップで纏められた髪には同じく白いレースのリボンが着けられている。
ふと顔を上げた瞬間の瞳は何も映さないガラス玉のようで表情が消えて見える。
けれど、「お嬢様」と老齢の使用人に呼ばれた彼女は春風のように柔らかく微笑みをつくった。
(これが春宮薫子)
人形めいた少女は、“周囲が望むことを、望まれるままに”、という様子で糸のついたマリオネットに似ている。兎月の目には薫子はそういう人間に映った。
(舞香とはまた違う方向で危うそうなやつ)
とはいえ、彼女に意思がなければ今頃自分はここに立っていないだろう。
連れられるままに春宮当主夫妻の前に座らされる。その真ん中で大人しく座っている薫子は先程見た時よりもリラックスしているように見える。
「先日は、こちらのお嬢様に息子を助けていただきありがとうございました」
感謝の言葉とそのあとに自己紹介、そこから始まった会話は思ったより穏やかだ。
有栖川の人とのお話だからもっと殺伐とするかと思っていた薫子は少しだけ気の抜けた顔をして、それから見られていることを思い出してキリッとした顔を作った。
すると、少しだけ兎月が笑った。
(思ったより面白い子なのかも)
兎月は薫子を見ながらそう思いながら微笑みを浮かべる。
途中で薫子と一緒に外に出された彼は「兎月です。病院に連れて行ってくれてありがとう」と言って頭を下げた。
ぱちぱちと瞳を瞬かせた薫子は、「気にしなくても良いのに」と呟いた。
「律儀なのねぇ」
ふふ、と漏れた笑い声は可憐だ。
それに少し頬を染めた途端、薫子の姿が消えて椿と諾子が顔を出した。
「どなたでしょう?」
「かおちゃんと遊びたいならウチら通してもらわないと」
「諾子さん、それなぁに?」
「なんかテレビで観た」
けろりとそう言う諾子に「もう。ガラが悪くってよ」と言いながらヨシヨシと頭を撫でた。
「はじめまして、薫子さんの従弟の兎月です」
そう言ってにっこり笑って見せると椿と兎月の二人の間にばちばちと火花が散った。




