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美しく咲いている母親と同じ名前の花を見上げて薫子は少しだけ寂しそうな笑顔を見せた。愛情は諦めたけれど、かつて求めたものを思い出すことだってある。
名前を呼ばれて振り返ると、いつも通りの厳しい表情の元正と隣で微笑む桃子がいた。大好きな祖父母に呼ばれた彼女は嬉しそうに小走りで駆け寄った。
「お着物もよく似合っていてよ、薫子」
「ありがとうございます」
桜色の着物に真紅の帯が映えて可愛らしい。今日は髪の飾りも桜である。この髪飾りは椿からのホワイトデーのお返しである。
春宮で最も盛大に開かれている春の花の会。満開の桜が咲き誇る中、薫子は祖父母に手を引かれて会場入りした。
大きな窓からは外の桜が見事に見えて、まるで桜の絵とその額縁のようだ。
元正の挨拶と乾杯からパーティーは始まる。主催の一家なので、順番に挨拶にくる人たちと挨拶をしていく。時折、うちの息子、孫を薫子にどうかと打診してくる人間もいるが、まだ早いと断りを入れている。思春期に入った時が怖いと薫子は苦笑した。
「この度はお招きいただき…」
「来てやったぞ!薫子!!」
菊乃が挨拶をしようとした時に雪哉が意気揚々とそう話し、菊乃に思い切り拳骨を落とされていた。薫子は驚いて「大丈夫?」と問うと、「平気」と涙目で告げる。そんな雪哉にくすくすと笑うと、その笑顔を見た雪哉も嬉しそうな顔をした。
「おやすみ中、元気だった?」
「ああ。お前も元気そうでよかった。2年になってもよろしくな」
ニカッと笑う雪哉と柔らかく微笑む薫子の二人は絵になった。それをジッと見つめる蘇芳色の瞳は冷たいが。
保護者同士の挨拶が終わると、椿と諾子を連れて椿の両親と諾子の両親もやってきた。
「ごきげんよう。今日は桜のタイなのね。可愛いわ。諾子さんもお着物がよく似合うわね。あとで一緒に写真を撮ってくれる?」
「薫さんも、俺の選んだ髪飾りが良く似合っていて…その。可愛いです」
「あ、椿が選んだんだ。似合ってるよ!薫ちゃんほんと着物似合うよね」
写真もいいよ、と諾子が入った瞬間柏木父の目の色が変わった。娘の可愛い写真を撮ることに命をかけてるところがある柏木父はウォーミングアップを始めた。
「今日のお着物はおばあさまに用意していただいたの。似合っているなら嬉しいわ」
嬉しそうに笑う孫を見て桃子の表情が和らぐ。
その着物は昔、桜子にと用意して着てはもらえなかったものだ。彼女はパステルカラーや淡い色合いのものを好まなかった。
喜んで幼馴染に見せる彼女はやはり娘とは別の人間なのだと再認識する。
「あの子も勿体ない事をしましたね」
「そんな事を考える娘ではないだろう。一応、逃がしてやりたいとは思っているようだが」
桜子は確かに薫子を手放して勿体無いなんて思っていない。何なら「清々したわ!」と思っている。元々彼女を産んだのは有栖川郁人が欲しかったからというだけだ。愛とかはない。そして第二子だって仕方なく作っただけで、彼女自身子供は好きではない。
どこをどうしてああ育ったか、親でもわからない。
「おじいさま、おばあさま」
駆け寄ってきた孫娘が二人の間に入る。
柏木父が苦笑して「構いませんか?」と問うと夫婦はお互いに視線を交わして頷いた。
麗かな春の日。幸福の記憶が桜の花と一緒に写真へと刻み込まれた。




