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ママも十分やべー人
カチカチと、ライターを押す音が響く。女は煙草に火を点けて、それを吸い込もうとした瞬間に目の前でそれを奪われた。
熱いだろうに、よく素手で火を掴むものだと妙な感心を抱く。
「桜子、煙草は身体に悪いから止めろと言ったはずだが?」
「あら。止めるなんて一言も言ってなくってよ」
四季神環はその回答に眉を顰めた。しれっと二本目を手に取ろうとする彼女の手を押さえると、不快そうな顔で「痛いわ」と言われた。
彼女は子まで生したというのに環に心を開くことがない。なぜだ、と思う気持ちを、それでも彼女は己が妻だという事実で塗りつぶす。
「口寂しいというのであれば、飴やガムを用意する」
「外に出してももらえないのだから煙草くらい良いと思うのだけど?」
「外に出せば、貴方はまた多くの男を魅了するだろう。貴方の目に留まるのは、私だけでいい」
「別に貴方を目に留めた事ってそんなにないのだけど」
あまりに境遇が違えば互いの理解が及ばないし、余裕を持っていてこそ培われる教養がある。ある程度、教養がなくては遊んでいても面白くない。だが、あまりに家柄が良すぎても面倒だ。何事もほどほどが一番だと桜子は溜息を吐く。
有栖川郁人を相手に選んだのは、彼がああ見えて話す分には意外と面白かったというのと顔が好みであったからだ。
とはいえ、恋人がいるのを無理矢理寝とったので嫌われてしまったけれど。
桜子は今でも彼を嫌いではない。あと別に悪いことをしたとも思っていない。あえて言うなら彼は女を見る目がビックリするくらいなかった。多分彼が選んだ女よりは桜子の方がマシだとあくまで当人は思っている。彼女の親が聞いたなら「五十歩百歩」と真顔で言っただろう。
「だいたい、どうやってこんな物を手に入れた」
「なあに?そんなに私を管理しないと気が済まないの?」
「そうだ。私は貴方を愛しているからな」
「愛ではなく、執着ではなくて?」
そう問う色香の滲んだ声は環から理性を奪っていく。
執着で何が悪いのか。こんなにも愛しているのだから、自分以外を見る彼女が悪いのだと言い訳をして彼女を抱き上げ、寝台に落とした。
ベッドに広がる黒い髪がひどく艶かしい。その反面、美しい顔は詰まらないというように彼を見ていた。
「難儀な子ね」
実際、自分がちょっとどうしようもないと自覚のある桜子はどうしても彼が自分を愛しているなんていう理由がわからなかったし、執着されても「うざいな」としか思っていない。逃げる方が面倒とかは思っているけれど。
(薫子がこうやって囲われたら気が狂うでしょうねぇ)
どうやら娘はまともらしい、と父親伝に聞いた彼女は溜息を吐いた。自分かそれを超える人格破綻者であれば放っておいてもよかったが、何をどうしたかまともに育ったようだ。
なら逃がしてやるのが生産元としての責任だろう。
「重い」
口付けをしようと迫る顔を思いっきりパーで正面から叩いた。鼻を押さえて睨む夫を鼻で笑って上着を引き寄せる。
「庭に行くわ」
「私も…」
「好きにすれば?」
環は追いかけてその隣に並ぶ。
桜子はぼんやりと犬に似ているなぁ、なんて思う。また煙は吸えなくなってしまったし、邪魔なのでサクッと離れて欲しいと思いながら庭の花に手を翳した。
逃がしてやるのが責任か、と思ってもいるけれど心の底からどうでもいいと思っているのも真実な桜子。




