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薫子はあっさりと放逐され、「まぁ、情のない親子なんてこんなものかしらねぇ」なんて考えながら母の実家、春宮家へと連れてこられた。
ヒステリックな母親が育ったとは思えない落ち着いた和風の庭を進んで行くと、上品な着物を着た女性がいた。
「奥様、面会を承諾してくださりありがとうございます」
「まぁ、不出来な娘の子とはいえ唯一の孫ですからね」
厳しげな声音に、「もう何かしてしまったのかしら」、と薫子が不安そうな顔をすると、奥様と呼ばれた女性は薫子に目線を合わせて微笑んだ。
「お名前は?」
「かおるこ、です。ありすがわかおることいいます」
おずおずとそう答えると満足そうに頷いた。何が満足なのだろうか、と薫子は疑問に思いつつも悪く思われないならばいいかと思い直す。考えたって仕方がないものね、なんて考えているのはポジティブというよりも諦めの速さが為せる思考だった。
「薫子。私は春宮桃子、お前のおばあさまです」
「おばあさま」
素直に繰り返すと、桃子は優しく笑んだ。
付いておいで、と言われるがままに薫子は桃子の後を追う。幼児の歩幅に合わせているからかゆっくり歩く彼女を見ながら薫子は「もしかしてどうしようもないのはお母様だけなのかしら」と考える。
薫子の母親、桜子は母親としてどうなのか、と薫子は思う。子育ては全て清子任せ。甘える薫子を「汚い。寄らないで」と冷たい視線で触れることさえしない彼女。そんな彼女は薫子からすれば「どうしようもない」人になってしまう。
親の事情などこの時期の子供にとっては割とどうでもいいことで、旧薫子の悲しみを思うと現薫子は母親の抱える事情を考える余地もない。ただの八つ当たりにしか思えなかった。
そもそも、両親の事情など幼い薫子には与り知らぬ話だ。
祖母に部屋へと案内された薫子は促されるままにそこに立ち入った。
薫子は、その部屋の奥に座っている厳しい深緑の着流しを着た老爺がおそらく薫子の祖父なのだろうと思いながらじぃと見つめた。
「お前が薫子か」
「はい」
名前は知っているのか、なんて思いながらもホワホワと薫子は微笑みを作る。
「これからお前はこの春宮家に住むことになる。この家の一員として努力するように」
その言葉に何か思うところがあるのか、薫子は返事をしながらも内心で「聞き覚えがあるような…ないような?」と疑問について考える。
祖父母の話に曰く、桜子は実家に戻るつもりがないようだった。
なぜ、というところはわからないが、薫子にはこの祖父母とあの母が仲良く団欒している様子が思い浮かばなかったので合わないのだろうと考える。
実際、桜子は幼少時から自分に厳しく接する両親との折り合いが悪く、両親の決めた許婚を無視して、顔が好みというだけで有栖川家の跡取り息子と無理矢理既成事実を作り結婚したことは、この狭いコミュニティでは醜聞として知られている。まだ幼い薫子にそんなことを知らせる人間はいなかったが、薫子が父に愛されないことにも理由はあった。
薫子の部屋だという日当たりが良い部屋へと案内された薫子は「有栖川の家は日当たりが悪かったなぁ」と呑気に思いながら庭を眺める。
単に、日当たりが悪い部屋をわざわざ割り当てられていただけなのだが。
清子が世話を焼きに来てくれるが、基本的に気配を消して側にいるだけなので薫子は思考の海に沈んでいく。
有栖川薫子、もしくは春宮薫子について。
(四季の中で出会った君へ〜運命の出会い〜の悪役令嬢と同じ名前ねぇ)
しききみ、と略されたその乙女ゲームはヒロインの有栖川舞香が四季の名前のついたヒーロー達と学園生活を通して恋愛をするという物語だ。
有栖川舞香は薫子の腹違いの姉である。
薫子の父の有栖川郁人が元恋人である舞香の母親と再会したことで、実は舞香という娘がいることを知り、桜子のせいで引き離されたことを知って再び二人は結ばれる。そうして迎え入れられた郁人の愛する娘が舞香である。
郁人目線で言えば、薬を勝手に盛られた結果、責任を取る形で結婚を迫られた上に愛する人とその人との間に生まれた娘の存在を目の前から消されて、絶望のうちに生きていたのだから、桜子とその娘なんて居なくなった方がいいに決まっている。
要するに、桜子という悪が薫子を追い詰め悪役令嬢へと追い込んだ大きな要因なのである。
薫子目線で言えば、愛してくれていると思っていた父を奪われ、ルートによっては許婚も奪われ、舞香憎しになるのは致し方ないところがあっただろう。愛情に飢えて生きてきた少女に憎むなというのは酷な話だ。
今のところ名前と境遇に幾つかの共通点があるに過ぎないが、破滅したいわけではない薫子はその可能性も視野に入れる。
薫子が一番気になったのは乙女ゲーにおける薫子の「春宮家の人間として努力したのに、そうすれば私を見てくれるはずだったのに、なんであなたは私の全てを奪っていくの!!」という断罪パートでの慟哭である。
桜子がああだったので尚更厳しくされたのだろうと予想ができて、ただ愛して欲しかっただけの、大人になりきれなかった少女を弔ってやりたい気持ちになった。きっと、今の薫子が表出しなければ欲しいものがいつまでも手に入らず、高慢に振る舞う事で自分を誤魔化す少女が生まれていただろう。
そもそも、薫子の中の女性は薫子が割と好きだった。
悪い事はするが、それは彼女を愛さなかった家族と裏切ったヒーローが主に追い込んだせいであって、情状酌量の余地は大いにあったと思ったからだ。
厳しくするだけで情緒が正しく成長するのならあんな極悪生物桜子は誕生していない。
何もするつもりはないし、あんな両親からの愛情なんてもはや望みはしないけれど、この世には薫子を追い込むような事情が多く存在する。
地雷を踏まないように気をつけて生きなければならないか、と幼い少女は頷いた。