116
好きにしても構わないという言質を得て、舞香は自覚すらないままに笑顔を作る。
見捨てられちゃったね。
可哀想だね。
そんな言葉が思い浮かんだ。
そして、その後に笑っている自分に気がついた。
壊れた自分に、気がついた。
(ま、転生なんて碌でもないことなのよ。きっと)
そうでなければ、自分も薫子もきっと初めから狂っているのだろうと思うとなんだか少し愉快にも感じた。
ヒロインだとか主人公だとかいう気分はもう捨てた。現実にそういった存在はいないのだ。
悪役令嬢の手先になるなんて、かつての舞香が知れば失笑しただろう。けれど今の舞香にはどうしても欲しいものがあった。
円は舞香が薫子を傷つけるようにという思惑で舞香に接していた。薫子を傷つければ舞香はきっと表舞台から消えただろうし、おかしくなった薫子を円が奪う事も難しくはないと考えていた。
けれど同時に円は「舞香の事を」傷つけているだなんて思っていなかった。自分とその執着以外にまるで興味がなかった。だから測り間違えた。彼女との距離を。
舞香を道具にしたいのであれば、彼女だけに愛を囁いて舞香だけだと信じ込ませればよかったのだ。それを彼は薫子に至るまでの踏み台だと自覚させてしまった。舞香が自分を思う気持ちを全く信じてはいなかった。
そして、それこそ物語のように彼らの世界には染まっていない「舞香」であれば、円の計算通りに動いたかもしれない。けれど今の舞香はいろいろな事を義父から叩き込まれている。怖いものなど何もないとばかりに無邪気に走り回ることなんて出来なかった。
手に持ったサプリメントを見て、笑みを浮かべる。それを円に渡されたピルケースの中身を捨てたものに入れ替えた。
そのまま、彼女は円に呼ばれるままに四季神家へと向かった。
「薫さんが気にかけるほどのことでもなかったのでは?」
別室で椿が膝の上に抱えた少女にそう問う。
少女は特に何も思っていない様子で耳に髪をかけた。
「私が気にかけるのはあなたたちの事だけよ?」
実際に、薫子がここまで動く気になったのは椿と諾子に対する要らないちょっかいが増えたからというだけだ。
その事に思い至った椿は気付かれない程度に表情を歪めた。
事ここに至っても、薫子の影響力は大きく制御しきれてはいなかった。
とはいえ、以前に比べればコントロールできている方だと言ってもいい。
「薫姉様、婚前からそんなに近いのはどうかと思います!」
ぷくっと頬を膨らませる異父弟に、薫子は「あらあら」と頬に手を当てて苦笑した。
椿の隣に座り直して、隣の席を叩くと周は嬉しそうにそこへ座った。
「お父様もお母様も最近とても機嫌がいいので助かっています」
両親の仲が良いのはいいことだと白々しく口に出す周に、「お母様がお元気そうならよかったわ」と口に出した。
「周さん、お母様をお願いね?」
薫子の言葉に、周はにこやかに頷いた。
二人の様子を見た椿は、「桜子様、終わったな」と鳥の翼を叩き折る瞬間を見たような気分を味わっていた。出会わせてはいけない二人が出会ってしまっていた。