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世の中には、何を思うこともなく笑顔で悪逆をなせる人間がいる。
己をその類だと知っているならばまだマシで、それを楽しいと思うのならば不幸を嘆くこともできたかもしれない。
(一番怖いんは、何も考えんと結果的にそうなるていうお人やな)
朱夏は赤い髪をかき上げて、溜息を吐く。
軽く着物を直して、四季神の当主に会う覚悟を決めて名前を呼ばれるのを待った。
そうして呼ばれた先で、四季神環が機嫌悪そうに朱夏に目を向けた。
その頬は窪み、目には濃い隈が見える。桜子がブチギレて無視し始めてから鬱憤をぶつけるかのように仕事をしているという噂を知っている朱夏でさえ元の美しい容貌とのかけ離れた姿に少しだけ驚く。
そんな環の側でつまらなさそうな黒髪の少年がいる。一瞬見えた瞳は紫がかった黒。その色を持つ少女が少しだけ彼の頭を過ぎる。しかしその容貌は父親に生写しである。ただし元気な頃のと注釈はつくが。
「何の用だ」
「お久しゅうございます。嵐山…」
「要らん。要件だけ述べろ。私は忙しい」
挨拶もさせてもらえないのか、と苦笑したい気持ちを気合いで捩じ伏せて彼は笑った。そして、二枚の封筒を差し出す。
桜色の封筒に、その葉を思わせる封。名前が書かれた文字は今時の丸いものではなく、教本にある手本のような美しい字だ。
「春宮の姫君から、文を預かっております」
「お姉様から!?」
一転、少年の表情がぱあっと明るくなる。
うきうきと自分の名前が書かれた封筒を見つけて、「薫姉様は元気?」と尋ねる。それに「はい」と頷くと、もう一通を環に渡して満足そうに元の場所に戻って行った。
「周、行儀が悪い」
注意する父親の言葉に、薫子の異父弟である四季神周は「はぁい」と気のない返事を返す。それに溜息を吐いて、彼は封を開く。
書いてある内容に、少しだけ苛立った様子を見せて、それからゆっくりと落ち着くように息を吐いた。
「彼女は何と?」
「どちらかは選ぶべきだ、と」
薫子が何かを考えていたとすればそれは保身以外の何物でもない。
薫子はある程度自分が傷つくだけであればそんなに気にすることはないけれど、椿と諾子に危害が及ぶ可能性は可及的速やかに消したがるという、円の想像以上の過激な一面もあった。
「は、あの円が煮え湯を飲まされる様子が目に浮かぶようだ」
「お父様もでしょう?」
さらりとそう言ってのける姿を見て、「そういうとこ、あのお嬢さんと似とるなー。姉弟やなー」と思った。




