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薫子は教師に頼まれて資材を取りに、倉庫まで来ていた。自分が何かを頼まれるのは珍しいと、何かあった時のための椿に声をかけているあたり、学内の教師すら信頼はしていない。いくら優しい言葉をかけ、家のことも併せて忖度してくれているとは言っても、その中に嫉妬や悪意が微塵もないと考えられるほどには薫子は信じ易くなかった。
諾子や葉月の側にも不穏な影が見える。
おそらくは彼の差金だと思っているけれど、そんなことをして好感度をマイナス以下に下げてまで何をしたいのかわからなかった。何かやってくれやがるたびに「なんで好感度を上げようとしていないのかしら」と散々やり返した後に思う。
こいつ本当に求婚者か?と胡乱な目をした。
扉を開くと背中を押されて躓きかけた。体勢を立て直したあたりで外からの光が無くなった。ガシャン、と重い音がする。
「こんにちは。久しぶりだね、薫子」
「まぁ。私、あなたに名前を呼び捨てされる謂れはなくってよ?」
おっとりと、しかし僅かに嫌悪を滲ませたその声に、四季神円は愉しそうに笑った。
「この状況でそんなことが言えるだなんて、知らない間に随分と気が強くなったようだね?」
薄らと瞳を開く円。
この状況で云々言っているが、自分に何かあれば王手をかけられるのもまた彼である。そう薫子は知っているからそういうことを言う余裕があるのだ。
「あなたこそ、私に手を出すなと兄君に言われているのではない?」
「そう、それだ。……君が何かしたのかな」
「いいえ。けれど、私のためにあれこれと動いてくれる方はそれなりに多いのよ」
口元に手を当てて笑う薫子は可憐だ。けれどそれだけではないことを知っているからこそ円が表情を変えた。
「へぇ?」
「ねぇ、円さん。私とあなたはそう関わりがあるわけではないわ。あなたのそれは、本当に恋なのかしら」
そう問うのと同時に、扉が開く。
「時間切れか」と呟くと、後ろから容赦なく殴りかかってこられてこれをかわす。
舌打ちをして相手を見れば、無表情の椿がいた。
「はぁ……騎士くん、来るのが早すぎない?」
呆れたように言って、「それじゃあ、またね。薫子。僕は君を諦めないよ」と綺麗な笑顔を作ってみせた。
(どう思われているのかは気になっていたのだけれど……何もないうちに来てくれた事の方が大事だしいいかしら)
おまえに好かれるほど関わりないぞというのが薫子の本音だった。
彼がパーティーや学校で薫子を見つけるたびに思いを募らせて、それを邪魔されていたことなんて彼女が知るわけもないので薫子目線で言えばある意味仕方がないとも言える。
「そもそも、恋というものは理屈じゃないんだよねぇ」
大人びているのか子供なのかわからない、と円はそっと自嘲するかのような笑みを溢す。
一瞬で世界が変わるような激情を、彼女は経験したことがないのだろう。
目の前で広がる黒髪、慣れない笑顔。憂いを帯びた瞳。
初めて見た瞬間に気持ち全てが奪われた。
椿が怖い顔で睨んできた事を思い出しながらくつくつと笑う。
それに愛情というものが穏やかで優しいものばかりだと思っているのならば、あの少女にも可愛げがあるというものだ。
何も知らずに怪物に飼われているなんて、と少し哀れにも思う。執着を恋情と勘違いしているのは向こうも同じだろうに。
「さぁ、君は本当にそこでいいのかな。僕の可愛い薫子」




