脱獄犯
私は朝から昨日のことを考えていた。昨日の朝、そして夜に見たニュースには無造作に伸びた白い髪、そして赤く、無邪気な狂気を宿す瞳を持った今世間を騒がせている脱獄犯が写っていた。
彼が脱獄をしたのは一週間ほど前だった。世界でも有数の法治国家である日本から脱獄が出るなど予想もしておらず、そのニュースを見ていた人はさぞ驚いていたことだろう。ましてやそれを行なったのは殺人犯。恐らく死刑判決が下されるだろうと言われていた男だ。さらには脱獄した後に一家を惨殺した、という疑いまでかけられている始末。それでも、彼は捕まっていないという事実が見ているニュースに映された。
朝の支度を終え、8時になるとまた家を出る。何故か今日だけは「行ってきます。」と言わなかった。
学校に着き、また昨日と同じ1日が流れていく。つまらない一日だったと心の中で呟き帰路に着く。少女が自分の住んでいるマンションの部屋に着くと、鍵がかかっていないことに気づく。忘れたのだろうか。しかし、そんな自己暗示の考えは、少女に告げる本能的な恐怖には及ばなかった。
逃げよう。頼れる人…警察に電話しよう。呼吸が浅くなるのを感じながらそう思い、私は自室の扉の前から離れようとした。しかし、それは叶わなかった。自室の扉は音もなく開き。その中から伸びてきた白い手に少女は口を塞がれ、部屋の中へ吸い込まれてしまった。
「おかえり。月城真白ちゃん。俺のことは知ってるよね?」
私は目の前口角が上がっているおかげで笑っているとわかるほど、邪悪でそれでも純粋な笑みを浮かべる男に対して「脱獄犯…」そう短く答えることしかできなかった。
目の前の男は私に問いを投げた時と変わらぬ笑顔で「大正解。」と答え、
「川崎蓮。20歳独身〜。」
と聞いてもしないことを間延びした声で行った。
私は混乱していた。何故脱獄犯が家にいるのか、何故私に話しかけてくるのか、疑問は尽きなかった。
「人質になって?」
唐突にそんな言葉が投げかけられた。
「俺さ〜逃げたいんだよね。だけどさ?俺もいろいろやってるわけだし、なんなら逃げた後にも殺しちゃったし…そろそろ1人で逃げるのは厳しいかなぁって。でも日本の警察って優しいじゃん?人質とかいたらそう簡単には…ねぇ?」
1人でベラベラと喋る男に私はとっさに疑問を問いかけてしまった。
「どうしてっ…私なの?」
家に忍び込む、などという面倒なことをせずに、その辺にいるもっと小さな子を人質にでもとればよかったのでは無いか。それこそ、例の一家を惨殺したとき、1人でも殺さず、人質にして仕舞えばよかったのでは無いか。そう感じた彼女は、殺人を犯した人間に…殺人に抵抗がない人間にそんな疑問を問いかけてしまった。しかし、意外なことに男はその問いに答えてくれた。
「俺が殺した家ってさぁ〜なんか金持ちだったんだよね。んで母親が日本人。父親の方が外人で子供は3人とも青い目ぇしてて金髪。父親とそっくりだった。まぁそんなことはどうでもよくて」
「家ん中物色してたらこんな手帳が出てきたわけよ。3人は殺したやつだろうなぁって見てたんだけど…もう1人のこれって誰だって。ほんで気になってちょっと調べたんだけど…母親がこんなんまだ持ってるなんて知ってお前はどう思った?」
姓が変わっており気付かなかった。殺されたのが母親と…恐らく私の実の父親だったなんて。悲しかったのだろうか?それとも私はこの男に対して怒りを覚えたのだろうか?正直なところわからなかった。しかし、私は男に、母親が自分の事を思ってくれているという事を聞いてこう答えた。
「自分を捨てた人間にどう思われても…関係、ないよ。」
男はそれを聞いた瞬間高笑いをした。そしてひとしきり笑い終えた男は私に向かってこう言った。
「人質になって、一緒に海外にでも行かない?」
まるで、友達を遊びに誘うようにそう言った。