76話 ダンジョンの青い樹
ささやかな宴会が始まったようです。
エルフ達にとっては、心配の種が取り除かれましたからね。
桃華と手を繋いだまま、ぼんやりと宴会風景を見ていた。
やっぱりダンジョンの中だけあって、吹いてる風も暖かい。青い樹の葉が風に揺れて、シャラシャラと不思議な葉音たてている。
「こんな景色もいいわね」
「みんなが元気になって本当によかったよな。
調子が悪いのに、その原因がわからないって、本当にどうしようもないからさ」
そうこうしている間も、町から様子を見に来るエルフで、徐々に人数が増えていっている。それぞれが食料を持ち寄り、無事を確認し合ってから、帰って行くようだ。
確かに関係で言えば家族。町よりも、集落の感覚に近いのかもしれない。
青い樹の周りは、真横に一軒家が建っている以外は、芝生のような草で一周、広場になっている。外柵が一キロ先まで大きな木がないため、木陰のある公園の役目なのだろう。
ここだけ見れば、平和そのものに見える。
でも、このままでいいのか……。
「篤紫さん?」
「ああ、わかっているよ。相手が望んでいないことはしないよ。
メルフェレアーナの話次第だけど、この町は間違いなく、エルフのみんなが一生懸命作り上げてきた町なんだよな」
「そうね、今まで長い間ここで生きてきた彼らの、大切な町よね」
急に、桃華に手を引かれた。何気なく顔を向けると、やけに真剣な顔をしていた。
「あのね、篤紫さんが持っている力は、世界を動かすことができるのよ。
使いどころを間違えないように、上手につきあっていかなきゃ駄目なの」
「ははは、たかが魔術が使えるだけだぞ? それ以外の運動能力なんて、地球の頃とほとんど変わってないぞ」
「その魔術が規格外なのよ。
必用なことだったとはいえ、昨日はダンジョン自体に干渉したのよ。それは、神の信仰がある地域なら、神の御業よ。
ほら見て、エルフ達の視線。誰もこっちに来ないじゃない」
そうか、さっきから感じていた居心地の悪さはこれだったのか。
確かに今までは、大きな魔術を使ったときに、周りに殆ど人がいなかった。でも今回は、たくさんのエルフに目撃されている。
向けられている視線は、変身している今なら、はっきりとわかる。あれは畏敬の念だ。
「だから出発前に無理を言って、ニジイロカネで変身の魔道具を作ってもらったのよ。これさえあれば、人間族の領土に旅行に行っても、それぞれに自分の身を守れるわ」
頭が下がる思いだった。
少なくとも、篤紫はそこまで考えていなかった。
魔族と言うだけで、人間族に狙われているらしい。
それは、人間族が一切の魔法を使えないため、奴隷として使うためだと、オルフェナに聞かされたっけ。
もしこの世界の人間族が、地球と同じ人間ならば、確実にその先、もっと残虐な扱いすら受ける可能性があるのか。
魔獣を倒して魔石を得ているように、魔族の体内の魔晶石も――。
「ごめん……」
「いいのよ、私たち夫婦でしょう? 支え合うのは、当たり前のことじゃない。
私なんて、篤紫さんにいっぱい助けてもらっているのよ?」
思わず、顔を背けて上を見上げた。風に揺れている青い樹の葉が、少し滲んでいた。
『あの……すみません……』
不意に、少年のような声が耳に飛び込んできた。
びっくりして桃華の方を見ると、桃華もびっくりして目をぱちくりさせていた。
「今の桃華か?」
「いいえ、私じゃないわ。篤紫さんにも聞こえたのね?」
「男の子のような声だったか、俺たちにだけ聞こえたようだけど」
宴会場は、徐々に人が少なくなりつつあった。とはいえ、もうすぐ三時、午後の焼滅光線が来る時間でもある。
青い樹が作る陰も、だいぶ東に傾いてきている。
『あの、お礼が言いたくて……』
二人して、青い樹に振り向いた。
木の表面が少しくぼみ、少年のような姿に浮き彫りになっていた。色肌は元の木の青いまま、わかりやすいように変形させたのか。
慌てて立ち上がり、少年に対して身構えた。
「誰だ? もしかして、ダンジョンマスターか」
『ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったのです』
さすがに浮き彫りになった少年は動かなかったが、声に敵対する感じはなかった。
そもそも、ここはダンジョンの中、言うなれば相手の腹の中のような物だ。敵対する意思があるなら、入り口で魔力を補充した時点で、何かしら反応があってもおかしくなかった――。
今は二人とも変身したまま。最低限の対処はできる。
「初めましてかしら、あなたがドライアドさん?」
キャリーバッグに手をかけたまま、桃華が少年にほほえみかけた。
桃華にとって、キャリーバッグは武器でもある。
森の中で戦ったときに、最初に具現化させた杖ではなく、キャリーバッグを振り回している姿を見たときは、思わず魔道銃を落としそうになったものだ。
『はい、ボクがこのダンジョンのマスターをしています。魔獣のドライアドです。
昨夜、この小エル・フラウを使って、メディ・アップルをたくさん実らせてくれた方ですよね?』
「ええ、そうですが」
『メディ・アップルのおかげで、魔獣の格を一段上げることができました。
実は、先ほどからお話を聞いていたのですが――』
え、最後の惚気まで聞かれていたのか。
顔に熱が籠もるのがわかった。ちらっと視線を桃華に向けると、顔が真っ赤になっていた。
『この霊樹エル・フラウの守りは、ボクに任せてもらえませんか?
もう、太陽の焼滅には負けませんから』
慌ててスマートフォンをたぐり寄せると、既に三時半を過ぎていた。いつの間にか、午後の焼滅光線が照射されていたのか。
目の前のドライアドが落ち着いていることから、無事凌げたのだろうけど。
ただ、なぜいきなり声をかけてきたのだろうか。
「わかったわ。それを、エルフの町長に伝えればいいのね?
それとも、他に私たちに用があるのかしら」
『はい。お礼がしたいのと、できればお話もしたいのです。
改良したメディ・アップルの苗木も、お渡しできますし――』
「行くわ。急いで、今すぐに。どこに向かえばいいのかしら?」
桃華が豹変した。少年の浮き彫りににじり寄り、周りの木に手をかけている。グイッと覗き込むと、心なしか少年がたじろいだように見えた。
あー、桃華の暴走が始まったか。
こと、食べ物のことになると、いつも目の色が変わる。
昨日取りだしたメディ・アップルも、きっと最後の一個だったんだと思う。エルフ達に配りながら、キャリーバッグにもたくさん収納していたからね。
そもそもむ、壊血病の治療だけなら、オレンジやレモンを増やせばよかったはずなんだよな。魔術で増えることがわかっていたから、あえてメディ・アップルを使ったとは言っていたけど。
『は、はい。来ていただければ、歓迎します。
この小エル・フラウにある門をくぐっていただいて、まっすぐに次の階層まで進めるように、木々を避けてあります』
「そう、わかったわ。ちなみに何階まであるのかしら?」
『二階層には全部で百八の門があって、それぞれが十階層から二十階層あります。
今回は、一番近い門を直接、ダンジョンルーム前の部屋に繋いであるので、道通りに来ていただければ大丈夫です』
なるほど、ここの下層ダンジョンは、根っこの部分なのか。
三階層だけでも百八もあるということは、ここのダンジョンを正規に攻略していたら、どれだけの時間が必用だったのか、考えただけでもぞっとする。
「ちなみに、人数制限はなしよね?」
『えっ、えっ? あの……できれば少人数でお願いしたいのですが……』
「私に篤紫さんは確定ね。
家族がバラバラになるのは心配だから、夏梛にナナ、オルフェナ。シズカさんにタカヒロさん、ユリネさんと、カレラちゃんも連れて行くわ。
あとは、エルフ代表にレアーナちゃんとナイアさんもいいわね」
『えっ、あっ……はい。わかりました……』
苦笑いを浮かべるしかできなかった。
普段はおっとりしているのに、交渉ごとになったら一切妥協はしないなもんな、うちの桃華さん。
「それで、今から行ってもいいのかしら?」
『それは是非、お願いします。
下層に下りてゆっくり歩いても、三十分もかかりませんから』
「それじゃ、みんなに声をかけて向かうから、生きのいいメディ・アップルを用意して待っててね」
『……え……はい』
ドライアドの声に諦めが入っていたのは、きっと気のせいだと思う。
こうして、ダンジョンの主、ドライアドの招待を受けることになった。
キャリーバッグの中には、ものすごい量の食料が入っています。
昔オルフェナが稼いだ金貨の殆どが、桃華のキャリーバッグに入っていますからね。食料は買い放題の状態です。
結局、似たもの夫婦なんですよね……。




