44話 黒炭結晶とガラスの世界
ちょっとお外に出てみましょう(ぇ
ダンジョンの外は、夜になって、生ぬるい風が吹く程度にまでは冷えてきていた。
目に見える森は、黒炭結晶化した木々から薄く煙が出ていた。もう何日も加熱と冷却を繰り返しているのに、山々の面影はそのままだった。
「これは、想像以上に酷いな。地面がまるでガラスじゃないか」
ダンジョンの外を靴で踏むと、甲高い音が響いた。連日、相当な高温に晒されているのだろう。
デコボコですら滑らかになっている。
「お、おとうさん、大丈夫?」
後ろから、夏梛の心配そうな声が聞こえる。
「とりあえず今日は外を観察して来るだけだよ。ダンジョンから一歩出れば、そこは完全に危険地帯だからさ」
「うん、それならいいけど……気をつけて行ってきてね」
「ああ、約束する」
正直、命は惜しい。例えそれが、何度でも蘇れるとしても、それを理由に無茶をするなんてあり得ない。
炭化結晶になっても、未だ熱で燃えているのか、薄明るい外に慎重に足を踏み出した。
ちゃぷん。
篤紫がダンジョンと外とを隔てる、膜のようなものを越えていく。その姿を夏梛が心配そうなまなざしで見ていた。
『夏梛、着いていっても良かったのではないか?』
オルフェナの指摘に、夏梛は首を横に振った。
両手で抱えたオルフェナに、思わず力が入る。下唇を噛みしめながら、絞り出すように言葉を吐いた。
「……あたしが行っても、絶対に邪魔になる……おとうさんが余計に心配するだけだもん。
本当は行きたいよ。オルフやレアーナ姉さんに、いっぱい、いっぱい魔法を教えてもらった。
どんな魔法でも使えるようになった。でも……怖いんだよ」
『夏梛は、魔法が怖いのか? それとも魔法を使っている自分が怖いのか?』
「たぶん……自分? わかんないよ……」
『つまり、自分が思った以上に、魔法の持つ力が大きかったのだな。
夏梛の感覚だと、無尽蔵に湧いてくる自分の魔力が、もしかしたら自分の大切なものを壊してしまうのではないか――そう、悩んでいるのであろう?』
「うん、おとうさんのこと、おかあさんのことを守りたいんだけど、魔法をいくら使っても、魔法の終わりが見えない……。
魔法って、魔力を注げば注ぐほど、威力も範囲も、イメージ次第でどんどん強くなっていくんだもん。そのうち、魔力に負けちゃったらどうしようって、ずっと悩んでる」
『怖さを知っていれば、魔法に負けることはないだろう。
夏梛が危機感を持って慎重に魔法を使っているのであれば、心配には及ばん。
人間族を見てみるがよい、彼らは常に争い合っているであろう?
彼ら人間族が破壊の魔法を好むのは、彼らが魔法を使えないからだ。持たざる者が力を持ったとき、その力に溺れるのだよ。
夏梛がいた地球でも、武力や権力を持った者が、破滅に向かっていただろう?』
確かにテレビで毎日、悲しいニュースが流れていた。
みんな仲良くすればいいのに――子ども心ながら夏梛はずっと感じていた。
小学校でもやっぱり一緒だった。少し体格がいいだけで、暴れ回っている子がいた。少し勉強ができるだけで、威張り散らしている子もいた。
そんな同級生の姿を、いつも悲しい気持ちで見ていた……。
『夏梛が、魔法の怖さを知っているのであれば、魔法は必ず夏梛の味方をしてくれる。
心配するな、夏梛ならば何も案ずる必要は無い』
「うん……わかった……」
涙が、頬を伝う。
桃華はオルフェナをギュッと抱きしめた。
篤紫が出て行ったダンジョンの外には、熱を帯びた木々が、赤黒く煌めいていた。
ダンジョンの外壁に触れると、しっかりとまだ熱を帯びていた。それでも黒曜石に見えるその外壁は、傷一つ付いていなかった。
ここに来たときに上った螺旋階段は、後付けだったのだろう。既に溶け落ちて地面に小さな山になっていた。
「この分だと、外で作業できるのは日没から翌朝九時までの間だけか。
いや、安全を取ると八時で切り上げないと駄目だな」
ガラス質に変質している地面は、とてもじゃないけど掘れそうになかった。この時点で、目立たないようにダンジョンの底面に魔術文字を刻む案はボツだった。
横の壁面に刻むとすれば、制御の観点から四面全部に刻む必要がある。ただ、それにも高さの制限がある。安全に魔術文字を刻めるのは背伸びしない状態で手が届く範囲だけ。
メルフェレアーナみたいに空が飛べればいいけれど、残念ながら篤紫には魔法で空を飛ぶことができない。
それでもまあ、なんとかなるか。
縦横十メートルの壁は、恐ろしく大きかった。
おもむろに、篤紫は地面にしゃがみ込んだ。
腰からミスリル製の魔導ペンを取り出した。そのまま地面に魔方陣を描き、魔術文字を刻む。
限定効果で、地面を再生させる魔術を書き込んだ。
Resuscitate the earth instantaneously.
文字に込める魔力は一万。この魔術だけで四十六万の魔力が飛んでいく。
ピリオドを打つと、魔術が起動――せずに、光の粒になって霧散した。
「やっぱり、大地に書き込むと普通はこうだよな。対象が星全体という判定になるのか。
接地している道具を魔道具にするときも同じ判定だったから、このままだと魔導台か魔導布がないと魔道具が作れないということか」
ミスリルの魔導ペンをしまい、今度はダンジョンコア素材の魔導ペンに持ち替えた。
もう一度、一万の魔力を込めながら地面に魔術文字を書き込む。
ピリオドを打つと、魔術が起動した。魔方陣と魔術文字が淡く輝き始める。
光は徐々に強くなっていき、視界を真っ白に染めていく。
暖かく優しい光がゆっくりと、地面に吸い込まれていった。
視界が戻ると、見渡す範囲一帯の地面が再生していた。篤紫が文字を描きながら思い描いていた、緑豊かな大地。
効果範囲は、分からないほど広かった。
炭化結晶化していた木は幹が再生され、葉っぱも緑が戻っている。
大地には草が茂り、踏みしめた大地はふんわりと柔らかくなっていた。
これは、予想以上の結果だった。
「はぁ、これはすごいな……」
思わず感嘆のため息が漏れた。
ダンジョンコア製の魔導ペンの威力は想像以上だった。これなら、予定していた作戦を実行できる。
篤紫は魔導ペンをしまうと、コマイナダンジョンの中に戻っていった。
風に吹かれて、木々が優しくざわめいていた。
「それじゃ、準備はいいかな?」
白亜城のダンジョンコアの部屋。
桃華がティーポットで紅茶を淹れていた。今日はオレンジが入った紅茶なのか、爽やかな香りが部屋に広がっていく。
オルフェナを抱きかかえた夏梛は、ソファーに座って、心なしかソワソワしているようだった。その隣で、メルフェレアーナはコマイナを肩に乗せて首を傾げている。
「なんだか外壁に描いていたみたいだけど、篤紫は何してたの?」
メルフェレアーナには全く想像が付かないらしい。
一万年、魔術の基礎を気づいた大魔導師も、どちらかというと魔法使いの側面が強いのだろう。たまに来て作業を見ていたけれど、そのときもしきりに首を傾げていたっけ。
その向かいには、サラティとタカヒロが座っていた。
ただ、何も聞かされていないのだろう。戸惑いの表情を浮かべていた。
「準備と言われましても、座ってお茶をいただくしか、できそうもありませんが。少なくとも、心の準備はしておきます」
「アツシが来てって言うから来たけど、何が始まるのかな?」
桃華の淹れた紅茶を、幸せそうな顔で飲み始めた。
篤紫はとびっきりの笑顔をみんなに向けた。
「よし、じゃあコマイナお願い。
映像、全方位モード、スイッチオン!」
そして、全員が目を見張った。
モニターに映されたのは、全方位空だった。青い空に、雲がいっぱい浮いている。
下のモニターには、遙か先まで山並みが広がっていた。
遠くには富士山が……山の形を大きく変えていた。
そう、ダンジョン・コマイナは、空に浮かんでいた。
飛行要塞は男のロマンです(キリッ




