華麗 <本論> ——糞食らえ!
先ほど、「自慰」行為を済ませて、体がダルく、眠くなったので、横になっていたが、その後、あまりに調子が良いので、創作活動に励んでいる。嫁が入院しているので、一カ月ほどオナニーは禁止させられていたため、久方ぶりのは幸福を感ぜずにはおられなかった。今はアダルト動画もコンテンツが充実していて、「これを子供が自由に見れるようになったら、ちょっと暴力的にもならざるを得ないな」と思う節は十分にある。あるけれども、それはポルノ動画反対派の意見であって、私のようなアラフォーの大人からすれば、いくら眺めても、凶悪になる傾向もないし、それは子供にだけ適用する、そういうワガママで良いのではないかと考えるのです。今日思うことは「幸福な世の中になったもんだなぁ」と感じるだけです。
ちょっとずつ、本題に入っていくわけですが、私は2015年12月31日に『華麗』という作品を書き上げました。内容はというと、小学校五、六年時に「清らかな白鳥」というコントグループを作りました。そのグループ名から『華麗』という言葉のイメージが浮かび上がります。しかし、それは実は違うのだ。その違うことはまだ置いといて、「清らかな白鳥」で僕らがやりたかったこと、その理念をその作品で述べた。だが、それはわずか三段落を用いてだ。その後、四段落目から急に「人生の本質」というテーマに切り替わって、それまでとはまったく違った話に持っていくことになるのだ。
僕が要するに創作で言いたいことなんて、結局は「人生論」や「人間論」の部分だ。それは言葉希少だが、それをストレートに言えれば、僕の文学活動での任務は終わりだ。その作品で僕が言いたいことは最後の一文だ。
「私の本当の苦しみは20代の頃の統合失調症の経験にあるのだ」
という最後の一文である。二十代の頃に何があったのか? それはその作品の題『華麗』に見事に集約されている。次の段落で説明しよう。
私がなぜ、その作品の題を『華麗』と名付けたか。私は20歳代の時に統合失調症の症状に極限なまでに苦しみ、ウンコを食べたことが五回ほどもあるのだ。『華麗』とはカレーのことだったのである。ウンコのことなんだな。私は精神病院に入院中にトイレで三回、ウンコを食べた。そして、自分の家で二回食べた。「死なないかなぁ」と思ったのである。量は小さい団子程度のものであったが、味はほとんどなく、食べた後、ゲロを吐くこともしばしばだった。私は生きている甲斐がないくらいにしんどくなると、ウンコを食べて自殺行為を計ってしまうことがしばしばあった。超最悪だった。汚辱とも言う。だが、いまだに病院の健診の結果は異常なしだ。「そんなもんなのかなぁ」という感想だ。食っても大丈夫だとは勝手に無責任なことは言えないが、僕は大丈夫だった。AVとかでも「スカトロ」プレイとかあるしね。意味がわからない。
そんなこんなで、三十歳代に入って、僕の症状もおさまってき出し、ウンコなんかを食べる必要もなくなったのだった。僕の不幸がどれほどのものか、皆さんにはお分かりか。死ねばよかったんだよね、あのときは少なくともそこまで考えていた。しかし、僕は不安になりつつも、我慢し続けて、生き延びてみせた。しかし、僕は決してふざけてはいなかった。ふざける余裕さえどこにもなかったのだから。二十代のあの時期は地元の大阪でもベストテンに入るぐらいの不幸ではなかったか。でも、今考えても奇妙だ。なぜ、そんな状況に追い込まれたかなんて、分からない。病気は僕のせいじゃない。敢えて言うなら、病気のせいかな。だから、誰を恨んでも仕方がない。ただ、やっぱり自分に合った薬を、適量、適時に飲むことを続けていれば、きっと効果が出る。それをやらなければ、一個も前に進まない。それが僕が分かったこの病気への唯一の対策だ。幻聴さんも、あいそ悪いな。急にマシになったもんな。すかされたよ。しかし、幻聴とは一生、付き合っていく覚悟をしている。その合間にこうやって文章をつむぐことが、自分自身にとってありがたいことなんだよな。いやー、ホントウンコはまいった。以上。