グレン・ヘルウォーカー
何処からか涼やかな風が吹き、すれ違いざまに頬を撫でていった。
死を悪と断じた偽善の監獄。ギルティシティ。
周りに人影は一切見当たらない。
レジスタンスによって政府が崩壊したことでこの街の意味は既に無くなった。ただでさえハミ出しものばかりを集めたのだ、ここに残る物好きなんているわけが無い。
一日毎に変わる主をすら無くしたボロボロの建物達は何処か寂しそうにも見えた。
何もかもが終わった。悪の秩序は終焉を迎えた。世界に平和が訪れたわけでは無いが、また一歩人類が前へと進んだのは確かだろう。歴史的な瞬間だ。
最もこれらはあくまで人類全体から見た話だ。
個人の問題が全て解決した訳では無い。まだこの場所に意味を持つもの達がいた。
この街と外界を繋ぐ唯一の橋のたもと。そこに二人の男がいた。
「わざわざ待ってくれてたのか?」
「待っているのは今に始まった事ではない」
一人は片手に抜き身の刀を携え。
もう一人は両の手に銃剣を握りしめていた。
「不老不死……天使……お前らは何なんだ?」
「……デュリアと私では大きく異なるのだが、外から影響を受けたという点では共通しているか」
「外……? 何処の外だよ」
「世界のだ」
「……随分とスケールが大きいことで」
「オーラも、超能力も、亜人達も、全てはこの世界が外からの影響を受けた結果生まれたものだ。そしてその変化の流れの中で特に異様な変化をしたのが私たちだったということだ」
「偶然にしちゃろくでもない変化だな」
「偶然か……どちらかと言えば運命だよ」
「どっちにしてもろくでもないさ」
その言葉と共に刀を構える。もう話すことはないと言外に伝える。
「復讐の果てに何を見る」
「知るか、お前を殺した後で考える!」
神在月を使って一呼吸の内に間合いを詰める。
そして放たれる首狙いの一撃は案の定片手の銃剣であっさり弾かれる。
弾かれただけにも関わらず手に痺れを感じる。凄まじい重さだ。
そして気づく。明らかに異常だと。
前やり合った時には気づかなかったが、今は化け物染みた膂力の持ち主との殺し合いの経験がある。その経験と照らし合わせても明らかにグレンの一撃は常軌を逸している。
ただこちらの力不足なだけかと考えていたが、違う、何かカラクリがある。
後ろへと退いた俺に追撃を仕掛けてくる。前もやられた銃剣と足技による曲芸のようなコンビネーション。
圧倒的な一撃の重さと、絶え間のない連続攻撃で一気に押し込まれる。
こいつの戦い方は膂力こそ圧倒的ではあるが戦い方はその実特異な代物ではない。むしろ綺麗だ。
これまでの経験と研鑽の賜物。つまるところは人の技、武と呼ばれるものに他ならない。
それ故に苛烈な攻めであろうと隙が無い。積み重ねたものがそれを覆い隠してしまっている。
刃を交わらせて感じるのは、ただただ驚嘆の思い。人の技の究極とはコイツのことではないだろうか。
しかし、その完璧さは人らしさをすらそぎ落としてしまっている。目の前で戦っている俺ですらコイツは精密な殺人機械なのではないかと錯覚してしまいかねない程に。
故に紛れは存在しないと確信する。
感情的か、或いはあきれるほどの几帳面なやつ相手でないと成功しないアレが使える。
敵の攻撃の間隙に全身から今出せる限界の量の剣気を放出する。そしてそれが見えなくなるまで広く、薄く周りへと拡げる。
こちらの変化を見て取ってか相手も一旦距離を置いた。
経験から来る警戒だろうか。だがそこはまだ俺の間合いだ。
そこから再度繰り返される攻防。しかし明確な変化はない以上当然、再度俺はグレンに押し込まれる。
先ほどのは杞憂だったのかと言わんばかりの攻めを仕掛けてくる。
それをギリギリで捌く、捌き続ける。
流石は歴戦の戦士というべきか、すぐにグレンは違和感に気付いたようだ。
優勢に事は進んでいるが決め切れていない事実に。どうしても刃が、弾丸が、届かないことに。
そしてそれに気づいた瞬間に奴は、間合いを強引に離してから尋常ではない量のオーラを放つ。
このままではマズイと感じて一気に決めようとしたのであろう。その判断の速さは驚嘆すべきところだろう。
だが、その動きは想定通りだ。
グレンのオーラが一気に銃剣の銃口へと収束する。オーラの量からしても相当な大技が飛んでくるだろう。
正面から行ってそれを回避することは不可能。絶死であると猿でも分かる。
しかし躊躇うことなく俺は前へと歩を進める。確信があるからだ。それが外れるという。
引き金が引かれ放たれた弾丸と共に、木の枝のようにオーラの弾丸が一斉に拡がった。
視界を覆いつくすほどの広さの一撃。まず初見では躱しようのない一撃だ。
だが今は別だ。技の規模は想定外だが狙いは予測できている。
いや、正確にはこちらの意志で意図的に操作している。
こちらの意志で空けさせた隙間を縫って一気に間合いへと入る。まさかこの技を初見で対応されるとは思っていなかったのだろう。グレンも流石にそれには大きく目を見開いていた。
流石にこのタイミングでは躱せまい。微妙に狙いのずれたオーラの弾丸の下を潜り抜け、左わき腹から反対側の右肩までを斜め一直線にたたっ斬る。
華天流三之型秘技"神風"……秘技というには使いどころの難しい欠陥技だ。
これは相手の行動を誘導する技、と言うよりは考え方、技術と言った方が正しい。
あえてこちらの隙を見せることで攻撃を限定させて読みやすくする技術。ここまでなら大概の武芸者は日ごろから使うありきたりの技。
神風はここにオーラを付け足す。無理やりこちらのオーラを広げてそれでほんの僅かだけだが相手の動きの後押しをする。
それで相手はそれに釣られる。後押しに気付かなければそれがハマっていると錯覚しやすい。
調子を上げさせて大技を出した時の無防備な隙を突けば斬れるのも道理。
最も警戒心の高い相手には見破られたりするし、気まぐれな相手だと予想外の動きをされて無意味になったりする。
故に欠陥技。汎用性に欠けるから正直嫌いな技だ。
本来は敵の動きを先読みする極意だかなんだかだったらしいがオーラを用いての誘導へと変わってしまったらしい。
だが条件さえ合えば唯一無二の技となる。なにせ相手を意のままに操るのと同義なのだから。
一撃を加えて直ぐに間合いを取り様子を見る。奴は身体から血を吹き出しながら膝から崩れ落ちた。
今のは完全に手ごたえがあった。間違いなく致命傷足りうる一撃なはずだ……本来ならば。
やはりというべきか、当然の結果というべきか。奴に刻んだ斜めの切り傷がまるでビデオの逆再生のように元の状態へと治っていく。服まで元通りなのは一体どういう理屈なんだ?
「見事な一撃だったが、無駄だ」
「何度見てもそれは理解できそうに無いな」
が、越えねばならない問題なことには変わりない。
そのためにデュリアを斬った。斬ってやった。
ならば同じようにやるだけだ。いつも通り変わらない、何一つ変わらない。
正眼に構えてあの時を、デュリアを斬った時のことを思い出す。
ただ一刀を以ってすべてを斬るあの感覚。余りに蒙昧とした感覚、そうそう訪れるものではないがそれでも手で掴まなければ。待っている最後は死しかない。
より明確に掴め。彼処には何があった。無ではなかった、確かな何かが彼処にはあっただろう。
光明が見えるより前に目の前に凄まじいオーラが放たれた。グレンのものだ。
それは今まで見たどのオーラよりも濃く、重い赤と黒が混じった色をしていた。太陽をすら飲み込まんばかりの地獄の色。
「追い詰めねば俺を殺せないか? ならば喜んで手を貸してやろう」
まるで悪魔のような様相。それを見て本能が闘うことを拒否した。
アレは駄目だ。人がどうこうできる存在ではない。
しかしその臆病風に吹かれた心を無理矢理立たせる。どちらにせよ、この絶望的な道にしか活路は無いだろう。
震える手足を無理矢理動かして刀を振るおうとする。
が、ギリギリで踏みとどまる。破れかぶれでどうにか出来るわけがない。
だがどうすれば……。
思い悩む時間は当然与えられない。地獄の殺意が襲い掛かってきた。
出し惜しみしている状況じゃない。咄嗟に満月を発動し身構える。
奴は銃剣にオーラを纏わせ、そして飛んだ。比喩ではなくオーラで形作られた鳥となり飛んで突進を仕掛けてきた。さっきのオーラ弾もそうだがこいつの技にはまともなのがないのか。
回避はができるような技じゃない。ならば迎え撃つだけだ。
居合の構えを取り最大威力の一撃である"八咫喰"を放ち相殺を狙う。
紅蓮の鳥と三条の斬撃がぶつかり合い凄まじい衝撃波を生み出す。
……クソっ! このままだと押し負ける!
衝撃波が届くより前に桁違いの圧力でこちらの最大技が押し負けることを予感する。
瞬間頭を過るは何度目ともしれない走馬燈。
だが3位の時とは違い既に全力を出している。思いの強さでどうにかするには無理がある。これ以上は望めない。どうしようもない
衝撃波が身体に叩きつけられる。その場にギリギリで踏ん張る。代わりに迫る死に抗う手を出す余裕も無くなった。
あと、もう少しで……っ!
死が迫る、死が見える、死が追い抜いていく。
地獄の鳥は三千世界を飛んでいく。輪廻転生の果てもなくただ無為に飛んでいく。罪がなければ罰も存在しようがないが故に。
死の瀬戸際、走馬燈の視界の端に波が引くようにしてグレンという男の本質が垣間見えた気がした。
そして気づく。今ならば殺せる。言葉にできない理屈が確信をもたらした。
しかしそれにはこの死そのものを乗り越えなければいけない。
回避は不可能、防御も不可能、ならばこの身で喰らって耐える他ない。
正面より迫る死に対し、空いていた左手を前へと、死へと差し出した。
残りカスとしか呼べないような僅かな剣気をその手に集中させる。
耐えれる道理は当然存在しない。八咫喰で勢いを削いだとはいえ、なお圧倒的な力は健在。死の運命は変わらない。
悪あがきとも言えない行動。しかし勝機はそこにしか無い。
暴力が手に到達し破壊を反映する。空しい抵抗のかいもなく一瞬の停滞も無く肉は裂け骨は砕け散る。
だがそれでは死なない。腕が散れどもまだ心臓には到達していない。脳はまだ世界を認識している。
腕を捧げながら剣気を次々に湧き出させて盾のようにしてグレンへとぶつけていく。
それでもなお陰りの見えない勢いで地面を削り取りながら後ろへと押されていく。
肘まで消し飛んだがまだ四体満足だ。生きている。
瞬間的な死となるはずのものにわずかな隙間が生みだせた。そしてその隙間があればどうにかなる。
もう少しで肩まで届きそうというところで足に一気に力を集約させそのまま蹴り上げる。
渾身の一撃を不意に喰らわせて無理やりその軌道をずらした。
通り過ぎる時に顔の左半分を掠っていき左の視界が死んだがどうにか延命できただけ上等だ。
右手にはまだ刀が握られている。
振り向き通り過ぎて行った奴を追いかける。
体勢を立て直した奴はまた同じように鳥となって飛ぶ気のようだ。
それを阻止しようにもこの距離では間に合わない。もう一度あれに立ち向かう必要があるようだ。
もう無理やり生きる必要は無い。あとは殺すか殺されるかだけだ。
迫る地獄の鳥に俺はただ刀を振るう。渾身の剣気を込めた一撃をぶつける。
もはや奴の一撃が重いかどうかなぞ関係ない。ただグレンという男の本質を斬る。
この一刀は触れず、切れず、軽い。
技としては最低な代物だ。
まさに無価値、ろくでもない一刀。
罪も罰もないならば貴様の生は無価値なものだ。
ならば相応の一撃もまた無価値で無意味なものであろうとしよう。
この一刀はこの世で最も無意味で無価値なものだ、しかしてこの一刀に一切の柵は存在しない。
故に届く。不死の道理へと届かせられる。
手ごたえなどありはしない。ただ素通りした絶技が肉体を弾き飛ばした感覚のみを感じていた。
これは多分死ぬ。いや確実に死ぬか。……思ったよりも恐怖は無いな。
復讐と心中する気は無かったのだがこればかりは仕方ない。
それに華は散ってなんぼだ。命散らせて天に還る、華天流の最後としては悪く無いんじゃないか。
「奇妙な感覚だ。いつも通りなはずだが何かが違う感覚。恐らくこれは単純な死の感覚では無いのだろうな」
なんとか顔上げればそこには傷口から塵となっていくグレンの姿があった
「おめでとう……君の復讐はこれで果たされたぞ」
仇からの賛辞とは。素直に喜べないな。
「そちらはもう口も開けないか。私も直にそうなるがな」
奴は空を仰ぐ。
「満足か?」
そうだな、華天流としては満足だが俺個人としては……。
意外と悪くない気分だ。何せあの日からの憧れをようやく追い越せたのだから。
あの日、あの瞬間に目に焼き付いた闇夜に浮かぶ一匹の鳥。
その存在に心奪われたからこそ俺はここまでこれたのだ。
一人の人間の人生としては悪く無いんじゃないか。
知らず感情が顔に出ていたのかグレンはそうかと答え、そして……。
「これでようやく休める、永かった……」
その言葉と共にグレンは塵となってこの世から消え、この街における最後の戦いは終わりを告げた。
グレン・ヘルウォーカー
500年前に不老不死となった男。
その人間にはあまりに長すぎる年月はグレンという個人を幾度も壊したが死ぬことは出来ず、そのたびに立ち直ってしまっていた。
その中でアリス・デュリアのような世界の外の存在と何度も接触してそれに希望を見出すようになる。
死という止まり木を延々と探し続けた魔人の最後は無意味で無価値と断じられたことを知っても彼は安らかに消えていったことだろう。